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日本一の酒好き大学生が日本酒業界のトップランナーになった訳         〜酒蔵インタビュー Vol.1 新澤醸造店〜

「新澤醸造店」の人気銘柄である「伯楽星」や「あたごのまつ」は、日本酒にこだわる飲食店で見かけることの多いこと日本酒です。

他にも精米歩合7%の「残響」や1%未満の「零響」といった日本酒業界最高峰の磨き具合(お米を削らない元の状態で100%とし、数字が下がる分その分お米を削っているので高価になっていきます。50%以下まで削ったお米でつくると大吟醸、純米大吟醸と言えます)の酒などもリリースしている新澤醸造店。
日本酒業界屈指の実力蔵の代表を務める新澤巌夫さんです。
新澤さんのことは、僕が日本酒を勉強し始めた15年程前からずっと注目をさせて頂いていた方なのですが、今回はお忙しい中お時間を頂戴しました。

お店にあった新澤醸造店のお酒 酒場の純米大吟醸は宮城県6軒と東京の筆者のお店のみでの提供

今後もお酒造りのこだわりやお蔵の背景や経営者としての考えを主にお聞きしていくインタビューシリーズを続けていく予定です。今回はその第1弾となります。

人の行手の逆に航路を見出す


新澤さんは、東京農業大学醸造学部在学中、地酒酒販店で有名な朝日屋酒店や日本酒をおく居酒屋でアルバイトをしつつ、全国の酒蔵を巡り利き酒大会での日本一も獲得。大学卒業後、生家の新澤醸造店に入社しました。

入社当初の20代前半は、廃業を常に意識しながら経営の舵取りをしていったといいます。
「日本業界の中でも割と沢山の挑戦と失敗を繰り返した方なのではないかと思う」という新澤さんですが、僕が特に記憶に残る挑戦は、無濾過生原酒全盛期に「究極の食中酒」というフレーズで「伯楽星」をリリースしたことです(食中酒と言う言葉自体を日本で使い始めたのも新澤さんです)。

新澤醸造店の元々の銘柄「あたごのまつ」は当時はあまり人気がなく、どう頑張って酒質を上げて賞を取った時も売り上げにつながりませんでした。また、十四代や飛露喜等を筆頭に生原酒などの甘味の多い、どちらかというと単体でそのまま飲むような日本酒が流行っていた頃です。

料理に例えるなら様々な味を足していく洋食と、食材の味を最大限にいかすために手間はかけても味を足さない和食の引き算の美学があると言われています。
この和食の料理人と同じ引き算の考えと、当時の日本では使われていなかった『食中酒』といわれるフレーズに注目し、繊細な香りと甘さを控えた味わいで食事の美味しさをより際立たせるように造った「伯楽星」を『究極の食中酒』として売り出しました。
とはいえ、リリースした当初は全く売れなかったそうで、現在は、日本で有数の設備投資をしている蔵も一時期は売上の約半分が借金の利息だったこともある程で、大切な現金収入である店頭売りの店番のために妹さんの結婚式にも出れなかった事もある程でしたが、数々のアイディアで乗り越えていきます。

さらに新澤さんは販売方法においても当時としては画期的な方法を行いました。
一般的に酒蔵さんは取り扱ってくれている酒販店(酒屋さん)にご挨拶も兼ねて訪れる事が多いのですが、ご挨拶に行って「売って下さい」とか「1本付けします」(何本仕入れると1本サービスするといった営業方法が当時は多かった)などと訪ねても長期的には意味がないことは、大学時代の地酒の取扱で有名な酒販店の朝日屋でのアルバイトで新澤さんは気づいていました。

でも、お酒が売れなくてはその先にある「高いクオリティのお酒を安定して出していくこと」は無理だと考え、お金はなくてもインパクトある取り組みの一つとして、現在ではフレッシュローテーションと言う取り組みを酒販店への訪問時に取り入れ始めたのです。

フレッシュローテーションとは、
例えば5℃×10日間=50、20℃×5日間=100、−5℃×20日間=0、というように、0℃以上での保存=品質の劣化という考えのもと、この数字を加熱殺菌をした火入れ酒でリミットを 1000、加熱殺菌していない生酒の場合500を見安に数値を超えたお酒は回収し、数値を超えなくても製造から6ヶ月経過したお酒は交換する事で、栓をあけて口に入るまでを計算して造られています。
(熟成タイプのお酒や、封を開けてから味が開いてくるお酒などもありますが、このフレッシュローテーションとは合わないお酒という認識と、お蔵のお酒の方向性上言及しません)

