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多分、人生の総読書量の20%は大学生の時の読書が占めている。

こんばんは。しめじです。

今日、私の勤める自治体では県立高校入試がありました。久々に制服を着た人を見たように思います。まあ、だからといって何か感慨があるかというと、特にはないのですが。今はまだ、今日受けた中で合格して、入学してくれる子どもたちが、スムーズに新しい生活を始められるかが心配でなりません。

入試といえば、明後日からいよいよ国公立大学後期も始まります。ここまで粘っている人、最後の一踏ん張りですので、いい結果が出て欲しいと思います。

もしも、後期も第一志望の大学で出願していて、でももう受験生でいることに疲れたりして、他の大学で「手を打った」という人がいたら。

悪いことは言いません。(もう入学金も払っちゃったら別ですが)、後期受けに行ってください。心の中で手を打ったのであれば、通れば儲けもの、落ちて元々です。受験料ももったいないです。行ってみたら試験会場がガラガラだった、なんてこともあります。

何より、この1年間とか2年間、やり通せたのは自分の力によってだけではないはず。親とか、友達とか、それが誰かは人それぞれでしょうが、純粋に自分を応援してくれていた人はいるんじゃないかと思います。最後までやり通すのも、筋の通し方、義理の貫き方の一つ(あくまで、一つ)です。

さて、今夜は、特に大学受験が終わってから、大学入学までにやっておくといいだろうこと、についてお話します。

人文科学を学ぶ学科の場合。

本を読む。

それも、大量にです。200〜300ページくらいの教養新書であれば、一日で読み切るのが平気なくらいにはなっておくといいです。一文一文きっちり理解することが求められる専門書なら、何ページとは言いませんが、そういう本を一日5時間前後は平気で読める体力はあった方がいいです。

大学での「調べ物」は、ネットで検索してヒットしたブログ記事を読むのとは訳が違います。情報量は膨大です。

また、学問分野にもよるのでしょうが、学問は先人の積み重ねの上にさらに積み重ねていく作業ですので、自分で研究して論文を書く段階に入れば、いわゆる「古典」の内容は知っていることが前提になってきます。

せっかくあれこれ考え、自分なりに調べ、なんとか文章の形に仕立ててゼミに持っていったのに、教授から「あー、これは○○って学者が書いた『■■』に書いてあることだね」などと言われたら目も当てられません。

そういうこともあってか、文系学部は1、2年生のうちに大量の本を読むことを要求されます。とる授業の組み合わせ次第な部分もありますが、私は基本的に毎週最低5冊は読まされました。読まされたものだけで5冊以上。そこに自分の関心のある分野も加えれば、自然と週10冊近く読むことになります。

ちなみに、その「読まされた本」は、大学の図書館で借りたものや、先輩から譲り受けて後輩に譲ったものが多いので、手元にはあまり残っていませんが、とてもよかったものについては自分で買いなおしていますし、読んで無駄だったなと感じた本はほとんどありません。記憶にある限り、読んでいる途中で放棄したのは2冊、多くて3冊です。

大学教授まで上り詰めるのは至難の技です。特に文系学部の場合は実用的ではないのでお金ももらえません。結構大変です。それでもその研究に情熱を傾け、教授や准教授まで来た人たちが選び、「読め」と言っている本です。普通に考えれば、素人である我々の判断よりは正しいでしょう。

また、「議論」も大事な大事なパートですが、基本的には正しい知識をお互いに共有していることが前提です(それが不足している相手とだと議論にならないんです)。結局、読んで学ばなければならなくなります。

別に、ここまでしないと卒業できないわけではありません。本を読んでレポートを書く課題は目次だけ見て済ませた人もいましたし、別にゼミの討議で役に立つこと、意味のあることなんて一言も発せなくてもちゃんと出席していれば単位はもらえます。

でも、大学にいく以上はちゃんと学びたい、と思うのであれば、少しでも「本を読む体力」はつけておいた方がいいのではないかと思います。

書き始めたら長くなりました。ちょっと分けます。ですので、今夜はこの辺で。

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