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【家族との暮らし】井戸の番人、父の話。

うちの実家は築30年ほどの一軒家。

うちには昔から使っていた井戸が裏にあり、そこにポンプをつけて洗濯機用の水と洗面台用の水を井戸から汲んでいます。

水道は下水道のみになるので節約になり、洗濯機を回すのが趣味のような母にも、小さい娘がいて洗濯物が多いわたしにも、井戸はとてもありがたい存在です。

ところが、とうとう最近になって井戸に備え付けられてたポンプから水がぽたぽたと漏れるようになり、買い替えるのか、応急処置で当面は見守るのかを家族で話し合いました。結果として、裕福とは無縁な家庭のため、応急処置で当面は見守ろうという話でまとまりました。

応急処置で見守る以上、ぽたぽたと少しずつ水が漏れ続けるので、バケツをいくつか設置して、家族の誰かがそのバケツの水を朝と晩に換えるという地味な作業が発生します。

そこで登場するのが、うちの父です。

父は、とにかく自分がやると決めたことにおいて自分が確認しないと気が済まないような几帳面な性格です。
それなのに、何故か人生においては効率が悪く、不器用で、遠回りなことをしてしまうような誰が見ていてもむずがゆい気持ちになる性格でもあります。

今回も、水が漏れている井戸のポンプのバケツ替えは自分がやると父が買って出たのですが、バケツの水を捨てるだけなのに何故かチンタラチンタラと時間がかかります。
漏れ出した井戸水はタダなので、すぐそばの庭木の水やりにでも使えばいいものを、わざわざ遠くの井手に捨てにいくことを何往復も繰り返す始末。

わたしは見てるだけで指図したくてイライラがとまりません。
わたしにとって、父はいつもこういう存在でした。

父は晩婚でした。わたしが生まれたときは41歳。
30年も昔なので、わたしが育った地域では今のように晩婚化は進んでいませんでした。
なので、幼稚園、小学校、中学校の友達のお父さんは若いお父さんばかり。

いつも運動会や卒業式に父が来るのが恥ずかしく、自分の父とバレませんように。と心の中でそっと思っていました。
父もわたしに気を使っていたわけではないと思いますが、田舎のせまい地域ゆえに同世代といえば既に祖父母世代になっており、居心地も悪かったのか、決して表には出てきませんでした。

運動会では母に親子競技やカメラマンを頼み、父は心のシャッターに収めるように、そっと木影から見守っているだけでした。

卒業式ではわたしが入場するとともに誰よりも先に涙を流していましたが、気づかれまいと必死に声をひそめて下を向いていました。

わたしは、そんな父を見て、どうしてこんなに頼りなくてかっこ悪い父なのだろう。と落胆し、中学、高校時代の反抗期には父ばかりにひどい言葉を並べ、当たり散らし、全く口を聞かない時期もありました。

背が低くて、タヌキのような目の下のクマに、おでこの薄い頭皮に、白髪混じりの髪。
子育てには無頓着で、家事に学校行事はすべて母頼み。

仕事ができるタイプでもなく、リーマン・ショックの影響もあり、クビを切られ、無職も転職も経験済み。
新しい仕事を探すにも、失業手当てがもらえなくなるからとなかなか行動にでない父を見て、わたしの学費はどうするつもりなんだろうか。どうしてこんなヤツが父なのだろう。と悔しい気持ちになったこともありました。

しかし、どんなにわたしが父のことを恥ずかしく思っても、どんなにわたしが父のことを怒っても、父はわたしに対して何を言うこともなく、怒ることもしませんでした。

わたしがどんなに正面からぶつかっていっても、父には何も伝わらないのです。
父は、自分の娘が何を言ってこようが、何を求めようが、父のレールで生きます。
おそらく、立場が上のものであろうとも、親であろうとも、妻であろうとも、子であろうとも、誰から指図されたとしても自分のレールに沿った生き方を曲げるつもりはないのです。

こういう性分とあって、誰に何を言われようと心に響きません。そんな父が心底信頼するのは文学だけです。

父は学生時代は東京に上京しており、文学の世界に没頭していたようです。
何年浪人したのか?ともかく有名私大の文学部であったようで、就職先も東京にあった業界誌の出版社だったそうな。
その頃の話を聞くと、今とは考えられないほど生き生きとした時代の父の姿を想像します。