三方よしの発想


それまでの常識だったお酒を出荷してお終いではなくて、最終的にお店や家で飲む際のクオリティを上げることを目標に、全国の出荷先の酒販店(酒屋さん)を訪ねて時間の経過したお酒を新品と交換するサービスを始めたのです。

このアイディアには商売においてとても大切な要素が込められています。
それは、近江商人が唱えた「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」である点です。

第1に、蔵元に取っては手間と経費はかかるが、出荷したお酒が蔵元の飲んで欲しい状態でグラスに注がれるようになるのと、さまざまな出荷したお店の管理方法によりどのように変化したかを知ることができ、その後の酒質改善へのデータ収集にも役立ちます。

第2に、酒販店から購入したお客さんや飲食店に出来たてのお酒が届く事になり、酒販店もラベルに書いてある出荷の日付が新しいお酒を販売できる(販売がし易い)という点です。

第3に、消費者が蔵元が望む美味しい状態の日本酒を飲むことできるという点です。

新澤さんは、日本酒業界においてのフレッシュローテーションの旗振り役と僕は思っているのですが、例えば家庭用の−5℃で補完できる日本酒セラーの開発にも携わっています。(この他にも監修に加わった日本酒セラーも)


アクセルとブレーキと軽量化の重要性

『お酒にぶっかける(投資する)ために、経営を勉強し売上を上げてきました。』と、インタビュー中におっしゃっていたのが印象的だったのですが、宣伝費の代わりに最先端の設備投資とともに、人にしかできない作業をいかに作業を高度に、そして早くできるかを追求し続けてもいます。

日本酒業界最高峰の精米歩合のお酒やそれに続くラインナップとともに、純米吟醸や純米酒など一般的なお酒のクオリティの底上げに繋がるような扁平精米機の導入などの大胆な設備投資を行なったのはその代表的な例です。

設備投資や大胆な商品の投入などのリスクを取った攻めのアクセル、軌道修正が必要な際に素早く踏む事が大切なブレーキ、そして日々の作業の効率化を追求し続けることで得られる経営の軽量化にもつながります。
文字にすると簡単なようですが、実際にこれらを全て行うのは容易ではありません。そこには新澤さんと彼を支えた杉原さんという右腕、そして若くても一流の技術と意識を持つ蔵人たちの存在がありました。

逆風に屈しない姿勢と利他の精神

東京農業大学を卒業し蔵に戻った当時の新澤醸造店のお酒は、宮城県の出品酒の中でも最下位に近い成績でした。東京農大で酒造りを学び、沢山の蔵を見てきた新澤さんは、このままでは蔵が潰れてしまうと感じ、蔵人を若い人たちに変える改革を行います。

組織を変えようとする時に、変化を望まぬ人がいるのは、そのスピードを遅らせてしまうし、時には頑張って進化した分を帳消しにしてかつマイナスにしてしまう事もままあります。
元々がマイナスからのスタートの中、それでは無理だと思い、経験はなくても一緒に前を向いて進める同年代の仲間を集めて先ず第1のスタートを切ることを新澤さんは選びました。

無濾過生原酒ブームの時の食中酒「伯楽星」のリリースや、お酒の回収と品質チェック、日本酒仕込みのリキュールも人気を得て、その後は順調に有名蔵へと育っていく新澤醸造店ですが、そこで2011年の東日本大震災が起こりました。

仕込み蔵が全壊認定を受けるほどの損傷を受けつつも、全国から蔵元や酒販店、飲食店などの応援の人たちが駆けつけたそうですが、それはそれまで新澤さんがしてきた数々の他社、他者への利他の精神から来る行動の結果によるものだと僕は知っています。(本人は「業界の事なんて考える余裕もない。酒好きの自分がワクワクする事を追っているだけ」なんて言っていますが、、、、)

全国からの応援もありなんとか酒造りを再開するも、震災で土台がかたむいた築100年以上の蔵を立て直すか、移転をするか迷いに迷いました。
酒蔵とはその土地に根ざして長い年月をかけて商売をするのが当たり前という思いと、立て直すには膨大な時間と金額がかかること。
考えに考え続けていた時に、蔵のある宮城県と山形県の県境の山間に設備の整った酒蔵が売りに出されたという情報が新澤さんの元に入ります。

震災を機に新しい蔵への移転

元の宮城県三本木の蔵からは70キロほど離れてはいるが、割と大きく設計された設備と、美味しいお酒を造るのに欠かせない綺麗な湧き水が豊富に出るというのもあって、即決で蔵の移転を決めます。

蔵内の動線も良くなり、綺麗な湧き水も豊富に使える事も含め「結果的にこれが大正解でした」と新澤さんはいいますが、正解になるべく熟慮と選択と実行をし続けてきたからでしょう。
そして考えに考え抜いた人だけが、他人からは思いつきかと思われてしまう程の即断ができるのだとも同時に思います。
↓以前、限定酒「酒場の純米大吟醸」を取り扱わせていただいている飲食店メンバーでお手伝い(お邪魔)させていただいた時の動画


