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<『死霊魂』ヒット記念>9/17(木)開催!無料オンラインレクチャー 世界に類のない研究本を刊行した中国文学者が語る『死霊魂』とワン・ビン監督 【第三部】

【第三部:参加者の質問に答えます!】

質問:不勉強な質問で申し訳ございません。ワン・ビン監督は中国国内で反右派ととらえられる映画制作を継続できるのはどうしてでしょうか?最近の香港情勢をみると特定の文字を口にするだけで逮捕される可能性があるという報道を見たので、この点をお聞きしたいです。

土屋:ワン・ビンさんは中国国内で撮影をしていますけれど、編集や制作は外国でやっています。主にフランスやベルギーなどです。フランス映画として出しており、要するに中国映画というかたちでは出していないので、中国国内の検閲には出していません。もし中国国内の制作として中国の検閲を通すとなると、彼の映画は絶対通らないと思います。従って、映画が上映されないだけではなく、DVDももちろん販売できません。ちょっとこの数年の間に色々変わってしまい、今は非常に厳しい状態になっているのです。20年くらい前であれば大学とかでの上映はOKだったと思うのですが、今はもう無理だと思います。そういう事情だと思います。
武井:少し私から足しますと、中国映画というのは、中国映画である限り…つまり中国から制作費をもらって撮っていると中国映画として認定されてしまうのですが、それはすべて電影局に事前に申請をして、脚本なり、そういうものを提出しないといけないんですね。それで了承が出ると「作って良いですよ」ということになって、その証明というのが、よく中国映画で一番最初に龍が出てくる動画があるのですが、それが付いているのがお墨付きの中国映画ですね。ワン・ビンの場合は1円たりとも中国からお金をもらっていなくて、いつも制作費はフランスだったり、ベルギーだったり、イタリアだったり、ドイツだったり色々な海外のお金で映画を撮っているから外国映画になります。しかし、外国映画を中国で上映するためには、やはり検閲が必要です。ただ、上映はせず、撮影しているだけなら検閲がないので、とりあえず映画は作れているという状況ですよね。あと土屋先生、もう1つ詳しく聞きたいのですが、映画を撮る・撮らないとは関係なく、今は色々締め付けが厳しいので「反右派闘争撮っている人がいるよ」ということだけで拘束される可能性というのはないのですか?
土屋:それもあると思いますよ。誤解のないように言うと、中国国内にいて映画を撮っている人の中には反右派闘争を撮っている人が沢山います。文化大革命もそうです。例えば反右派闘争に関して、夾辺溝なんかもそうですけど、私の知っている人にも夾辺溝を撮っている人がいますが、発表はできない。それは自分のお金で作っているんですね。だから完全にインディペンデントです。だから簡単に言えば、自分でカメラを持って現地に行ってインタビューしたり、撮ったりしているということですから、それは警察にバレない範囲でやっている分には誰も文句は言わない訳ですね。バレても撮っているだけですから。今はどうでしょう、法律が変わっているので、撮っているだけでもまずいかもしれませんが。そういう人たちはいます。夾辺溝に関しては、艾暁明(アイ・シャオミン)という人が長大なドキュメンタリーを撮っていまして、ワン・ビンが撮影した人と同じ人たちにインタビューをしています。ただ、作り方は全然違いますので、この2つを比較研究するというやり方もあり得ると思います。彼女の作品は香港で販売されています。従って、今回このような香港の状況になった時に彼女の作品はちょっと難しいことになるかもしれません。
武井:『死霊魂』のパンフレットの中に反右派闘争をずっと研究してらっしゃる山形大学の赤倉泉先生の文章を掲載させていただいているのですが、その中では「反右派闘争自体は、右派とされた多くの人たちも名誉回復をされ、とりあえず共産党的にはタブーではない」と。一応本を出しても良いし、映画にしても良いという認められ方はしているけれども、「その中に言えないことや、触れてはいけないことが存在する」ということを書いているのですが、やはりそれは「内容による」という感じなのでしょうか。
