<『死霊魂』ヒット記念>9/17(木)開催!無料オンラインレクチャー 世界に類のない研究本を刊行した中国文学者が語る『死霊魂』とワン・ビン監督 【第二部】
【第二部:話題の大作『死霊魂』を深く読みこむ】
土屋 : この『死霊魂』という映画はもうなんとも驚きました。8時間ということは朝やお昼から見て夜までかかりますね。それでも見た方に感想を聞くと、やっぱり8時間がまだ物足りないような感じだと言う。私もそう思いました。実際問題、例えば1人につき40分インタビューすると10人で400分ですね。20人やると800分になります。40分でちゃんと聞けるのか、と考えた時にこのプロジェクトの壮大さが、大きさが分かりますね。苦しんで苦しんで短くした末の8時間だと思います。『死霊魂』は前例のない映画です。特に印象に残っているのはこの骨ですね。
この写真もですが、このシーンも印象深いと思っています。
この骨を見ながら話すのもちょっとあれなのですが、まず、この骨が散らばっている中をカメラが歩いて行くシーンを説明したいと思います。と言うのは、これは地面に埋もれていた骨が自然に出てきたという訳では無いんです。埋葬がちゃんとできていなかったので表に出てきてしまったというのもあるのですが、あんな風に頭蓋骨が晒されているというのは、掘り返されたからです。70年代、あの場所はいろんなことに再利用されたり掘り返されたりしているんですね。 医学大学が人骨を使って人体模型を作る為にこの地を掘り返すと言う計画もあったらしいです。そんな事は絶対反対ということで(生存者や遺族が)止めさせただとか、あとは解放軍が戦車部隊の演習所に使ったりもしたんですね。だからここに埋められた人たちは、埋められた時も冒涜されたけれど、その後もずっと冒涜され続けているんですね。つい最近石碑を立てようとした人たちの話が『死霊魂』にも出てきますけど、それもできなかったんです。この問題はすごく大きいです。したがって、この場所をワン・ビンが撮ったというのは中国の政治状況の中では大きなことだったんですね。
題名なんですけど、これは死(し)、霊魂(れいこん)と読むのかそれとも死霊(しりょう)、魂(こん)と読むのかという。私は「霊魂」という言葉が重要だと思います。というのは、霊魂というのは大きく分けて二つイメージがありますよね。一つは実際に人間の幽霊になるような“霊魂”という場合と、心の中の生命といった“霊魂”その二つがあります。霊魂、という言葉は中国語では崇高な言葉で、そこから題名は取られてるということです。シートに書いてある「魂に触れる革命」というのは文化大革命の事です。この場合の“魂”は“霊魂”と言う言葉です。
こちらは日本ではまだ出ていませんが、フランス語版DVDの表紙です。
昨年パリを歩いていてたまたま美術館に入ったら本棚に並んでいたので、びっくりして買ったものです。この表紙、左側がフィルムのようなデザインになっています。絵の部分は死者が埋められた布団が露出している写真で、これはワン・ビンが自分で撮影したものです。パリ、ポンピドゥーで行われた展覧会で生の写真を見ました。当たっている光は車のヘッドライトかなんかですね。
そして、『死霊魂』フォントのデザイン。これはパンフレットにも書いてありますが、竜門石窟の造像記から取っているデザインですね。こっちは『TA’ANG』のデザインですが、これは映画の中のスチールを使ってるものです。これもフランス語版なんですけど、ローマ字で書いてある下に漢字が書いてあります。明朝体か、活字のような字を使っていて書法ではないですね。
そんなわけで『死霊魂』のフォントが基づいているのは竜門石窟の造像記なんですけれども、造像記そのものには“霊”という字はたくさんありますが、”死”と”魂”の字は、この造像記には見当たらないです(他の造像記にはあります)。
造像記というのは、石板を磨いて彫れるようにしてあるものです。死者の供養の為に仏像を作ってそのいわれを書いたのが造像記。文字で書いたのが造像記ですけれど、映像で死者のいわれを描いたのが『死霊魂』なんです。比喩がこもっているんですね。1500年前に作られた造像記のように歴史を超越するようなもの。造像記に彫られることによって歴史を超越して行く、1500年という歴史を生きるのと同じように、映像でそれを実現するという意味が『死霊魂』の題名とデザインには込められているんです。
ワン・ビン監督は映画の題名とデザインを非常によく考えていると思います。先ほど『鉄西区』のくだりで紹介した美術顧問を務めた珠珠さんが作ったのかなと思い伺ったんですが、珠珠さんによると、竜門石窟を見て感銘を受けたワン・ビン監督が書家に自分のアイディアを頼んで作ってもらったのだそうです。彼自身の考えがデザインに込められていると考えていいと思います。
