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この世に誕生したあの日、誰が何処で泣いていたのだろう


私がこの世に誕生した寒い冬の日に、

誰が十分にご飯を食べられなかったのだろう。

誰が隠れて泣いていたのだろう。

誰がもっと愛してほしいと嘆いていたのだろう。


そして、誰が私の誕生によって笑顔になったのだろう。

そして、それは本当に誰かにとっての幸せだったのだろうか。


人生はとても残酷なもので、

生きたいと思う人の元にはほんの僅かなチャンスしか来ず、

私のように望まれていない命がこうして今も尚、此処に在り続けている。


誕生した後に関わった人たちによって、なんとか保たれているであろう

「私」の存続。


そこにどれだけの感謝を寄せても、誕生してしまった後悔が大きすぎて何度も、死という選択に手を伸ばしたくなる。


不平等

不公平

貧富の差

教育格差

犯された罪


何がどうとか

どれが酷いとか


そんなことは全て、

自分がこの世に生まれた罪の重さと比較すれば、

取るに足らない話であるのだ。


負の感情を抱えることは、

誕生というそもそもの始まりを迎えなければ、

それすらも無かったのだ。



それとも、名前の無い感情を抱くこと、

怒りや悲しみに明け暮れること、

その隙間に喜びが見え隠れすること、


それらは人間として生きる醍醐味だと片付けられてしまうのだろうか。


この後悔は何歳になれば払拭されるのだろう。

|そんなことを考えながらまた、誕生日を迎えるのだ。









p.s 私の周囲の人たちはみんな若くして死にたいと願う人で、その願いだけはこの社会にかなえてもらいたいと思う訳です。

文字を書くことが生き甲斐です。此処に残す文字が誰かの居場所や希望になればいいなと思っています。心の底から応援してやりたい!と思った時にサポートしてもらえれば光栄です。from moyami.