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さざなみ

京都でむかえる初めての夏。

先日も34℃くらいまで気温が上昇し、ちょっと外を歩いただけでも日差しが肌に焼き付いて、汗が滲む。日焼け対策しなきゃなと思いつつ、太陽を思いっきり浴びるのが好き。生きてる感じがする。

6月で1年の半分は終わるわけで、毎年この時期になると色々と焦ったりしていた気がする。この時間の流れにもすっかり慣れたもので、こんなもんだったねぇとぼんやり日々を見送っている。

1月から毎月続いていたイベントも5月で一段落したので、6月は毎日のように呟いてたtwitterから距離を置き、いつもの日常をよりアナログに過ごした。

三重の鳥羽水族館にいるジュゴンに会いに行った。

ジュゴンのセレナ(女の子)は1986年にフィリピンでお母さんとはぐれて保護されたジュゴン

1986年に保護されたということは、おそらく私とタメなので、親近感が湧いた。向こうもじっと私を見つめていた(気がする)。ジュゴンは日本の水族館には1頭しかいないらしい。

37年もずっと水槽の中にいるのかと思うと、切なくなってしまった。お母さんや仲間のことを思い出したりするのだろうか? 私も檻の中で人間一人だったらとても寂しいと思う。生きているうちに仲間に一目会えるようにと願った。

海のベジタリアンと呼ばれるジュゴンは、海藻が主食だそう。こんなにおっきいのに、海藻かいと突っ込みたくなる。つぶらでのんきな目をしていて、動きもゆっくり。いっぱい海藻食べて、幸せに暮らしてほしい。また会いにくるね。

魚の鱗と鰭

魚の鱗を観察してたら、鱗の中にも細かい線が無数にあることに気づく。

手には手相があって、葉には葉脈があって、太い線のまわりには無数の細かい線がある。肉球にもあるし、虫の羽にも。なんて美しく、繊細な世界なのだろう。

世界最大の淡水魚のピラルクー。額の柄は遺跡のよう

ぼやけた世界で見るものと、解像度を上げた世界で見たものの感じ方は全く違う。

流れに身を任せるように日々を過ごしていたら、なければいけないと思っていたものって、意外となくても生きていけるなと思った。

久々にtwitterを開いたら、イーロンマスクがどうのこうのでtwitterが終わるとかなんとか。twitterに代わるSNSが爆誕していた。一ヶ月で何が起こったのか、浦島太郎気分。きっとこんな感じで、日々新しいものが生まれたり、消えたりしているのだろう。

SNSがない時代に青春時代を過ごした私は、毎日描いていた絵や漫画を、家族にしかみてもらえなかった。SNSが生まれてから、知らない人に自分の描いたものやつくったものを見てもらえるようになって、反応をもらえるのが嬉しかった。

だけど、簡単にバズって、一瞬で消費されてしまうのも実情。やさしいようで、薄い世界。

作品をつくって、人とつながって、イベントに出て、少しづつ仕事になろうとしている。今のタイミングで、自分の本音とよく向き合ってみる。

なんのためにつくるのか、誰のためにつくるのか?

私は自分のために描いて、つくっている。自分が想像したものを見るために。自己中だけど、偽りのないこの答えがストンと落ちてくる。

誰かのためじゃなく、自分が描きたいものを描いて、つくりたいものをつくっていくのだと思う。それをいいと言ってくれる人がいるのなら、最高にありがたいことだ。

自分の人生に大波はなかなか来ない。毎日さざなみ。さざなみは太陽や月の光も、水の中もよく見える。いろんな音が、よく聞こえる。

新幹線のような速度で、ピューンと走り抜けていく人を見ていると、羨ましいと思う。いろんな人が周りに集まる太陽のような人も。
じゃあ自分の特性はなんだろう?よく見て、よく聞いて、生まれた感情を、形にできることだ。

日々いろんなものや人が消え去っても、私には強い意志と、どんなアホな話や夢も真剣に聞いてくれる人がいる。それだけあれば、きっと大丈夫。


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