【オト・コク】「人間万事塞翁が馬」って、どういう意味?

こんばんは、しめじです。

今夜は、故事成語の一つ、「人間万事塞翁が馬」の元となったお話について、ご紹介します。

例えば、「猿も木から落ちる」とか、「二階から目薬」とかいう「ことわざ」であれば、なんとなく何を言いたいのか見当がつきます。

「猿も木から落ちる」なら、樹上にいることの多い猿が木から落ちるわけですから、名人も失敗することを指しているだろうと思いますし、「二階から目薬」は確かに無茶です。

余談ですが、子どものとき、夏休みの自由研究で「ことわざを実際にやってみた」をやったことがあります。

友人宅の猫に、母親から借りた真珠のネックレスを与えてみたら全く見向きもされなかったり、ぬか床に釘を刺してみたり、家族がよく行っていた歯医者さんに「今日のお昼は歯を磨きましたか」って尋ねてきょとんとされたりしました。もちろん、二階から目薬もさしてもらってみましたが、惜しいことに口に命中。結構その目薬は苦かったですね。

さて、これらのことわざは言うなれば単なる比喩であって、結構わかりやすい。

でも、故事成語はそうもいかないことが結構あります。

例えば以前紹介した「完璧」も、なぜこれで「パーフェクト」を意味するのかは、字面だけではわかりません。「杞憂」「四面楚歌」などもそう。

そして、「人間万事塞翁が馬」なんかは、その筆頭ではなかろうかと思います。
「人間万事」とありますから、ここは「人間何事も」だろうとは見当つくと思います。
(ただ、これは「人間(にんげん)」というよりは「人間(じんかん=世の中)」と解釈したほうが適切だとする考えが主流です。なぜなら、中国語では人のことを「人間」と表記しないからです)
でも、「塞翁が馬」ってなんだよ!! という感じではないでしょうか。

というわけで、今夜は、「人間万事塞翁が馬」の出所となったお話を紹介したいと思います。

「人間万事塞翁が馬」の意味。

人生の禍福は転々として予測できないことのたとえ

(小学館「大辞泉」より)
つまり、何が幸いとなり、何が災いとなるかは分からないということです。
良いことが起きたと思っていたらそれが実は自分の不幸のきっかけになっていることもあるだろうし、不幸に見舞われたと思ったらそれが思いがけない幸運を招くこともあります。
世の中はそういった複雑な幸不幸が絡まりあったもの、幸不幸は表裏一体のものごとだ、ということを示しています。

禍福は糾(あざな)える縄の如(ごと)し」という言葉も同様の意味を持ちます。

「塞翁が馬」だけで使うこともありますが、意味は変わりません。
一喜一憂してもしかたがない、というメッセージとして使われることが多く、何か不運に見舞われた人に「くよくよするなよ」という励ましの言葉として使われることが(私の主観としては)多いかなと思いますが、当然、「浮かれるなよ」という戒めの意味でも使えます。

「人間万事塞翁が馬」の出典。

出典は、「淮南子」という書物に収められた一つの話です。
「淮南子」とは、秦の時代に建てられた淮南(えなん)という国の王、劉安が学者を集めて編纂させた思想書です。今から2200年ほど前のものになります。
淮南は淮河という川の南の地域であり、今日も淮南市という名の町があります。上海から西に500㎞ほど行ったところにあります。

ちなみにいうと、この出典は「城塞のへりに住んでいた翁の馬の話」だ、というだけであって、この話のタイトルが「人間万事塞翁が馬」だ、というわけではありません。だから、出典と言うより元ネタと言ったほうが正しいかもしれませんね。

原文。

近塞上之人、有善術者。馬無故亡而入胡。人皆弔之。其父曰、此何遽不為福乎。
居数月、其馬将胡駿馬而帰。人皆賀之。其父曰、此何遽不能為禍乎。
家富良馬。其子好騎、墮而折其髀。人皆弔之。其父曰、此何遽不為福乎。
居一年、胡人大入塞。丁壮者引弦而戦、近塞之人、死者十九。此独以跛之故、父子相保。
故福之為禍、禍之為福、化不可極、深不可測也。

大体の訳はこんな感じ。

町をぐるりと囲む城壁の近くに、占いの達人がいた。飼っていた馬が逃げ出し、城壁の向こうに住む胡(匈奴。遊牧騎馬民族)の領土へいってしまった。人々はみな見舞ったが、その老人が言うには、「どうしてこの出来事が福を招かないだろうか、いや、招くのだ」とのことだった。
数月して、その逃げ出した馬が胡の優れた馬を率いて戻ってきた。人々はみなその老人を祝ったが、その老人が言うには、「どうしてこの出来事が災いをなさないだろうか、いや、災いをなすのだ」とのことだった。
家は優れた馬に恵まれたが、その老人の子が落馬し、脚の骨を折ってしまった。人々はみな見舞ったが、老人が言うには、「どうしてこの出来事が福を招かないだろうか、いや、招くのだ」とのことだった。
一年して、胡が大挙して城壁に攻め込んできた。屈強なものは弓をとり戦い、城壁の近くの人々の死者は十九に上った。しかし、脚の骨を折っていたため(息子は戦いに招集されず)、息子と老人は互いに無事であった。
というわけで、幸運が災いをなすこともあるし、災いが幸福を招くこともあり、その変化を見極めることは出来ないし、その変化の奥深さを予測することも出来ないのである。

というわけで、

馬が逃げ出した(禍)

その逃げ出した馬が、たくさんの馬を連れて戻ってきた(福)

馬に乗っていた息子が骨を折った(禍)

骨を折っていたおかげで戦いに巻き込まれずに済んだ(福)

という、禍と福が、互いが互いの原因となっているというお話です。
いかがでしょうか。これで「塞翁が馬」ってどんな意味だっけ? と思い出せなくて困ることも、「塞翁が馬」って使いどころあってる? と不安になることも無くなるのではないでしょうか。

では、今夜はこの辺で。

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