土屋:反右派闘争というのは結局、「反右派闘争」という考え方は正しかったのだ、ただ、対象を拡張してしまって、少数しかいなかったはずの人たちを55万人まで増やしてしまった、という解釈なんですね。なので、その範囲で語っている分には大丈夫な訳です。それは公式見解ですから。ただ、反右派闘争は間違っていたとは言えないんですね。反右派闘争は間違ってはいなかったんですよ。その考え方そのものはあったのだけれども、被害者が多く出てしまったことは間違っていた、ということなんです。だけど、55万人と言っているけど、何で55万人なのかと言ったら、それは毛沢東が10%ということを言ったからなんですね。中国の知識人は500万人だという想定で、そのうちの10%が右派だということで55万というすごい辻褄合わせなのですが、間違えていたということは認めているんです。だけど、じゃあその55万人で済んだのかというと、もっといるはずですね。例えば高校生とか、子どもだって右派にされたんですから。そういう人たちは数に入っているのか、とか。そのように考えるともっと被害者は沢山いたはずなんだけど。また、夾辺溝の説明の中で言わなかったのですが、夾辺溝は餓死の収容所になったということが今回のパンフレットの中でも強調されているんですね。それは確かに事実なのですが、誤解のないように言うと、夾辺溝だけが餓死の収容所になった訳ではなくて、あの当時は色んなところが皆、餓死していたんですよ。
武井:この本なんかに書いてありますね。(『毛沢東の大飢饉』を見せながら)
土屋:『毛沢東の大飢饉』ですね。フランク・ディケーター。この人よく調べていて、この本を読むと一発でよく分かってしまうというすごい本なのです。
武井:すごいですよね。私は『無言歌』の時にこれで勉強しました。
土屋:不思議なのはですね、結局この大飢饉というのは何で起こったのかということ。まず大飢饉そのものが、「大飢饉」という言葉がずっとタブーだったし、大飢饉が一体どういう状況だったのかという、なぜそれが大飢饉だったかということもちゃんと研究されていないですね。楊顕恵の小説を読むと、さっき話題にあげましたガオ・ジーイー(高吉義)という人が逃亡して、長距離列車に乗って逃げて、甘粛省のある駅まで何百キロも行って降りると、駅前でおこげのようなものが売っていると言うんですよ。それを自分はお金を持ってないから買えない。自分が一番大切にしている本を売るからそのおこげをくれとお願いすると、そしたら売っている人は「そんなんだったらあげるよ」と言ってくれた、という話を書いているんですよ。つまり駅前にそういうものが売っているということですよね。ところが彼は、夾辺溝の収容所では、全然何日も物を食べていないという。これはつまり食糧の流通の問題がかなり大きく入っているということです。
もう1点だけ言いたいのですが、『死霊魂』の中に取材されている人たちが異口同音に同じ人の名前を言いますので、これから見る方はその人に注意していただきたいのです。「張仲良」という人です。この人は甘粛省の書記、省のトップです。この人が要するに流通の問題を押さえていたんですね。今日はお見せしませんでしたけど、例えば、中国共産党はどこでどういう人たちが人肉を食べたかというのをちゃんと調べているんです。その資料もあり、それが外部に流出しています。その資料を見ますと、誰がどういう事情で人肉を食べたかというのをちゃんと上に報告しているんです。つまり省のトップの方は、そういうことが起こっていることを知っていたんですよ。なのに、食糧の流通をちゃんとやらなかったんですね。このようなことを追求すると、単に反右派運動があって、収容所で餓死者が出た、人肉食べた、とそれだけでは済まない大きな問題が政治的に起こるんです。その張仲良は、夾辺溝事件のあとトップの首は切られたんですけれど、そのあとは特に責任を問われず往生を遂げたんですよ。恵まれた老後を過ごしたんです。そんなことがあっていいのでしょうか…という気持ちになる。それはちゃんとものが分かっている中国人であったら感じていますよ。

