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時事雑感:部活動の「休日は外部へ」に対する所感。

こんばんは、しめじです。

今夜は、こちらのニュースから。

記事の概要

・文科省が、休日の部活を外部委託する仕組みを3年後を目途に施行予定。
・休日の部活動は「地域部活動」へ移行する予定。
・退職者などを中心とした人材確保や、保護者の費用負担の軽減策を検討していく。
・対象は主に中学校だが、高校も同様の方向で進めて行く予定。

1 そもそも、部活動の意義とは。

まず、基本的な前提として、学校教育の「部活動」って何を目的に運営されているのかを知っておく必要があります。

部活動は、学校教育活動の一環として、スポーツや文化、学問等に興味と関心をもつ同好の生徒が、教職員の指導の下に、主に放課後などにおいて自発的・自主的に活動するものであり、学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意すること。その際、地域や学校の実態に応じ、地域の人々の協力、社会教育施設や社会教育関係団体等の各種団体との連携などの運営上の工夫を行うようにすること。

これが、学習指導要領に示される、部活動に関する記述です。
(1章総則に示されています)

つまり、部活動というのは、

・同じスポーツや文化、学問に興味関心を持つ仲間が集まること。
・教職員の指導の下で行われること。
・自発的、自主的に活動するものであること。
・教育課程と関連すること。

という条件を満たしたもの、と言い換えることができます。
で、おそらく「部活動」に関する話をややこしくしている(意見がものすごく色んなヴァリエーションを持って展開されている)ポイントは、

教師の指導の下」の部分。

「教師の指導」が、具体的に何を指すのか、ということが示されていません。
競技力向上のための指導なのか、安全に活動するための指導なのか、生徒の自主性を引き出すための指導なのか、どれなのか、あるいは全てなのか、明確ではない、ということです。

私個人の、主観的な感覚としては、教師に求められているのはおそらく後ろ二つです。
安全に配慮すること。
そして、生徒が自分たちの意志で活動内容、方法、目標を決め、そのために互いに律しあいながら組織として機能する状態を維持すること。

安全に配慮することについては、子どもが「学校にいる時間の監督責任を負う」のは教師だという明確な事実からも明らかだと思います。
現に、そういった安全配慮を怠った教員(ならびに、それを雇用している自治体)の責任を明確にした判例も数々存在します。
(平成16年の愛知県一宮市の熱中症に関する判例などが一番有名ですかね。学校側の責任を認め、4000万円の賠償を命じています)

二つ目の、生徒の自主的な活動を維持するというのも、これがそもそも最も教育課程と近いことを言っています。
ですから、おそらくこの「指導」も、教師の業務の範疇でしょう。

問題は一番上。
競技力の向上。これが教師の仕事かと言われると、微妙なところです。

もちろん、運動部にせよ文化部に所属するにせよ、試合なりコンクールなりコンペティションなり、何らかの「競争」に飲まれる以上、勝たせてあげたいのは人としての当然の情でしょう。

ただ、その割には各学校にその競技の技術指導が出来る人員を全て配置する、ということを自治体はやっていません。
私も今でこそ自分がずっとやっていた競技の部活動の顧問になっていますが、初任校では実際の試合すら見たことがない競技の顧問になりました(しかも一人で)。
また、今日の様々な流れを見る限り、あくまで勝利を目指して励むことの優先順位は高く設定されていなさそうです。

2 教員が教員にできないことを教え、教員じゃない人が教員みたいなことを教える。

私が競技力向上のための指導が本質的に教員の仕事ではないと考える一番の理由は、私たち教員のほとんどが、部活動における競技の技術指導について専門的に学んでいないということです。

確かに、さまざまなスポーツで結果を出してきた人はたくさんいます。
私も、別に国の代表になったとか、そんなすごいものではないですが、例えば今いる部員の誰よりも上位の結果をおさめた経験があります。

じゃあ、教えられるかと言うと、そもそも別問題です。
出来る、と、教えられる、は、全く別のスキルです。
(例えば、現代文の授業で、「読んだらわかるじゃん、書いてあるじゃん」を繰り返す先生がいたら、困るでしょ。)

スポーツという、身体感覚などと密にかかわるものごとを指導する専門的な職能は、はっきり言って体育の先生しか持っていません。

だから、どんなに自身がすごい競技実績を持っていても、それを教えるスキルがあることは保証されていないわけです。

一方、地域のスポーツクラブの先生方は、本当に技術指導のプロです
我々では、基本的には全く敵わない。
(民間のチームやクラブが多く存在していてその活動も活発な競技だと、強い所はただ高体連の試合に出るために学校の部活動の名前を使っているだけで、部員はほとんど部活に来ずに民間チームで活動している、なんていうケースも存在します。それくらい、競技指導力が圧倒的です。)
でも、先ほど挙げた三つの要素のうち、最後の一つについては私たちの方がおそらく職能としては専門的です
(もちろん、個人差があることではありますが)

3 ねじれを解消するために。

つまり、競技指導のプロでない我々に、競技指導を求める今の学校の部活動も大いにねじれています。一方で、仮に部活を全部外部に、となると、それも「学校教育」に対してはねじれてしまいます。

となると、取れる手段は二つ。

一つは、技術指導のプロであるスポーツ指導の専門家と、組織機能の自立的な維持にたけた学校教員がちゃんとフェアな立場でタッグを組むこと。

二つ目は、部活動における「指導」の範疇をもっと明確に定めること。

今回の、「休日は外部に」というのは、この一つ目を実現させていくプロセスとして有用なのではないか、と思います。

きちんと、高水準の技術指導も受けられる。
平日は部員がそれを持ち寄って、生徒同士が学んだことを伝えあいながら、自分たちで練習する。私たちは、そうすることの意義を伝え、生徒たち自身の手によって向上していこうとする部活になるように細かな軌道修正をし続けていく。

そういう風に明確な住みわけが出来れば、少なくとも、右も左も分からぬ競技の部活の顧問にされて、でもちゃんと指導できなきゃというプレッシャーから、無給で研修に行ったり自腹で指南書買ってきて授業準備に充てられる時間を部活の勉強にあてたりする先生はいなくなるのかな、と思います。

部活動というシステム自体は存続する以上、やるからにはそこで教育的に意味のある事、価値のあることをしたいというのは多くの教員も思うことだと思います。

ただ、その限度と範囲が示されないせいで、際限なくやらなければならない状況に追い込まれている人がいるのも事実です。

少しでも、これによって生徒にとっても我々にとっても健全な方向に物事が転がっていくと良いなと思います。

読み返してみたらちょっと文章がとっちらかってしまいましたが、今夜は、この辺で。


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