『死霊魂』を見るにあたって面白いポイントがあります。長い映画の中でインタビューが続いているんですけど、ただインタビューが出てるだけではないんですね。そのように受け取ってしまうとあまり面白くないです。全体の有機的な関連、他の作品との関連や連想を思い起こさせるようにちゃんと作られていると思います。
まず、『死霊魂』の中の有機的な関連について一つ紹介します。映画の中で、高齢で亡くなった生存者の方のお葬式を非常に細やかに撮ったシーンがあるんですね。まず、棺桶を高い丘の上に、それは命がけで苦しみながら持って行くんですよ。最初見ているとなんでそんなことしているのか分からないですよね。頂上まで上がると墓があってそこに棺桶を埋めるんですけど、素晴らしい景色なんです。陝西省北部の黄土台地が映っているんです。ご覧になった方は気がついたかもしれませんが、その墓というのは掘った下で、棺桶を足で押して奥に入れるんですが、その奥はレンガ造りなんですよ。つまり、下にレンガで墓が作ってあって、土で埋めてあったんですね。埋めてあった墓を掘り返してそこに死者を埋める。非常に手間がかかるし、高価な最高級のお墓です。葬式をあげる時、日本人から見るとわざと泣いているような感じで皆泣くんですが、それは死者に対する尊敬を意味している、中国の礼にかなったやり方なんです。だからその通りにやっているんです。そういったシーンを逐一ああいう風に撮ったことを高く評価しなくちゃいけない。映像が綺麗なだけじゃなく撮り方の着眼点が良く、民族学的に見ても面白いシーンだと思います。なおかつそれは全体の中で後半に進むと分かるんですが、夾辺溝で死んだ人たちも本来であればああいう葬式をあげられるべき英雄なんですよね。それに比べ、現実では何度にもわたって、ただ不毛の地に埋められているだけでなく冒涜されている。それを映画の前半と後半で比較させている、それは映画の中で有機的な関係を作った素晴らしい作り方だと思います。
今度は他の作品との関係を紹介しますね。映画の中で、生存者が現地を訪れて農家の人と話をするんですが、そうすると農家の人たちは「数日前にもあなたみたいな人が来た」というんですね。名前をちゃんと覚えていて、ガオ・ジーイー(高吉義)という人だったと。名前を聞いても皆分かったような、分からないような顔をするのですが、『鳳鳴-中国の記憶』を既に見ている私たちからすると分かるわけですね。『鳳鳴』の中で、ガオが鳳鳴に「あんた、その時に狼に会ったら食われていたんだよ」と話すところがあります。つまりガオは、夾辺溝から逃亡するんですけど、その時狼に出会った、だけれど襲われず、食われずにすんだというわけです。その『鳳鳴』に出てくる話が『死霊魂』の中に出てくるガオ・ジーイーの話と繋がるんですね。そしてこの話を、ワン・ビンは『無言歌』の中でプロットとして取り上げています。『無言歌』の中では、ガオ・ジーイーと彼の先生、ルオの二人が逃亡を図るのですが、ルオ先生の方は倒れて動けなくなってしまう。ガオは先生が凍死したらいけないと思ってコートをかけて行くんです。その後ガオは狼にも食われず逃げたんですけど、ルオ先生は食われちゃうんですね。狼に食われるシーンは『無言歌』には出てこないんですが、そのあと収容所の隊長が出てきて、「ルオはどこに行ったんだ」という風に言うわけです。「ガオはどこに行ったのか」ではなく「ルオはどこに行ったのか」と。その質問では、死んだのはガオで、逃げたのはルオだという風に隊長が誤解していることを示しています(狼に食われて死んだルオはガオのコートを着ていたから、あとで死体が発見された時、ガオが狼に食われたと誤認されたことがこのシーンで描かれているのです。そのおかげでガオは追っ手に追われず、うまく逃亡できたわけです)。『無言歌』の中でなかなか難しいところです。下手に説明が無いのは映画を理解するという点では難しいですが、リアルに撮るという点からあえて入れていないんです。よくよく見るとガオではなくルオが逃げたと隊長から誤解されていると分かる。
この点から、『鳳鳴』と『無言歌』と『死霊魂』の三つが繋がり、想起するような関係になっているわけです。
それぞれの関係や別々の話が、全体として結びついてくる、というのは中国の文学でよくあることです。司馬遷の『史記』の「紀伝体」なんかそうですね。本紀に少しだけ出てくる人が列伝で詳しく説明されたりする。『水滸伝』も108人の英雄がそれぞれいろいろな形で登場します。逃亡というテーマも共通して顔を出す。『死霊魂』の中ではピアノを引く人が逃亡した人です。彼は逃亡したからその後苦労したんですね。これが例のガオ・ジーイーが出た時の写真です。
最後に、さっきから名前が上がる珠珠さんについて紹介しながら私の見解を一つ説明したいと思います。