質問:ワン・ビン監督作品で最初に見るなら、どれから見るのが良いでしょうか。また、見ていく順番でおすすめの順番がありましたら教えてください。

土屋:これは『鉄西区』をまず見ていただいた方が良いと思います。今日話した流れで見てみるのが一番良いかなという感じはします。
武井:『鉄西区』を見て、その後『鳳鳴』を見て、『無言歌』を見る。そんな感じでしょうか?
土屋:そうですね。そして最後に『死霊魂』でノックアウトということではないでしょうか(笑)
武井:もし長い映画はあまり見たことがなくて、ナレーションのないドキュメンタリーも全く見たことがない、という方だったら、まずは軽めに『三姉妹』くらいで始まるというのもひとつかなと思います。
土屋:うん。あの『三姉妹』の短いもので『孤独』という作品も…
武井:はい、『ALONE(孤独)』ですね。あれはARTE(フランスのテレビ局)の為に短くしたものなので、日本ではやって欲しくないとワン・ビンが言っていたので、日本は『三姉妹』だけで。
土屋:そうなのですね。では『三姉妹』で頑張っていただいて。あれは3時間くらいありましたっけ?
武井:そうですね。あと、例えば『鉄西区』なのですが、これを1部から見て挫折したという方が意外といらっしゃるんですよ(笑)これは労働者が働いているところが延々と映るので、慣れていない方は挫折する可能性があるのですが、ワン・ビンが「そういう時は3部から見ていいよ」と言っていたので、それも良いかと。先ほど、土屋先生の話に3部「鉄路」の話がありましたが、これは父と子の話で、すごくエモーショナルなものがあって見やすいので、もし『鉄西区』から始めて挫折しそうだと思ったら、いきなり3部を見ていただいても良いかと思います。

質問:先日香港に適用された国家安全法の影響で、アメリカの大学では中国現代史関係の講義を履修している学生が特定されないような配慮が始まりました。反右派闘争のようなテーマを正面から扱う根性のあるテーマは、大学での講義で取り上げるテーマとしても扱いにくくなっていくのでしょうか?

土屋:日本国内ではそういうことはないと思います。ただ、留学生のことを考慮しないといけないので、恐らくアメリカと同じような配慮がこれから行われていくと思います。ただ何せ今こういう状況なので、まだ香港の国家安全法の話から授業がどういう風になっていくかというのはリアリティがない状況ですね。だけど考えなければいけないとは思っています。

質問:ドキュメンタリー作家でワンビンほど撮影現場に空気のように入り込める人を知らないのですが、なぜそんなことが可能なのですか。田舎っぽくて可愛らしい以外に理由はありますか?

土屋:それは難しいですね。多分これはドキュメンタリー撮っている人は皆聞きたい話だと思います。だからどこに行っても「どうしたらそういう風に入れるのですか?」という質問は出ますし、撮っている人はそういう風に感じると思うんですね。これはやっぱり難しいと思います。ただ、色々な諸条件があって、例えば『鉄西区』の時は、先ほど少しお話逸れましたが、当時の労働者の人たちから見て、ワン・ビンが持っているカメラが、ドキュメンタリーまで撮れるとは思わなかったんじゃないかな。普通のカメラだと。というのは、当時まだハンディカムが出てからそんなに経っていなくて、小さいカメラというものの認識が中国ではあまりなかったですから。ひょっとしたらそういう小さいカメラを持っているという点が、当時は有利だったかもしれない。あと90年代の中国人って写真撮られることにそんなに抵抗がなくて、肖像権みたいなことは言わなかったですね。私も90年代なんかはカメラで盗撮じゃないけれど、普通に撮ることができたのですが、いつぐらいからなのか、ちょっとカメラを向けると「それなら金払え」とかそういうことを言われるようになったんですよね。武井:そういえばさっき土屋先生が中国人のカメラに対する感覚が日本人とはだいぶ違うというお話があったのですが、それがそういうところですか?土屋:そうです。例えば、これは私が自分で経験したのですが、80年代後半なんかだと、中国人もカメラを持っているんだけれども、やっぱりそんなに普及していない頃で、そういう状況でカメラを持って、例えば女の子に「写真撮ってあげるよ」みたいなことを言うと、「ちょっと待って」と言って、部屋に戻って綺麗に着替えて、撮る場所まで指定されるんですね。「ここで撮って」と言われるんです。こっちはカメラマンに扱われるんですよ。つまり当時はカメラで写真を撮るということは一種の記念で、綺麗にして撮る、というものだったんですね。なので、その考え方がずっと続いていて、汚いものをカメラで撮るという発想はインディペンデントが始まるまでは無かったですよね。そのあたりが大きく変わったのが90年代前半。そして95年くらいからカメラが小型化していく。それによって始めてあのような映画が撮れるようになっていった、ということなのだと思います。武井:あと私が感じているところでは、やっぱりワン・ビンのカメラは全く攻撃的なところがないんですね。実は『苦い銭』という映画を撮った時に、日本人の前田佳孝君というワン・ビンのことが大好きで中国まで留学した方が、カメラクルーとして入っていたのです。彼が、ワン・ビンから「撮られている方が、ここは撮らないでくれ、と言った時には撮るのをやめなさい」という風に言われていた、と言っているので、日本人の中には何でこんなところまで撮っちゃうの?と驚かれているかもしれないのですが、被写体が嫌がっているところは一切ワン・ビンは撮っていないと思うので、そういう意味でもワン・ビンと被写体との信頼関係というのはすごく出来ているのだろうなと思います。

