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どうしても『枕草子』の話をしたくなったから『枕草子』の話をする。壱。

こんばんは。しめじです。

一昨夜、昨夜と、『枕草子』を題材として文法のお話をしてきました。
今夜は、少し目線を変えて、文学史のお話をします。

もう、そのまま、『枕草子』のお話です。

『枕草子』といわれて、一体いくつの事柄を思い浮かべることができるでしょうか?

・作者は清少納言。
・「春はあけぼの」の書き出しが有名。
・平安時代の作品。

おそらく、NOTEという媒体に注目して、日頃から色々な知識や教養、見識を蓄えていらっしゃる方であれば、もっといろいろご存知だとは思うのですが、おそらく世間の大半ではこのくらいの認識しかされていないのが寂しいところです。

ということで、今夜は、ちょっとだけ踏み込んだ(語りだすと長くなるので、ちょっとだけ)枕草子の話をしようと思います。

清少納言ってどういう意味の名前?

実は本名が分かっていません。
この時代は、特に女性は本名の記録がほとんどありません。
名前は魂とつながっていると考えられていたため、滅多なことでは表に出さなかったからです。
(ジブリ映画の「千と千尋の神隠し」で、千尋が湯婆に名前の字を捕られて抜け出せなくなる、というシーンがありますが、あれはおそらくこれから発想されたのだと私は勝手に思っています。まあ、その真偽はどうであれ、「名前」の持つ重みの感覚は通ずるところがありますね)

ですので、清少納言も所謂世間に対して通っていた呼び名のようなもので、意味は「清原さんちの少納言さん」という感じになります。
清少納言は清原家の娘。少納言(当時の貴族の職名のひとつ)が一体誰を指すのか不明ですが(本人は当然少納言ではありませんでしたし、家族も少納言の職には就いていませんでした)、この組み合わせで呼ばれていました。
(ちなみに、本名は「諾子」だろうと推測されています)

なので、「せいしょう なごん」と発音されることが多いですが、正確には「せい しょうなごん」となります。

脱線しますが、「紫式部」も本名が分かっていません。
一時期は「藤原香子」ではないかという説も出ましたが、決定的な証拠がないまま今に至ります。
「紫式部」の名は、「紫の物語(「紫の上」という人物が出てくる物語、つまり源氏物語)を著した、家族(父が有力です)が式部(これも職名)の人」という意味です。全然本名関係ないんですね。

どういう内容?

清少納言が記した随筆(エッセイ)三百十九段からなる随筆集です。
長いものはそれなりの長さですが、短いものは一文だったりします。
ちなみに私の手元にある『枕草子』岩波文庫版は本文が訳350頁です。

ざっくり分けると、

・清少納言が素敵だと思ったものごと、あるいは素敵ではないと思った物事などを、テーマ別に並べた内容。
・貴族としての日常生活の様子を描いた内容。
・清少納言が仕えた中宮定子との日々を描いた内容。

などにわかれます。
この分け方が一番メジャーな分け方ですが、もちろん他の分類を主張している人もいます。

まず、一つ目の分類に該当する内容は、清少納言の観察眼が光ります。
何よりも、あれはよい、あれはよくない、とはっきり言いきる快活さが個人的にはとても好きです。

『枕草子』は「をかしの文学」とよく称されます。
「をかし」とは、「趣深い、風情がある」という訳をあてることが多いですが、

日本の古典文芸において一種の美意識を表す語で、美的理念を示すことばにもなっている。その用例は平安時代以後にみられ、基本的には対象を興ありと思う明るい快適な感情を主とすることばであろうが、美として優美に近いものを表す場合と滑稽(こっけい)を表す場合とが両極として考えられる。時代が下るにつれて滑稽に重点が移ってくるが、平安時代の文芸では優美に近いほうが優位を占め、そこでは同時代の「あはれ」の表すところに近似しているともいえる。しかし「あはれ」が対象に思い入った深いしみじみとした感動であるのに比べて、「をかし」は概して対象を外部から余裕をもってみて、そこに興趣を覚え快感を誘われて喜ぶような面がある。(日本大百科全書)

とあるとおり、対象に感情を動かされるときのエネルギーが大きい感覚の伴う言葉です。

いろんなものを「をかし」と言って興味深く見つめ、醒めるものははっきりという、そういうキチキチコロコロした人間性が、文章のテンポと相まって、古文のまま読めるようになるととても心地よい作品になっています。

また、清少納言は歌の名手でもありました。
歌の名手ということは、つまり、手っ取り早く言うと、もてるわけです。

そういったやり取りも、とてもウィットに富んでいて、大変ユーモラスです。
清少納言本人の話ではないですが、私が特に好きなのは八四段。

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ある時、宮中を離れて自宅に戻っていた清少納言は、自宅にまで人がやってくると煩わしいので(このあたりもまた清少納言っぽいですが)、夫などのわずか数名だけに居場所を教えていました。

すると、夫が清少納言のもとを訪ねてきます。なんでも、斉信という清少納言の友人が夫のもとを訪ねてきて、すごい剣幕で清少納言の居場所を教えるよう迫ったというのです。

あまりにも必死に聞き出そうとするので、つい吹き出しそうに、言ってしまいそうになった夫は、ちょうどそこに出してあったわかめを口いっぱいに頬張って堪えた、という話です。

と思ったら数日後、戻った夫から、「斉信がまだしつこく聞いてくるから、もう隠し通せそうにない」と文が来ます。もう言っちゃってもいい? という手紙なのですが、それに対して清少納言はわかめを包んで送り返します。
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どうですか、この猛烈にコミカルな展開。
ちょっと内容を説明するにあたって誇張した部分がないわけではないですが、でも本当にこういう軽妙でコミカルな話もたくさん収められているんです。

でも、『枕草子』には別の側面もあります。
その側面があるからこそ、リア充貴族日記みたいな感じにならず、一人の「人間」が立ち上がる随筆の傑作と称されるわけです。

続きは、また明日。
では、今夜はこの辺で。


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