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イジメ被害者のための隔離施設を

イジメを苦にした若者の自殺が後を絶たないことには非常に無念な気持ちを抱かざるを得ない。
しかし、ニュースに接した時にはそう思っても、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の言葉通りである。
しかしながら、最近、イジメを受けた女子中学生が家を出た後、公園で遺体となって発見されるという大変痛ましい事件を取材した記事をネットで目にして、僕は今までのようにもはや黙っていられなくなった。
もうこんなニュースは見たくない。
誰一人としてもうこのような悲惨な目に遭ってほしくない。
そういう思いを持つのは僕だけではあるまい。

廣瀬爽彩さん

過去に多少虐められた経験のある僕としてはなおさらである。
僕の受けたイジメは記事の被害者が受けたイジメとは比較にならないかもしれない。
しかし、僕にイジメられた経験があるのとないのとでは、記事を読む側の受け取り方が大分違うものと思われる。
僕がイジメを受けたのは高校を中退した後、実家に約2年間引きこもり、その後、札幌の専門学校へ通いながらススキノの飲み屋で働いていた時である。
当時、僕は18歳だったが、飲み屋の先輩2人は20代半ばだったので、はっきり言ってナメられていた訳である。
その店では「常務」と呼ばれる店の人が帰った後、店が終わる深夜から朝方まで先輩達と店の酒を勝手に飲みながらトランプのゲームに興じるというのが常だった。
僕は今まで複数の飲み屋で働いた経験があるが、このように店の品の酒を勝手に飲むのはここだけだった。
ゲームはババ抜きなどで、負けた者がロックグラスにストレートで注いだウィスキーやバーボンなどを飲み干さなければならないルールだったが、慣れない僕は負けてばかりいて酒を飲まされてばかりだった。
先輩には揶揄われたり笑われたりして酷く苦痛だった。
ある日、やはり店が終わってから、先輩の一人にふざけてコブラツイストのようなプロレスの技をかけられ、結構強めにかけられて苦痛を感じた僕は、その先輩に柔道の払い腰のような技をかけて先輩を振り払った。
すると2人の先輩が怒って「テメェ!」などと叫びながら技をかけられたほうの先輩とは別の先輩に8オンスのグラスを頭に投げてぶつけられ、グラスは床に落ちて割れた。
幸い僕はケガはなかった。
さっきまであれほど怒っていた先輩は、僕にグラスをぶつけておきながら本気で心配している風に「大丈夫か?」と聞いてきたので、何か理不尽さのようなものを強く感じざるを得なかった。
ある日、店が終わった後、僕と先輩達と同じ系列の他店のスタッフ数名で居酒屋で飲むことになった。
先輩達は話で盛り上がっていたが、あまり話についていけない僕は酒を沢山飲んでばかりいて眠ってしまった。
起きた時、先輩達はいなかった。
店員の人が何やら複雑な表情をしていたので僕は訝ったが、店を出た。
何処かのトイレで鏡を見た時である。
僕は顔に油性マジックで「へのへのもへじ」のようないたずら書きをされていたのである。
また、ある日、店の厨房で作ったメニューとして出しているピザを同じススキノにある店に届けに行ってくれと先輩に言われ、僕は粉雪が舞う中、届けに行った。
店に入ると薄暗く、カウンターだけの店でカウンターの中にいた人は一眼見て暴力団関係者と思われた。
ピザを渡して帰ろうとするとその人に、「ちょっと待て」と声を掛けられ、ロックグラスに透明な酒をストレートで8分目ぐらいまで注がれると「これを飲んでから行け」と言われた。
強い酒に全然慣れていない僕はやっとの思いで飲み干した。
カウンターの席には20代後半から30歳ぐらいの女性の客が2人いて、その1人が「かわいそう」と言っていた。
帰ろうとすると、「待て」と言われ、また同じくらい注がれた酒を飲んだ。
後からわかったことだが、ジンという酒だった。
僕はその後、店まで帰って先輩達に「酒を飲まされた」などと言ったら笑われながらも心配されたが、もう店が終わる時間だったので帰るために店の入っている雑居ビルを出たところで記憶がなくなっていた。
気づいたら朝になっていてすっかり明るく、札幌市内の自分の学生寮からは大分離れた場所に地下鉄に乗って来ていたらしかったが、ごく普通の住宅街で初めて見る風景だった。
ある日、店が終わって最寄りの駅までの地下道を先輩達と一緒に歩いていた時、どういう経緯でそうなったかは忘れたが、僕の靴を先輩の1人に取られ、3人の先輩達に僕の靴をサッカーボールの如く蹴り回された。
僕が店を辞めたのはその日だった。
僕が受けたイジメは大体以上だが、この経験がその後の僕の人生に暗い影を落としたことは間違いない。
しかし、今となってはあまりに若く未熟だった遠い過去の記憶であり、多少恨んでいた先輩達のことも今となっては忘れかけていて殆ど恨みなどないのである。