質問:ワン・ビンの作品で大学生の反応が一番あったのは、どの作品でしょうか?

土屋:これは難しい。まず映画を見せるのが難しいですね。長尺なのでこれを見せる手段があまりないですね。ただ、私は土曜日の午前中9時~12時15分までの長時間で映画を上映しながら議論するような授業をやっていたのですが、やっぱり『三姉妹』が比較的人気が高かったと思います。やっぱり長いので、全部は見せられず、紹介する程度ですが。それで、一番反応が良かったのは『三姉妹』だと思います。

質問:ワン・ビン監督は海外の映画をよく見ているとおっしゃっていましたが、ワン・ビンの好きな映画について知っていたら教えてください。

土屋:海外の映画はもちろん見ているんだと思うのですが、それからの影響ということではなくて、話題としてあるのは、ある時、土本典昭監督が『鉄西区』などのワン・ビン作品を見て、ワン・ビンはワイズマンを見ているはずだということで、当時、鈴木一誌さんから私がパリにいる時に電話がかかってきて、土本典昭監督がそう言ってるからちょっとワン・ビンに電話して聞いてみてくれよ、と言われて電話したんです。そしたら、一発で電話に出たんだよね。ワン・ビンという人は私がメール書いても全然返信くれないし、電話なんかも滅多に通じない人なんだけど、その時は一発で通じたんですね。あとでどうして通じたのか考えてみたら、やっぱりあれはフランスから電話したので、表示された番号がフランスの番号だったんですね。彼はフランスと仕事しているから、自分の仕事の関係の電話かと思って出たんですよ。そしたら私で、下手くそな中国語でワイズマンのこととか言いだして(笑)
武井:「ワイズマン知っていますか?」って?(笑)
土屋:見ていないって言うから、「じゃあ送るから~」って言ったりしたんですけど(笑)ワイズマンって90年代の北京にも行ってるから、他のインディペンデント映画監督はワイズマンの影響をすごく強く受けている訳だけど、ワン・ビンは見ていなかったんですね。そのあと見たらしいけど。例えば『収容病棟』とワイズマンの『チチカット・フォーリーズ』がどうなんだという意見に対して、自分もあれは見てないって言ったか、要するに、関係無い、とはっきり断言しましたね。なので、好きな映画で彼と関係があるとすればやっぱり、ソ連の映画監督のタルコフスキーとかだと思いますね。
武井:あと、私が聞いたのはタルコフスキーの他に、日本では今村昌平監督を見ていると言っていました。
土屋:小川紳介なんかもちゃんと見ているのかな?
武井:見てないです。ワイズマンも小川紳介も土本さんも見ていないと。
土屋:すごいですよね。見ないでよくやってると思うけど(笑)
武井:そうですね(笑)
土屋:あと、イタリアのアントニオーニは好きだって。
武井:あ、アントニオーニは好きだって言っていましたね。
土屋:アントニオーニのあれは『赤い砂漠』でしたっけ。工場が映るのがあって、そのシーンが『鉄西区』に影響しているんじゃないかって言っている人もいますね。

質問:ワン・ビン作品に出てくる被写体たちは、いわゆるインタビューされて答えるというのではない、自分の中から湧き出る言葉を語っているように思うのですが、それについて知っていましたら教えていただきたいです。

