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『愛の争闘』というめちゃくちゃ感想を書きづらい大正時代の日記について

 どうもMr_noiseです。
僕の手元に今、岩野清子著『愛の争闘』という本があります。
大正時代の女性が書いた一風変わった日記なのですが、皆さま内容をご存知でしょうか。

 知らんけど、「愛」について書かれた本なのでしょう?って思った方、正解です。この本は著者の岩野清子と夫であり作家の岩野泡鳴の生活と愛の形について書かれ、大正四年(1915年)に出版された日記です。

 なぜ個人的な日記を岩野清子が出版するに至ったかはおいおい説明するとして、早速本文の一部を読んでもらおうと思います。もともと旧字体である部分を新漢字に直して、引用します。

 私はかうした月下に立つて、自分が月の精に吸ひこまれてしまつた。涙がおのづと目に溢れ出した。美の悲哀とでも云ふのだろう。
「私はかう云ふ所で死にたい」と私は思はず声に出してしまつた。すると岩野氏は、「序だから断はつておきますがね。万一あなたが自分勝手に自殺をするやうな事があれば、昔愛してゐた女だ位には思ふでせうが、決して同情はしませんよ。」と云つた。

  岩野清子が月下でロマンチックな死に方へのあこがれを語ったら、「そんな死に方したら同情しないからなと泡鳴につっこまれています。夫婦のたわいないじゃれつきのようにも見えるかもしれませんが、何か他人行儀であまり仲良くない感じの言い方にも見えないでしょうか。続きを見ていきましょう。

 「あなたが構つて下さらなくつても、私の死骸位、広い世界のうちには片付けてくれる人もあるでせう。」私は恋も愛もいらなくなつたのでかう云つて答へた。
 「いや、それは責任上後始末はします。然し本当に相手を愛してゐるのなら、どんなに苦痛があつても離れまいとするものです。最も熱烈な愛ならさうなるものです。自分で自殺をするのは僕を去つて行くのです。僕はそんな人に同情はもたない。」と君は云つた。

『愛の争闘』四月二十三日の日記より

 「あんたじゃなくても、誰か私の始末はしてくれるよ」と清子は答え、「後始末はするけど、本当に愛してるなら、愛している人を残して自殺なんてしないし、そんな人に僕は同情しない」と言っています。

 たわむれや冗談の類かと思ったら、本当に自殺する前提の話をし、なぜか二人は愛について言及しています。清子は「私は恋も愛もいらなくなった」と。泡鳴は「本当に愛しているなら、どんな苦痛があっても離れまいとする」と。この時点で二人は愛し合っていないし、愛に関しての考えも違う。テキトーに開いたページを引用しただけなのですが、ここにも『愛の争闘』の本質的な議論たる「愛とは何か?」が詰まっていました。

 さて物騒な会話をしているこの二人が何者なのかを紹介していきましょう。

 岩野清子(旧姓遠藤)は東京生まれのジャーナリストです。電報通信社(現在の電通)に勤めていた際、同社の社員である中尾五郎と恋に落ちます。彼は妻帯者ですが、清子のことを思いながらも妻とは別れる気がありませんでした。失恋した清子は神奈川の国府津の海に身投げ。何とか無事に助けられましたが、新聞に大きく取り上げられ有名になってしまいました。また清子はプラトニックラブを重んじる人間でもあります。

 岩野泡鳴は大正時代の詩人・作家です。神秘的半獣主義を謳っており、肉体的な接触がないうちに恋愛関係など成り立たないという考えの持ち主。清子と出会った時点で妻帯者であり、愛人と別れたばかりの人です。

 泡鳴が「小説家になってみる気はないか」と出会ったばかりの清子を誘い、「自分と同棲することと、自分と結婚すること」を提案します。恋愛ないうちの結婚を清子が拒み、二人の同棲がスタート。時は明治42年(1909年)12月、清子が28歳、泡鳴が36歳の時のことでした。清子が海に入水したのは同年の夏、失恋のダメージも抜けきらない冬、ここから『愛の争闘』の日記も始まります。

 プラトニックラブの新しい女と神秘的半獣主義の性に奔放な小説家の同棲。現代でもそんなことある?レベルの出来事です。西炯子の新しい漫画の設定かなってレベル。当然、同棲スタートの記事も新聞掲載されたのでした。

 さて、そんな二人が暮らしてどうなったのか。ここに『愛の争闘』が出版された理由があります。大正4年(1915年)7月25日、二人の暮らしが始まりおよそ5年と半年後、泡鳴は結婚し妻となった清子に蒲原房枝と肉体関係を結んだことを告白します。そして、8月9日、二人は別居を開始します。これまた新聞で大騒ぎ。同年11月に『愛の争闘』出版。そう、『愛の争闘』は、清子の身のうちの告白であり、報道に対する清子の答えであり、泡鳴に対する暴露本でもあるのです。

 『愛の争闘』はここらへんの事情を説明する田中王堂、生田長江、平塚らいてうの序文から始まります。「この二人結ばれるけど、別れるよ」という盛大なネタバレから始まる日記なのです。ただでさえ、込み入った二人の同棲話なのに、さらにややこしい構造をしているのです。

 さてさて最後に僕のこの日記の感想ですが、泡鳴が清子を口説き落とそうとする前半と、房江との関係を告白された清子が激怒する後半が面白かったです。それ以上はこの日記が愛の在り方、明治大正時代の男性観・女性観、小説家界隈の交流、明治大正の庶民の生活などなど多層的な要素があるので、その方面の知識に疎い僕には語りにくい作品です。なんせ日記だから内容が多岐に渡るのですよ。

 「大正時代の恋愛リアリティーショー」とか「大正時代の愛の思考実験的生活」とか謳えそうで、それだけでは全体像がとらえきれない。清子は結婚後に泡鳴の協力もあり、青鞜の社員になる「新しい女」と呼ばれたタイプの一人ですので、NHK朝の連続テレビ小説の主人公になりそうで、結婚相手が泡鳴だし、そもそも身投げスタートだから絶対ならない。なんかに例えられそうでできない不思議な魅力のある105年前の日記、『愛の争闘』のご紹介でした。

『愛の争闘』が気になって読みたくなった方へ

 現在、『愛の争闘』を読むには僕が持っている青鞜の第四巻もしくは岩野泡鳴の全集の別巻を探す必要があります。大きい図書館だったら置いてあることもあるけど、貸出をしているかはわからないくらいの本だと思います。現代人でも興味が魅かれるテーマの日記だと思うので、旧字体を新漢字にして復刊してもいいと思うのですが、難しいんですかね。また僕は未読ですが、『愛の争闘のジェンダー力学』というジェンダー的視点で『愛の争闘』を研究した本や、岩野泡鳴が清子との関係を書いた『男女と貞操問題』という本もあるそうな。簡単に手に入る本で読むなら参考文献にあげている『断髪のモダンガール』は明治・大正期の新しい女たちを紹介している本でさっくり読めるのでおすすめです。

参考図書:岩野清著『愛の争闘』東京 不二出版株式会社 1985年
     森まゆみ『断髪のモダンガール』東京、文藝春秋 2008年

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