爽彩さんが描いた絵(1)

ネットの記事の事件の概要はこうである。
北海道旭川市の中学2年生廣瀬爽彩さん(14)は、2021年2月13日18時過ぎに自宅を出たきり行方不明になった。
失踪当日の気温はマイナス17度以下で爽彩さんは薄手のパンツとTシャツ、パーカーという格好、現金は所持していなかった。
失踪する直前、「ディスコード」というボイスチャットで知り合った友人に自殺を仄めかすLINEを送っていた。
「ねぇ」
「きめた」
「今日死のうと思う」
「今まで怖くてさ」
「何も出来なかった」
「ごめんね」
母親はその日の夕方5時ごろ、仕事で家を開けねばならず、爽彩さんに「ちょっと1時間だけ空けるんだけど、すぐ戻ってくるね。戻ってきたら焼肉でも食べに行く?」と言うと、爽彩さんは「今日は行かない。お弁当買ってきて。気をつけて行ってきてね」と言ったが、それが最後の会話になってしまった。
母親は爽彩さんがまだ幼い約10年前に離婚してシングルマザーとして育ててきた。
約1時間後、母親に警察から「爽彩ちゃんの安否確認をお願いします」との旨で電話があり、家に帰ったが娘さんはいなかった。
爽彩さんの携帯の電源は入っておらず、GPSは機能しなかった。
その後、パトカー、警察犬、ヘリコプターなどで捜索したり、親族やボランティアがビラを1万枚配布して捜索したが見つからず、警察は公開捜査に踏み切ったがそれでも見つからなかった。
しかしながら、今年3月23日、自宅から数キロ離れた公園で遺体となって発見されたのである。
検死の結果、死因は「低体温症」で、爽彩さんは公園で力尽きた後、雪が積もり見えなくなったと思われるが、死に至るまでの経緯や状況が不明であるため、警察は自殺とは断定していない。
イジメはY中学校に通うようになった2019年4月から始まり、その後、医師にPTSDと診断された爽彩さんは入院と退院を続けながらも行方不明になる2021年2月まで自宅に引きこもっていた。
爽彩さんは加害生徒から自身の自慰行為を撮影した動画や画像を送ることを強要されていた。
加害生徒は児童ポルノに係る法令違反、児童ポルノ製造の法律違反に該当したが、14歳未満で刑事責任を問えず、少年法に基づき「触法少年」とされ、強要罪にも問われたが証拠不十分で厳重注意で終わった。
爽彩さんはイジメを受けてから自己否定するようになり、2019年5月に母親に「ママ、死にたい…もう全部嫌になっちゃって」などと漏らしていた。
母親は4月から6月にかけて担任の先生に「イジメありますよね?調べてください」などと計4回相談したが、担任は「本当に仲のいい友達です。親友です」などと言い、あまりの返答の早さにちゃんと調査をしたのか不信感を抱いたという。
また、爽彩さん自身も担任の先生にイジメ相談をしたが、「相手に言わないでほしい」と言ったにも関わらず、その日の夕方に加害生徒に担任が直接電話したため、爽彩さんは母親に「二度と会いたくない」と言ったという。
学校の教頭は「わいせつ画像の拡散は、校内で起きたことではないので学校としては責任は負えない。加害生徒にも未来がある」とのことで、爽彩さんは「どうして先生はイジメたほうの味方になって、爽彩の味方にはなってくれないの?」と泣いたという。
当初、イジメの加害生徒は同じ中学校のA子とその友人のB男と別の中学校のC男だった。
その後、C男と同じ中学校のD子とE子が加わった。
2019年6月22日、市内のウッペツ川でA子ら10人程に囲まれわいせつ動画を拡散すると脅された爽彩さんは、4メートルの高さの土手を降りて川に飛び込んだ。
この事件には警察も出動し、爽彩さんの母親も現場に呼び出された。
この事件を機に警察はイジメの事実を認識した。
2019年9月、爽彩さんと母親は市内の別の家へ引っ越し、別のX中学校へ転校した。
加害者の保護者から謝罪の場を設けてほしいという要請があり、2019年8月29日、Z中学校においてC男、D子、E子とウッペツ川の現場にいた複数の小学生と母親と弁護士が出席して「謝罪の会」が開かれた。
2019年9月11日、Y中学校においてA子、B男とその保護者が出席、当初同席を断られていた弁護士も最終的に同席を認められたが、会は紛糾した。
学校側には「弁護士が同席するなら教員は同席しません」などと保身の態度が見られた。
僕が幾分疑問に思ったのは、川に飛び込む事件があってから行方不明になるまでの約1年5ヶ月の間の爽彩さんの様子についての記述が極めて少ないことだったが、爽彩さんは自慰行為を撮られたことがトラウマになりPTSDの後遺症に悩まされていたという。
爽彩さんはイジメを受けてから別人のように変わり、以前、色彩豊かな絵を描いていたがモノトーンの暗めの絵に変わっていった。
爽彩さんの描いた絵を見ると、個人的に彼女は絵の才能があるに違いないと思ったが、僕だけではなくTwitterでも同じような感想を持つ人がちらほら見受けられた。