土屋:そうですよね。全く同感です。知っていることは特にありませんが、例えば鳳鳴さんはずっと喋り続けていますね。印象深いのは、途中で電気が暗くなっちゃって、真っ暗になって、しょうがないからワン・ビンが「電気をつけてください」ということを言うんですね。鳳鳴が電気をつけて明るくなって、また話を続ける。ああいったシチュエーションは私自身もインタビューをした時にありました。中国の人で自分の文化大革命とか反右派闘争の辛い話を始めるともう止まらないんですね。3日くらいは話し続けるみたいですよ。なので、ある私の友人のドキュメンタリストは、はじめは2時間か3時間聞くはずのつもりで行ったんだけど、結局3日間その人の家に泊まったと言っていましたね。話す人がやめられない、止まらなくなってしまう。
武井:そうですね。あとワン・ビン監督はそういう話したいものを持っているのを察知する力というのも持っていらっしゃいますよね。この人を撮りたいと思った時に、ちゃんとそういう人に当たるというところがすごいですよね。
土屋:ある私の友人が言っていたのですが、『鳳鳴』を見た時には「中国にはこんな鳳鳴みたいな人がいるんだ」と思ったけれども、『死霊魂』を見た後に、「鳳鳴みたいな人が中国には沢山いるんだ」と分かったと言っていましたね。確かにそういうことです。だけど今の、その後の世代はどうなのか。やっぱりあれだけ激しい歴史の中に生きた人たちの人生を語る気持ち、私たちにはちょっと想像つかないですね。

質問:質問が2つあります。まず、個への視点について質問いたします。中国では国家など大きなものが優先されると思いますが、個人の活動はどの程度まで許容されるのでしょうか?漠然とした質問ですみません。また、『収容病棟』のご説明で思い出しましたが、中国の精神病院の2005年ごろの写真集が日本でも出版されました。弱者が注目された時代だったのでしょうか?

土屋:個人の活動、普通はほとんど問題無く許容されます。だから、要するに反体制、反共産党、反対すること、それがまずいです。それ以外のことは別に何の問題もないと思います。そして次の質問で『収容病棟』についてですが、これは鋭い指摘です。その本は『忘れられた人々』という題で、精神病院を撮った白黒写真集です。呂楠(馬小虎)という人が撮ったのですが、元はもっと古く、2005年に出ているのは復刊本だと思います。映っている精神病院がかなり前、恐らく80年代末なんです。この写真集『忘れられた人々』については、1回見たら夜寝られなくなりますよ。本当にすごいです。その写真を見た後に『収容病棟』見ると―『収容病棟』という映画を見ると中国の精神病院はすごいなと思いますけれども―もう随分良くなっているということが分かります。従って、『収容病棟』という映画は、病院側は自分たちはちゃんとやっているということを撮ってもらう、ということで撮れたんです。そうでなければ、撮れないです。もう今は全く撮れないと思います。
武井:そうなんです。『収容病棟』は日本で公開された時に、日本の精神病院のイメージで見るので、まるでワン・ビンがあの病院を批判してるかのように捉える人がいたのですが、ワン・ビン自身もそういった質問が来ると「いや~あそこの病院はよくやっている」と言っていましたね。お医者さんや看護師さんたちも、かなり自分たちは頑張っている、それが映っていて良かったって。
土屋:今のご指摘で思い出したのですが、呂楠の作品集は日本ではその1冊だけなのですが、実は彼は雲南省のキリスト教徒を撮っている。あとチベットも撮っているんですね。雲南省のキリスト教徒の写真なんかは涙出ますよ。彼は中国で一番最初にマグナムに所属した人です。

質問:『死霊魂』第3部の収容所の元職員の話がありますが、ワンビンはタバコを吸い、元職員は何度もお茶を注ぎ足していてやはり動揺しているのかと見えました。土屋先生はこのパートに関してどのように思われますか?