とは言え、それまでの蔵から長距離の出勤を承諾するスタッフは1割ほどしか残らず、募集をかけても人は集まりませんでした。
↓SAKETIMESさんの記事より


社員への想いと実践していること 

そこで新澤さんは出身校の東京農大に新卒の募集をかける事にします。
実際に僕は何人も東京農大卒業生の新澤醸造店の社員の方とお会いし、仲良くさせてもいただいていますが、皆本当にお若いのに聡明で情熱のある素晴らしい方たちであり、それは多分お会いした日本酒業界の方も良くご存知なのではないでしょうか。

数年前には、東京農大の短大卒業の社員の方が日本最年少の杜氏になったと話題になりましたが、他にも素晴らしい社員の方々を知っている身としては、採用基準や離職率の少なさ、その後の活躍の様子を拝見していてずっと気になってもいました。

そこでストレートに「社員の方へはどの様に接したり、教育方針などをお伝えしたりしてるんですか?」と聞いてみます。

「親御さんにとっては、この宮城の山の上の蔵に一人娘が働きに来るわけじゃないですか?(東京農大卒業生の社員はほとんどが女性)。
昔のうちの蔵ではあり得なかったようなありがたいことですから、常に僕らが彼らにできることは何かと考えます。
例えば`昨日の自分と同じことをしているなら、それはどこでも誰でもできることかも知れない。こんな大変な時代だけれども、将来の幸せの為にあなたはどんなカードを切るんですか?`と言った感じのことを聞いたりして、社長の言うことを聞く人材ではなく、自分で経験したことから自分の将来を考えられるような人材になって欲しいと言う思いを持っています。」

福利厚生の一環として、社員全員に車の支給も行なっていますが、うちは軽自動車ではなく普通乗用車を支給しているのも、その方が普段の生活でも軽自動車だからと我慢せず遠くに行けて、実生活での世界を広げて欲しいと言う思いからです。

また、イベントや授賞式などにもなるべく社員に行ってもらうようにしていますが、例えばイベントがホテルで行われる場合は(都内でも最高峰のホテルばかりです!)イベント担当の社員にそのホテルに実際に泊まってもらって、レストランの食事やルームサービスやプールなどを経験してもらったり、海外の授賞式に出る社員にはスーツを仕立ててあげつつ、現地で行える一石二鳥ではなく一石五鳥的な実を結ぶアイディアを考えてもらったりしています。
会社の外に出たらそれぞれが新澤醸造店の代表として、振る舞い体験してもらう事で、プレッシャーはあると思いますがどんどんと人が成長していくように感じています。

実際に新澤醸造店は酒造りに限らず事務作業や全ての作業においても徹底して無駄を省き、1日の労働時間は基本6時間45分(現在は7時間)×週休2日制を維持しつつ、離職率の低さも業界水準ではトップクラスで、厚生労働省が認める若者を積極的に採用&育てているというユースエール認定企業にも認定されています。

分社化で広がる可能性

新澤醸造店はここ数年で新しいく蒸留酒のジンの蒸留所の会社や、酒米の精米会社を立ち上げたのですが、これも将来的に福利厚生や企業年金的なことに繋がればという想いが新澤さんにあると言います。

「それぞれ分社化した際に社員の方に株も持ってもらい設立しました。会社が成長していけば自身の退職金のようにもできますし、何より経営感覚が養われるからです」
宮城県産品を主に使ったジンの蒸溜所のわかり易い記事は吉田酒店さんのこちらの投稿を↓


日本酒好きの方はご存知かも知れないですが、酒米の精米作業は専門の会社に依頼する事がほとんどなんです。
新澤醸造店では自社(現在は関連会社)で精米をするきっかけになったのが、以前偽装米事件と言うのがありニュースになったことを覚えている方もいらっしゃるかもしれませんが、その頃、新澤醸造店でも万が一と思い、精米を依頼して戻ってきたお米を検査に出したところ、山田錦に別のお米が混入されていたことがありました。
「その件は裁判を起こして終了したのですが、その後精米をどんどん極めていこうとなっていたので、それでは自分達で最高峰の設備を取り入れて自前でやることで『安心』と『クオリティ』の両方が向上しました。」

現在では扁平精米機2台と一般の精米機を4台設置し、熟練の社員が担当しており、他のお蔵からの精米の依頼も受けていて現在はほぼ100%に近い稼働率だそうです。80型の超特殊な扁平精米機を導入している蔵は「大七」「新政」と新澤醸造店、あと1、2社あるかなというくらい凄い機械なんです。
↓さぶん酒店さんの参考記事