父にとっては、唯一自分の生きたいように、青春を謳歌した時代だったのでしょうか。平成生まれの私が聞くと、まるで昭和映画の世界のようです。

本好きは今も変わらず、父の部屋には所狭しとコレクションの本が並んでいます。本棚は丁寧に分類してあり、純文学から詩集、画集、エッセイ集、古典宗教、国語辞書、漢字辞書などが何冊も並びます。
倉庫にも眠っている本も山のようにあります。
(←処分してほしい。)

父は本から人生を学び、青春を感じ、ときにはそこに癒やしを求め、自分の生き方を確立していったように思います。置かれた環境や人間関係からではなく、本からすべてを得てきたような、そんな感じを受け取ります。

そんな父は、わたしが生まれたときに「決して他人と比べるようなことはせず、この子はこの子なのだから。」と母に言ったそうです。

どの本を読み尽くして得た知だったのかはわかりませんが、私はこのことを母から聞いたとき、父の豊富な知見に驚き、感謝し、尊敬の念を抱きました。

父のことを深く想うようになったのは、ほんとに最近のことです。

わたしは2019年30歳の時に結婚しまして、そのとき父は71歳。
子どもの頃から、父は誰よりも年寄りだから皆が経験するであろうことがわたしは10年分くらい早めにくるのだろう(←父の介護や父の死のこと。)と、漠然と思っていました。

そう思ってはいたものの、わたしの人生も父と同様に出遅れることが多く、(←私も浪人しましたし、結婚も遅れました)なんとか親孝行に間に合った感じです。

結婚式では、序盤に父とふたりで登場するシーンがあります。父とふたりで人前にでるのは、これが初めてです。
わたしの気持ちはというと、子どもの頃のような恥ずかしさは消えており、むしろ父とバージンロードを歩けることに喜びがありました。

結婚式を担当するプランナーさんからの質問で、どんな父であったかという問いに答えたときには、自然と父のすばらしいところがいくつも思い浮かびました。

わたしが大人になってから関心がある本について父に尋ねると、父はその本を先に読んでいることが多く、さっとその本の内容と印象的なフレーズを教えてくれる父。

不器用だけれども、自分でひとつひとつを丁寧に確認しながら物事を進める父。

リストラされようが転職しようが私を大学へ行かせてくれた父。(←自分でめっちゃ奨学金も借りましたが(汗))

運動会や卒業式には必ず来てくれた父。

どんなに合わない環境でも、怪我をしてでも働いてくれた父。

10代の頃の嫌だな、恥ずかしいなという父への気持ちは、不思議と消え去っていました。

そして、わたしは娘を出産し、父はおじいちゃんになりました。

最近はというと、わたしはアパートに帰ってもいいが娘は実家に置いていってと、なんとも本気の顔で言っています。
孫は特別にかわいく、そばで見守りたい存在のようです。

父の慈愛のこもった眼差しに、娘がにこやかな表情で答える様子をみていると、親孝行できたかなぁと少しほっとします。

ところで、井戸の水換えはどうなったかといいますと…
毎朝、毎晩、決まった時間に、父はぽたぽたと滴る井戸水の溜まったバケツの水を捨てに行きます。

漏れる水の量が増え、バケツの数も数個になりましたが、それはそれはゆっくり、ひとつひとつ丁寧に、父のペースで往復します。

母はその様子を井戸の番人と呼び、どうしてこんなに効率の悪い作業を放っておくのかと聞くと、「父はそういう性分、今頃気づいたの?何を言っても父のしたいようにしかしないんだから、ほっとくといいよ。」と返します。

母のその返答を聞いて、父に長生きしてほしいからとあれこれ指図して、酒を控えろだの、食事に気をつけろだのうるさく言ってきましたが、イライラするのが馬鹿馬鹿しいと思うようになりました。

わたしにとっての父は効率が悪く、不器用で、いつも遠回りなことばかりをするむずがゆい存在ですが、律儀に井戸の番人をする姿をみていると、「あぁ、これがわたしの父だったな」と、妙に納得します。

「誰になんと言われようが、とりあえず自分の歩幅で過ごせばいいのか」と父から悟り、今日ものんびりゆっくり、わたしと娘は過ごすのでした。

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