まずワン・ビンという監督が、なぜ右派の問題を取りあげたのか。中国の政治の問題と絡めて考えようとする人が多いと思います。ですから彼が日本に来ると、中国国内で自分の作品が見られないのはどのようなお気持ちですかと尋ねるんです。「中国の政治的なプレッシャーが強く、国内では厳しい、その中で頑張って映画を作っているワン・ビンは反体制の映画監督なんだ」というストーリーを彼に当てはめようとする考えが日本人には多いように思います。ワン・ビンもそれを重々承知していて、答えが見事なんです。「何とも思いません」と(笑)。「だけど皆色々な方法で私の作品を見ているので別にいいです」なんて。それが映画監督としての発言か!って思うんだけど(笑)。彼のインディペンデント映画出身の強さというか、独自路線の強さがあると思います。その一方で、ワン・ビン本人が受けたいろんな文化、中国社会の動きからの影響も理由だと多います。今日の話の一番初めに、ミシェル・フーコーとワン・ビンは結果一緒のところに問題意識を持っていると話しました。ワン・ビンは外国の映画をよく見ていて影響を強く受けているんだと、そんな意見もあります。80年代から90年代にかけて、中国に外国の映画がたくさん入ってきた時期があったので、その中でワン・ビンの考えというのは生まれていったのではないかと。でもワン・ビンは違います。80年代、90年代っていうのは外国からいろいろな物が入ってきて混乱し、その中である時はこちらの考え方、ある時はそっちの考え方と無節操に手を出して思考する人たちがたくさんいたんです。ワン・ビンは80年代に自分の作品の考え方というか思想の形成をしていった人なんですけど、混乱している中でも右とか左とか見ない人、自分の考えで動く人だと思います。『鉄西区』のような撮り方も自分の中から生じてきたもの。そこが彼の強さだと思います。その点で考えると、右派に対する考えも自分の中から生じてきた問題意識から出発していると思います。
その一方で、2000年前後っていうのは、中国社会で個人に対する反省の動向、文化大革命とか反右派闘争に対する反省の意識が生まれた時期で、ワン・ビンもその影響は受けているのではないかとも思います。現在ではとてもそんな本は出せませんが、その時期に出た一つが『さらば夾辺溝』です。右派というのは、歴史的、政治的な弾圧や差別を受けて忘れられた、触れられない人たちです。同様に、精神病患者も忘れられた人々ですね。精神病患者を取り上げた『収容病棟』は、右派に対する注目と底辺ではつながっていると思います。珠珠さんにも同じような動きがあり、彼女の作品を紹介します。
これは2019年北京で行われた彼女の個展のポスターです。私はこの時初めて珠珠さんを認識しました。彼女がワン・ビンの作品に関わっていることはあとで知ったのです。この個展のキューレータが私の友人で、彼女の画廊でこの個展をやるというポスターが送られてきた。私はこのポスターをみてすごい画家だなと多い、それにこれはワン・ビンの『収容病棟』と何か通じるものがあると感じて、急遽この展覧会を見に北京へ飛んだんです。
これは珠珠さんの作品です。彼女は2000年代、北京の精神病院に通い、患者たちをデッサンして作品を作っています。これを見るとワン・ビンと近いものを感じます。
彼女は、ある意味具象的な絵から抽象的な絵にも進みました。外見を描くところから内面世界を描いていく方向に行きます。この境地になると、先ほどの『死霊魂』に出てきた、冒涜されてきた白骨の遺体の人たちを、その「霊魂」を今となっては想起させられますね。『死霊魂』を見たのはこのあとですが、とても近い境地だと思いました。ワン・ビンと珠珠さんが友人だから、作品も関係あると言いたいわけではなく、2000年代に、個人の存在そのもの、精神世界みたいなものに対する関心が中国の映画監督や画家たちの中で、それまでなかった観点として出てきた。それに歴史への反省が結びついて、ワン・ビンのような天才が、素晴らしい作品を生んでいったんじゃないかと思います。これでまとめに代えたいと思います。
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【講師】
土屋 昌明(中国文学者/『ドキュメンタリー作家 王兵(ワン・ビン)現代中国の叛史』編著者)
1960年神奈川県生まれ。中国文学者、専修大学国際コミュニケーション学部教授。中国古代文化を研究しつつ中国現代史・映像歴史学にも関心を持っている。編著に『目撃!文化大革命』(太田出版)、『文化大革命を問い直す』(勉誠出版)、共訳書に廖亦武『銃弾とアヘン』(白水社)など。今年3月には編著書『ドキュメンタリー作家 王兵(ワン・ビン)現代中国の叛史』(ポット出版プラス)刊行。