土屋:そうですね、あの部分は驚くべき、よくぞ撮ったという場面で、話す方もよく話したなと思います。やっぱり緊張していますね。傍に、犬かなんかがいて、鳴いていて、あの鳴き声と扇風機かなんかの音が響いていて、緊張感がまた増幅させられるような感じです。職員は、はっきりと「あれは殺人だ」と言ってしまっていますからね。
武井:そうなんですよね。
土屋:元職員が喋っている言葉は、やっぱり現地の訛りのある言葉です。そしてワン・ビンも同じ言葉を喋っていますね。あの辺は天水という場所で、甘粛省でも陝西省と並びの地域で、両方とも比較的言葉が近いんです。私は陝西省の西安で日本語教師をしていたことがありまして、少し聞き取れるのですが、2人は同じ方言を喋っていますね。そういった部分で親しめるのではないかな。こっちから見ているとワン・ビンも随分態度偉そうだなとか思うのですが(笑)あの辺の人たちはああいう人情味がある感じなんです。また、あのあたりは、さっき龍門石窟の話をしましたが、あそこの場所にも龍門石窟と同じ頃に造られた麦積山石窟というのがあります。あの場面で、棚の上に写真が置いてあって、その写真に麦積山の石窟の写真が映ってます。それは、わざわざ映したんだと思うのですが、天水だという証明ですよね。特徴のある山なので、すぐに写真で分かります。私はあそこに2回行きました。

質問:土屋先生は中国に行かれることがあるかと思いますが、現地でワン・ビン監督の話を一般の方から聞いたりする機会はあるのでしょうか。作品は見られないとしても、どれくらい中国で知名度があるのでしょうか。

土屋:一般の人は全く知らないです。映画に関わっている人は、あるいは文学とか文化系に関わって先鋭的な研究をしている人とかは知っている人が多いです。映画関係者はもちろん全員知っているし、みなさん意識していますよ。インディペンデントの映画監督に言わせると、ある人はこういう風に言っています。インディペンデントの映画をどういう風に見てもらうかという観点で考えた時に、中国国内で撮って中国国内で映して見せていくというやり方ではなく、ワン・ビンみたいに外に持っていってしまって外で発表する、というのも一つの戦略だと。要は中国の現実を撮って、それを皆に見てもらうことが大切なのであって、ワン・ビンはその一つの戦略をやっている、そういう戦略なんだと。そう言った本人は、自分は中国を出ない、自分は中国を出たら映画を撮れない、と言っていました。
武井:ちなみに最近若い中国のドキュメンタリー監督で、とてもワン・ビンを尊敬して、尊敬しすぎるあまりか、ワン・ビン的な映画を撮る人たちが結構増えていますよね。私自身、すごくワン・ビンっぽいと思う作品が増えていると感じています。
土屋:去年の山形国際ドキュメンタリー映画祭でも若い人でやっぱりいましたね。なかなか良かったと思うので、本人にはもう言ってあって、専修大学で上映会したいなと思っているのです。
武井:あと補足しますと、ワン・ビンが「外に持っていく」と土屋先生おっしゃいましたが、今はたしかにワン・ビンはパリに住んでいます。ただ住み始めたのは2年、3年前からですよね。それまではずっと北京に暮らしていましたので、ずっと中国で、ここ最近いろいろな事情でフランスに住んでいるということだと思います。
土屋:行ったり来たりじゃないのですか?
武井:いや、家族が今パリの方にいるので、それで大学で映画を教える仕事があるので、基本的には今はパリにいて、撮影の為に中国に帰ってくるというようなやり方ですね。最近土屋先生は、WeChatかなんかでワン・ビンとやり取りされたと伺いました。
実はワン・ビンはコロナの時、その少し前から撮影していたので中国に入っていたのですが、コロナで全然帰れなくなっちゃって。どうなるのだろうと思ってすごく心配したんですが、無事ヨーロッパへ戻られたということですね。
土屋:順路はよく分からないけど、先にブリュッセルに行ってたみたいですね。そのあと隔離されて、隔離先は暇だったらしくて、写真送ってきたりしてたけど。
武井:WeChatってインスタみたいな機能があるんですかね?ワン・ビンが撮った写真がよくあがっています。興味のある方はぜひ見てください。