爽彩さんが描いた絵(2)

僕としては勿論、記事に書いてある以上の事は記事の内容から推測する以外にないのであるが、被害者が亡くなるという最悪の結果になってしまった以上、今更加害者の少年らの罪を厳しく糾弾することにあまり意味はないように思われる。
また、被害者にも何らかの非難されて然るべき点があった可能性、母親にも様々な観点で落ち度があった可能性も考えられるが、それらも今更真実を究明することにあまり意味はないように思われる。
強調しておかねばならない点は、イジメは一方的で卑劣かつ陰湿な精神的あるいは肉体的暴力であり、どんな状況であろうと正当性は認められないということだろう。
二度とこのような痛ましい事件が起きないように最大限の対策を行うことこそ人道的に必要である。
これは今現在も日本全国の至る所で起きている問題であり、民間の力だけではどうにもならない問題なので、国家レベルでの対策が必要だと思う。
また、被害者の親にも様々な家庭の事情があり、「子の心親知らず」と言うように親とはいえ基本的に他人であることは強調しておかねばならない。
子供のイジメは基本的に親や教師の手には負えない問題と考えるべきである。
親や教師が子供にイジメを止めさせられるならこの世にイジメなど存在しないだろう。
今回の旭川の事件でも、被害者の母親は精一杯わが子を救おうとしたに違いないが、それでも救えなかったのである。
学校側と何度も話し合いの場を設けたり、この事件のように謝罪の場を設けても必ずしも解決には繋がらないと考えた方がいい。
生徒同士のイジメ問題に正面から向き合って解決することは、学校にとっても保護者にとっても不可能な場合も多いと思う。
広い社会に比べれば学校などほんの狭い世界に過ぎない。
生徒は社会と関わっているように見えて、実は殆ど社会と関わっていない。
まだ社会に出ていない生徒の頭の中には社会のことなどより殆どが学校のことで占められている。
そんな子供に「学校生活が人生の全てではない。社会はもっと広いし、人生はもっと長い」などといくら言い聞かせても馬の耳に念仏である。
今回の事件の被害者のように、たとえ不登校になって家に引きこもっていたとしても、子供にとっては学校が人生の全てのように思ってしまう傾向がある。
そういう訳で、僕はイジメ被害者のために駆け込み寺的な施設を設けることを提案したい。
とにかく問題を解決するには、イジメの深刻さを認識した時点で被害者を加害者から物理的に引き離すのが最も手っ取り早く、効果的な方法のように思われる。

爽彩さんが描いた絵(3)

過去にDVの被害に遭った被害者が多数いて、そういう被害者のためにDVシェルターという施設が日本全国に設けられ、公的シェルターと民間シェルターがあり、多数の被害者を救っている。
イジメが原因の自殺者はDVが原因の自殺者より遥かに多い筈なのに、何故イジメ被害者のための駆け込み寺的な施設がないのか不思議でならない。
DVからストーカーに発展するケースも多いため、DVシェルターではストーカー被害者、また、家庭的・経済的事情を抱えた家出少女なども保護の対象になる。
公的シェルターでは基本的に携帯電話やスマホは使用禁止、外出の時間は非常に短い時間に制限されるなど規則が厳しいためもあり、民間シェルターのほうが人気らしいが、民間シェルターは経営する側の精神面や財政面での負担が大きいことが問題となっているらしい。
だから、僕は民間シェルターを支援する国の予算を大幅に増やして、経営をし易くするなどの対策が必要だと思う。
イジメ被害者は男女問わずいる。
新たにイジメ被害者専用の隔離施設を作る方が得策かもしれないが、既存のDVシェルターを活用するか新しく作るかは議論する必要がある。
イジメ被害者のような社会的に最も弱い立場の人間を救えない福祉など何のための福祉なのか。
僕は出来るだけ多くの人にこの問題を真剣に考えてほしい。
そして、僕だけではなく、一人でも多くの人がイジメの問題に真剣に向き合い、社会に声を上げることを望む。
僕自身の提案が直接イジメ問題の対策に繋がらなくても、この記事を読んでくれた方が社会に声を上げていただければ、それがまた他の人へ波及するかもしれない。
我々の理想は勿論、イジメをなくすことである。
その理想に少しでも近づくための手助けを間接的にでも出来れば幸いであるとの思いからこの記事を書いた。

家族が実名を公表するに至った爽彩さんの死を決して無駄にしてはならないと思う。
廣瀬爽彩さんのご冥福を心からお祈りします。



2023.7.12加筆修正

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