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どこにも属せなかったから

私はいろんなマイノリティだ。

発達障害、LGTB、HSP。

こういう分類の仕方を知る前は、もっと不思議な孤独を味わっていた。
なぜ自分は人と違うんだろう、特別なのかな?それは素敵なこと?それとも惨めなんだろうか。

分類できた今、幸せかどうかはわからない。

ただひとつ、よかったなと思うのは、「"私の幸せな人生"は一般の人以上に誰にも定義できるものではない」という考えを肯定してもいいかなと思えるようになったこと。


本当は不安だ。みんなのように、何か信じる成功や幸福の形があればいいのにと思う。

恋人・家族を持つ。(身動きができない不安に駆られる)
社会的地位を得る。(息苦しかった)
仲間がたくさんいる。(憧れるけど、実際私が気を許せる人はほとんどいない)

ワガママだと、思われるだろう。
でも、やっぱり私はこういうものに憧れる一方、いざ手にすると耐えられなくて死んでしまいそうになる。これは比喩ではなく、本当に希死念慮が湧いてくる。

ひとりきりで自由にできないと、生きている意味を問い始めてしまう。

こんな私を「人を愛せない人間だ」と罵った恋人が昔いた。
間違っていないかもしれない。でも言い訳させてしまうと、私は人を愛しすぎてしまう。自分の愛が重すぎて、相手も自分も押しつぶしてしまうことがわかっている。HSPの特性か、相手の感情があまりにわかりすぎて、常に顔色を伺い、相手の望む自分を演じ続けて潰れてしまう。

そんな何もかもが怖くて、愛するがゆえに一緒にいられず逃げ出してしまう。


「あなたはマイノリティです」「精神障害者です」「性的に一般的ではない」と烙印を押してもらったことで、自分を「普通の人生のあるべきレール」からようやく降ろせた。

私は無理して誰も愛さなくていい。
私は無理して社会的地位を持ち続けなくていい。
私は無理して人々に受け入れられる人間でなくていい。

もちろん今でも辛いことは山ほどある。

でも、逃げ道を作れたことが、生きる唯一の希望になった。


これからの目標は、人にこの人生、生き方をどう思われるか気にしないようにすることだ。

決して褒められた人生にはならないだろう。いろんな人にバカにされるだろう。(会社は人にバカにされないために所属していたようなものだが、それでも嫉妬からか、バカにする人はいたし。)

何を言われてものらりくらりとかわし、傷つけられるようなことは耳にしないようにして、自分だけは自分の味方で生きていけたら、私の人生は大成功だと思う。



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