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問題解決できない患者、無視する病院

(暗い内容のため、苦手な方はスルーしてください。プライバシーに配慮し、事実から一部変更して記載しています。)

診療所の外来には色んな人がやってくる。
80代の父Nさんの通院に付き添う息子のOさん。
職につかず、Nさんと兄弟のPさんの3人で暮らしている。
Oさんは独特の風貌で会話下手。診察室でOさんが話すことは無い。
Nさんに認知症の徴候が見られ、Oさんに困っていることは無いかと聞いても「ない」と首を振り、処方箋を受け取りさっさと帰宅する。

そんなある日、外来の看護師が「しばらくぶりにNさんがいらしているんですけど、何だか付き添いのOさんの方が激ヤセしてて」と報告してくれた。
診察室に歩いて入ってきたNさんは変わりなかったが、Oさんは確かにげっそりしている。
Oさんには別の診療所に主治医がいるはずだが、明らかに様子がおかしい。
「NさんのことよりOさん、あなたは大丈夫ですか?」と聞いたが、「大丈夫」と手を振ったためその日もNさんに薬を処方して診察を終えた。

さらに数か月後。
Nさんに付き添うOさんはさらに痩せている。
「Oさん、やっぱり体調が悪いんじゃないんですか?みんな心配していますよ。」と声をかけたところ、しばらく沈黙の後にOさんは「…最近腹が痛くて飯が食えない」と声を絞り出した。
短期間で体重が減る場合、悪性腫瘍が疑われる。
主治医と相談して一日も早く専門医を受診するよう勧めたが、「大丈夫、いずれまた」と首を振った。
Nさんの方も日に日に認知症が進み、Oさんの介護負担が大変だろうと介護保険の申請を勧めたが、こちらも「まだ大丈夫」と返ってくる。
主治医に相談できないのならこちらで紹介状を書くし、介護保険の申請も手伝いますよと声をかけ、この日も診察を終えた。

それから間もなく、Oさんは一人で「A病院に紹介状を書いてほしい」と診療所を訪ねてきた。
Oさんは自分の主治医でなく、こちらに助けを求めてきた。
本来紹介状は主治医が書くべきだが、Oさんの受診意欲が失せないうちにと、私は二つ返事で応じた。
OさんはA病院を受診し、検査の結果すでに転移している癌と判明。
でも治療の話が一行に進まない。
Oさんが治療に専念するためにNさんの介護保険申請が必要な状況だったが、Oさんはなぜか動かない。

Nさんの受診時に色々話を聞いていたある日、Oさんから金銭的に困窮していると打ち明けられた。
彼ら3人はNさんの年金と、Pさんの少ない収入でひっそり暮らしていた。
癌の治療となると高額な医療費がかかる。
介護にもお金がかかる。
Oさんは治療を受けたいが、自分の治療費を捻出できないのだという。
OさんもPさんも元々発達障害があるのか、コミュニケーション能力に問題を抱え、複雑な問題を自らの力で解決できそうにない。
家族間の意思疎通も十分とはいえない。
彼らの金銭的問題を解決するために、第三者の支援が必要なことは明白だった。
私は診療所の相談員に、地域包括支援センターと協力して何か解決策はないか一緒に考えてあげてほしいと依頼した。

そんな折、Nさんが自宅で転び足を骨折してB病院に入院してしまった。
父親の入院中に、Oさんが癌の治療を始められたらいいのだけれど。
Nさんは多分もう一人で歩けないだろう。
Oさんの衰弱ぶりから、Nさんを自宅で看ることはもうできないんだろうな。
そんなことを考えながら、B病院が何とかしてくれるだろうとしばらく彼らのことを忘れていた。
B病院からの連絡もなかった。

それから2か月後、Nさんが入院するB病院から診療所へ「Nさんが自宅に帰るので、退院準備のためカンファレンスを開きます」と連絡が入った。
…いやいや。Nさんが自宅に帰ってきて誰が介護するのよ。
お金がないからヘルパーも雇えない。
癌と闘病中のOさんに介護を任せるというのか。
病院の決断に首をひねりながら、私たちはカンファレンスに参加するためB病院へ向かった。

B病院の入口でOさんとばったり出会う。
Oさんは相変わらず辛そうにしている。
体調を聞くと「僕の治療はまだ。父を施設に預けて治療に専念したいんですけど…」と返ってきた。
カンファレンスには仕事帰りのPさんも参加していた。
B病院のスタッフから、Nさんはリハビリをしたけれど歩けるようにならず、ベッドから車いすに移動するのも介助が必要なこと、一人で歩こうとして転ぶので目が離せないなど、以前より介護が必要な状態になっているとの報告があった。
報告の後、病院の退院支援看護師が「Oさん、Pさん。自宅で大丈夫よね?」と畳みかけるように声をかける。
しばらくの沈黙の後、「まあ、そうするしかないですね」と小さな声でOさんたちは答えた。

