見出し画像

いろんな種類の「愛の頼り先」を持っておこう、の話

先日、前触れもなく深く落ち込んだので、原因の整理としての日記です。

------------------------------------

昨夜は一時的に非常に混乱と不安で取り乱した。要因はたくさんあったんだけど思うけれど、
1. もともとやるべき仕事が溜まっていたのに手をつけられていないと言う罪悪感
2. 最近恋愛がうまくいっていないと言う不安
3.  (これが決定打である)声がうまくいっている友人との会話で自分がうまくいっていないと言う話をしてしまった&過去の恋人の婚約をした

3つの要因が合わさって「私はこの世にいらないと言う極端な発想が生まれた。
果たすべき義務を果たしていないという、人としての社会的疎外感と、「結局のところ私は誰からも愛されておらず、いつも偽りの自分を演じなければ人には愛してもらえないのだ / 私は愛とは縁遠いのだ」という考えが合わさって、「生きるに値しない人間だ、死んでしまえ」という考えになったんだろう。泣きわめいて酒を飲み、市販薬も処方薬も混ぜて飲んで、翌日の夕方までぐっすり眠った。

普段はあてにならない元カレに、ミュンヒハウゼン症候群のように不幸は撒き散らして、ぐずぐずと泣き言言ったら案外かまってくれた(たまたま暇だったと言うこともあるのだろう)。
でも今回はそれが役に立った。
あまりにひどく辛い時は、人に頼るってのは良い案ではなかった。自分1人で映画を見るなどして解決するのが1番の近道だった。しかし昨日は特別だったのか(人からの愛情に飢えているときに1人でどれだけ過ごしてもダメなんだろう)映画を見てもドラマを見ても、大好きなコメディーを見ても、全然駄目だった。焦燥感と寂しさと孤独でいっぱいで、生きているだけで急に死んでしまいそうだった。
だからこそ彼(一人の人として、恋愛ではないけれど、親身に話を聞いてくれる人)に頼って良かったのだと思う。

彼とはもうよりを戻したいと思っていない。しかし彼が時々私を心の友人として頼るように、私も彼に第二の家族のような安心と助け合いの関係を求めていたのだろう。昨日はたまたまそれがうまくいったので、それにすごく救われた。それからもう一度眠ったときには、ここ数週間ではありえない位悪の1つも見ずに(いや、1つくらいは見た)とても気持ちよく眠り、気持ちよく目が覚めた。

こうやって、困ったときに急に電話できる相手をもう少しふやしていけたらなと思う。

「自立とは独りきりで生きることではなく、頼れる先をたくさん持っていることだ」というのは、いろんな人から聞いた私の中のとても大切な格言だ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?