見出し画像

被害者にさせてくれ


「被害者面」とは、一体何を指しているのだろうか。


今にも泣きそうな顔をしていたら、せめて、「被害者面」を手にすることは許されたのだろうか。


いっそのこと、可哀そうな被害者になりたかった。

その条件には、きっと身内が死んでいたり、

身体の何処かが健康でなかったり、

第三者が「可哀そう」だと感じる要素が必要なのだ。



不謹慎だろうか。



しかし、不幸だ。


被害者になれない現実は間違いなく不幸だ。



この歪んで見えてしまう世界を作り出した、肉親は生きている。たったそれだけのことで、私は何者にもなれない。

何故なら世間は目に見える悲しさを求めているからだ。


息苦しさや、辛さなど抽象的な感情よりも、

親が亡くなったという事象による溢れ出る悲しさの方を無意識に、可哀そうだと位置づける。




五体満足でいる幸せなど、すっかり忘れてしまった。


不幸に対しては敏感になり、

周囲に「幸せそう」だと在りもしないものを押し付けられ、

可哀そうだと認められることでしか、

この気持ちを浄化できない、そんな風に思ってしまう。



頑張ることに飽きたら、人間は次は不幸を求める生き物なのだろうか。

なんとも、厄介だ。


被害者になる目的が達成されたら、その経験をひけらかし、アドバイスとやらを大勢にしだすのだろうか。


厭な奴にも、自分は結局なれないのだ。



ニュースを見て、被害者の心情を察し、社会問題に興味を示し、そしてまた加害者家族問題についても考え、客観視をし、「私の考えは」とインスタグラムで発信するのだ。


他人が自分を不幸だと判断できる材料を見せない。

気付かせない。

そんなことより、ほら、「これについてはどう思いますか」と促す。




ああ、狭い。



世界がとてつもなく狭い。





図書館で時間を潰してから家に帰っていたあの頃と何も変わらないのだ。

求めて

諦めて

もう一度同じことを繰り返し

つかの間の休息に気を取られ

酸素が薄まっていることにも気が付かない。





人間は果たして本当に賢いと評価されるに値する生き物なのだろうか。







p.s


メンタルやられると文字書けなくなるけど、ストレス発散方法は文字起こしというジレンマ女です。


文字を書くことが生き甲斐です。此処に残す文字が誰かの居場所や希望になればいいなと思っています。心の底から応援してやりたい!と思った時にサポートしてもらえれば光栄です。from moyami.