そのやり取りを見て、思わず私は「すみません、自宅に返すということですけれど、帰った後は誰がNさんを看るんですか?Oさんは自分の癌の治療に専念したいと、(Nさんの)施設入所を希望されているんですよ。Pさんは働きづめだし、Oさんが入院したらNさんは一人で留守番です。また転んで骨折するのが目に見えているのに、自宅に返すんですか?」と看護師に聞いた。
看護師はOさんを振り返り、「Nさんが2か月も入院して時間があったのに、あなた受診してないんでしょう?」と、Oさんに治療の意思がないかのように話し、Oさんは黙り込んでしまった。

Oさんは治療を受けたくても「お金がないから」治療が受けられないでいるのに。
OさんやPさんは自分たちのことで精いっぱい。本当はNさんをどこかに預けたいのに。
お金が無く、他に選択肢がないから自宅に帰ると言わざるを得ない。
Nさんが帰ってきたら、Oさんは自分の治療どころではない。
Oさんに、治療を受けないまま命を終えろというのか。
Nさんが再び骨折しても良いというのか。
私は無神経な彼らの判断に静かな怒りを感じたとともに、家族の本音ひとつ引き出そうともせず、金銭的に困っていることを知りながら手も差しのべず無視し、一方的に強引に退院させようとする病院側のやり方に、ひどくがっかりした。

私は元々Nさんの主治医であってOさんの主治医ではない。
それでも、Nさんの家族であるOさんが治療費が払えずに癌の治療を躊躇している様子を見て、何とかしないとと考えた。
私から病院スタッフへ彼らの経済的状況を話し、Oさんが治療に専念できるようNさんを施設に入所させることを提案した。
収入のあるPさんからNさんもしくはOさんを世帯分離すれば、生活保護が受けられるかもしれず金銭的負担軽減につながる可能性があることも。
家族を分ける提案をして失礼かと思ったが、OさんやPさんはそんな解決策があるのかと好意的に受け止めてくれた。
家族の絆を守ることができないくらい、金銭面で困っているともいえる。

病院のソーシャルワーカーは「それではOさんとPさん。自分達で区役所に行って生活保護の手続きを受けてきてください」と言い放つ。
包括に連絡するなど、自ら彼らをサポートする気は全くない。
一連の会話から、彼らだけで生活保護申請の煩雑な手続きをできると思うのか。
自分たちでできなかったから、困っているんじゃないか。
ちゃんとあなた達が支援していれば、2か月の入院期間が無駄に終わらずに済んだのに。
心の中で苛立ちを覚えながらも、病院スタッフに期待できないと諦め、生活保護の申請は診療所スタッフでサポートすることにした。
診療所の相談員がPさんに付き添い、区役所を訪問。
同時に、入所と同時に生活保護が申請ができるグループホームを探し出し、Nさんはグループホームへ住所を移して生活保護の受給が開始となった。
Nさんは自宅に帰りたいと言わず、施設にすぐに馴染むことができたらしい。
Oさんの医療費の負担が若干残るものの、父親を施設に預けることができてPさんはホッとした様子だったと、後に職員から聞いた。

病院とのやり取りに疲れた身体で帰路につく

元々発達障害などのため自ら問題を解決できず、いつの間にか貧困に陥っている家庭のいかに多いことか。
彼らは適切な支援を受けることができず、生きづらさを感じ、貧困や孤立に苦しみ、引きこもっている。
彼らに心を開いてもらうためには、こちらが相手に関心をもっていること、心配していること、何か手伝えることがないか考えたいと思っていることを根気強く伝える必要がある。

診療所への受診や病院への入院を機に家族の問題があらわになることが多いが、病院側は「病気は治ったから」という理由で問題を無視しそのまま退院させてしまうことがほとんどだ。
多くの診療所でもスルーされていることが多く、他の診療所の患者から当院に相談が持ち込まれることも少なくない。
忙しいのは分かるが、せめて行政や包括に繋ぐなどもう少し各家庭の困りごとに寄り添ってくれたらいいのにと思った出来事だった。

疲れた心に、タワマンの幸せそうな光たちが眩しい

Oさんは、父親の施設入所を待たずに体調不良で入院した。
もう少し早く気づいてあげられたら、Oさんはここまで追い詰められなかったと悔いが残る。
転移があるから完治とはいかないけれど、症状が和らぎOさんが一日でも長く穏やかに生きてほしいと願わずにいられなかった。

そして困っているNさん一家を何とかしたいと、同じ心意気で頑張ってくれた診療所の職員たち。
彼らへの感謝の念は尽きることがない。
大変な仕事だけど、またみんなで頑張ろうと思いながら家路についた。


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