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やりたいことを続けた先にあるもの

自分のやりたいことが溢れている人
やりたいことが見つからない人
やりたいことがなくてはいけない気持ちになってしまっている人

携帯を開くと簡単に山のような情報を得ることができます
携帯を開かなくたって街中を歩いているだけで
沢山の情報が目から耳から入ってきます

欲しい情報も欲しくない情報も

Instagram、YouTube、Twitter(X)などなどなどいろーーんなSNSも溢れてまね

SNSを使う時、
最初は自分で選んでフォローするけれど
ある時自分のフォローしている人たちをみると
とても偏ってるな〜と思いました

欲しい情報や好きなものをフォローしているつもりだけど、いつしか自分がフォローしている世界の情報が強く入ってきて
もはや思考が操られてような…?

自分が作った小さな世界に飲み込まれてしまっている気もすると思いながら
東京で暮らしている自分もきっと同じなのかな〜と思いました

東京で暮らすことによって入ってくる情報に飲み込まれて、まるで東京を通してみている世界が全てなような気持ちになってしまっているのかな?と

ここ最近私は屋久島にとても惹かれていて
先月2回目の屋久島に行ってきました

そこで暮らす人たちは
自分の暮らしを大切にしていて
自然との共存を当たり前にしているように見えました

おんなじ日本でも全く違う世界のように感じて
ちょっと衝撃的でした

山あり谷ありみたいな刺激的な人生はそこにはないと思います
頑張って働いてすっごくお金を稼いで、豪遊するぞー!!みたいな(笑)

けれど山と谷が欲しい人もいれば
いらない人もいて
毎日の小さめな喜びを感じたい人だっています

私はどうかな、、、
いつかのために頑張るぞ!っていう長い我慢はできないけれど
ここ頑張ったら楽しみが見えるぞ!くらいの我慢ならいいかな


私は大学生のときまで
どちらかというとやりたくない方のことをやっていました
勉強が好きではないけれど、それなりの大学に受かるくらいには勉強をして過ごしてきました

大学生までは、与えられたことを最低限クリアするためにそれなりの努力をして過ごしていたかなと思います
気持ち的には漠然と社会人になった時のためという感じだった気がします
(親に言われるがままですね笑)
そのせいか、気を抜くとすぐにだらけます

好きなことに向き合う時間を取ることもなく
社会人になるときも何となく受けた会社にそのまま入りました
社会人になるのか〜どんな生活なのかな〜と
特に何も考えずわくわくはしていました

そして入ってからやっと気づいたことは

社会人楽しくない!!!

大きい会社に入れば安定して幸せな日々を送ることができる、と母に言われていました

そうなんだ〜と思っていたけれど
それは母にとっての幸せで

私にとっての幸せは違うものなんだなと
そこで気づきました

また"仕事だから"の言葉は私の中にはないのだなと思いました
1日24時間全て自分の時間で
その一部を"仕事だから"と思って
やりたくないことをやることは私には無理でした

今は自分の好きな料理の仕事をしています
食べることやお菓子を作ることが昔から好きで
頭の中はいつも食べ物のことでいっぱいです

転職するときにやりたいことは何かな〜と考え、飲食店でのアルバイトは食べ物に囲まれていて好きだったなと思ったので
レストランに就職することにしました

運良く土日祝休みで、長期休暇も年に3回あるところを見つけました

未経験だったけど調理補助で雇ってもらい
3年ほど働きました
今も別の飲食店で働いています

正直、やりたいことを続けた先に何があるかは分かりません
ただ何か嫌なことがあったときも
自分が選んだ選択だしと納得できます

仕事内容が自分の興味なので
プライベートでそのまま活かせます

どこにいっても私のままでいられます

会社のように何かを超えた先に
次の頑張る場所が待っているみたいなことはありません

白地図に自分の道をちょっとずつ描いていくみたいな感覚で楽しくて
向き不向きがあると思うけど
私にはそのラフな感じがあっているな〜と思っています

やらなきゃいけないことなんてなくて
自分のやりたいことを自分のペースで
楽しみながら、失敗したときは修正しながらやってみる
そんな人生もいいんじゃないかな♩
と28歳の私は思っています

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