普通のお蔵であれば導入に二の足を踏む様な最先端の設備ですが、それを熟練といわれるレベルで扱えることで、その他の製品のクオリティの底上げにも繋がっています。
さらに、他社からの精米依頼を請け負うことで高額な設備費への投資の回収を早くすることまでできている点は、新澤さんとの話に度々出てきた「一石五鳥」と言う言葉のとおりだなと、規模は違えど同じ経営者としても本当に驚かされます。

チャレンジ精神の源

業界の中でも際立つ程に様々なチャレンジをしてきた新澤さん
新しいことに挑戦する時って誰でも躊躇したりすると思うんですが、新澤さんはチャレンジをする時にどう決断するのかをお聞きしました。

「カッコつけずに悔しいときは悔しいと口に出して思うことです。例えば他のお蔵の新しい試みやお酒の品質等で凄いなと思った時に、キチンと悔しがれないと私はエネルギーが出ないんですよ。
クールな感じを装って『他所は他所だから』とは思わず、どうしたらうちならできるかどうやっていったら少しでも近づくことができるかと考えます。

子供の頃のかけっこの様に負けたらキチンと悔しがり、そしてどうしたら早く走れるか、良いものを作れるかと挑戦しては沢山の失敗をしてきました。
失敗の数で言えば割と多い方だと思いますが、その分新しいことに挑戦したとも思うのです。

戦国武将は負けたら自分自身はもちろん、国がなくなり家臣も露頭に迷うわけで、僕も潰れる間際の蔵を背負って今まで走り続けてきましたが、今後もマニアックな酒飲みの一人として、まず自分がワクワクすることを追い求めていきながら、良いお酒と良い人材を輩出する蔵でありたいです。」

只管打酒゛(しかんたじゅ)

新澤さんの話を沢山お聞きし頭に思い浮かんだ言葉があります。
仏教の言葉で「只管打坐」(只管打坐)と言う言葉です。

しかんたざ【只管打坐】
禅宗の用語で、雑念をいっさい捨て去って、ただひたすら座禅を組み、修行すること。ただひとすじに、一つのことに集中すること。
goo辞書

新澤さんは発想の転換の天才であり、そして行動力の塊です。
最先端の機械装置と共に職人の先輩として社員を育ててきました。
そして、今その両輪を持つことで、最高品質のお酒の安定した製造を、少ない人数のプロたちと行うことで、また次の時代に向けた挑戦への投資へ。
と言う、最強のスパイラルを実践しているように思います。

ただひたすらに、そしてひとすじに日本酒の事を考え続け新澤醸造店を大きくしていった新澤さんを見ていて只管打酒゛という言葉を思いつきました。
自分の好きな事楽しいと思うことを突き詰めているだけという新澤さんですが、結果的に日本酒業界の発展にも寄与されている彼のお話に、小さなお店ではありますが経営者として多くの事を学ばさせていただいた気がします。

最後に
日本酒を始めた頃に行った蔵元さんを囲むイベントで出会ったのが同い年で酒造りに命をかけて頑張っている新澤さんでした。
彼の情熱とユーモアと教養のあるお人柄に魅せられ、それ以来ずっとファンです。
今後も経営者としての切り口多めなインタビューも投稿していきますので、よろしければフォローをお願いいたします。
当店、五反田「SAKE story」は3ヶ月ごとに特集地域を変えてお酒もガラッと変えているのですが、新澤醸造店が誇る「残響」と、新澤さんと親交の深い宮城県の6軒の日本酒のお店と当店だけでの取り扱いの「酒場の純米大吟醸」は常に置かせていただいておりますので、少しでも僕の知っている彼のストーリーと一緒にお酒を楽しんでもらいたいと思っています。お飲みになってみたい方はお越しいただけたら嬉しいです🍶
どんなお店かはクリーミー大久保さんの記事を是非ご覧ください♪

名物社員さんの戸田ちゃんがずーっとアテンドしてくれつつ、お酒もアピールしてくれました
参加メンバーは宮城県でも有数の日本酒酒場の皆さん(僕はお腹にiPadを入れてるので太っているように見えますが、実際に人生最高体重突破しておりましてウォーキングを始めました)
2時間に渡って杉原専務からお話を伺いました
酒場の純米大吟醸参加店舗で仕込みのお手伝い&見学に行った写真
限定酒「酒場の純米大吟醸」が逆さに写ってる、、、と新澤さんと僕
お店のマスコットLOVOTのLOVOTの「おちょこ」を気に入った様子の新澤さん


一部校閲ご協力:江六前一郎さんありがとうございま


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