質問:『TA’ANG』を是非日本でも見たい。

武井:これは、まあなんとか余裕がでましたら…
土屋:私もお願いしたいな。
武井:ただ、『TA’ANG』というのはこれちょっとあれなんですよね。タイミングのものでもあるんですよね。あれはワン・ビンも結構突発的に撮った映画で、ミャンマーと中国国境の話ですよね。タアン族という彼らがミャンマー内戦の影響を受けて逃げ込んできて、何て言うんですかね…そこで大勢が暮らしているところを撮っているという。
土屋:あの映画はフランスではDVDが出ているんです。
武井:そうですね。
土屋:私の本では、山口俊洋さんがフランス語版の字幕を詳細に検討し、フィルモグラフィーで徹底的に解説を書いてありますから、ちょっとそれを読んでいただけるとよく分かると思います。
武井:はい、ということで公開についてはいずれ機会がありましたら。

質問:日本人の観客はワン・ビン監督のドキュメンタリーをみた後、どういう感想をもちますか?

武井:中国の留学生の方からの質問ですね。
土屋:その前に、今のドキュメンタリー映画が好きな方に、見る時のおすすめを一言。ワン・ビン作品だとしたら、やはりワン・ビンと比較されるようなものを見てみることをお勧めします。例えば、今回の『死霊魂』だと、やっぱり『ショア』との関係、『ショア』との比較というのはどうしても出てくるので、『ショア』を見て考えてみるというのもひとつの手だと思いますね。
武井:そうですね。『ショア』は日本でDVDでご覧になれるので。はい、あとそれからさっき話題に出たのですと、フレデリック・ワイズマン。『チチカット・フォーリーズ』は特集上映をやる時でないと見られないようにはなっていますが、弊社で配給した『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』や『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』は見られますので、良かったら見てください。
土屋:日本人がワン・ビンを見るとやはり、“知らなかった中国”ということなのかな。少なくとも日本人は、中国人の生活をあまり良く見ていないですね。それはもちろん日本人側の問題もあるんだけれど、なかなか実際の生活を見る機会が少ないです。NHKのドキュメンタリーなんかでは良いのを出していますけど、なかなか少ない。学生に見せたりすると「中国の人たちこんな風なんだ!」といった感想をもちますね。
武井:私が一緒に仕事をしているデザインをやっている方で、ちょっとその方は初めは中国に対してあまり良いイメージをお持ちではなかったんですね。やはり政府がやっていること、というのを先に感じてしまうので、「ちょっと中国得意じゃないわ」って思っていた方がワン・ビンを見たら、「中国人は好きになった」という風におしゃっていて。それは面白かったですね。ワン・ビンの映画はとても魅力的な人がいっぱい出てくるんですよ。面白いなって思う人とか、心に引っかかってくる人がいっぱい出てくるので。
土屋:特に今回の『死霊魂』なんか見ると、一人ひとりの人たちがものすごい個性を持ってる。それだけじゃなくて、気骨があるというか、強さがあるというか、自分の考えはこうだと、こういう風な生き方をしてきたんだという感じがする。そういうのは中国人ならではですね。もちろん他の国でも、例えば中南米の小説なんかも、読むとすごい人たちいっぱい出てきますけれども。あまり簡単に中国はこうだという風には考えない方が良いかもしれないですね。特に政治の問題と一般の人たちの生活は違うから。それはワン・ビンの場合もそうで、ワン・ビンは別に、政治のアピールのために映画を撮っている訳じゃないから。ただ、中国の場合は、ああいう歴史の問題を扱うと自ずとちょっと共産党の考え方とは違うものになってしまう。だけど、どちらがより真実に近いのかと考えたら、それはワン・ビンの方が真実を追求している。とんでもない人です。ただ、中国の映画監督ってワン・ビンもすごいんだけど、他にもワン・ビンみたいな人がいっぱいいて(笑)日本で知られていないだけなんです。これをどういう風に発掘して、日本でも知られていくようにするかという、日本の映画ファンがそういう層を増やしていくことが必要です。『原油』という映画を見た時に、あの作品も長くて大変な重い映画なのですが、最後まで見たのが5人か6人しかいなくて、それが顔なじみの人ばかりなんで、終わってから飲みに行って。そしたらある人が「土屋さん、中国にはワン・ビン何人いるんだ?」って言われて(笑)そういう印象を持つんですね。ワン・ビン以外の人たちもぜひ触手を伸ばしてみていただくと良いのではないかなと思います。そのためには映画界の人たちがもっと見られるようにしないと。私もたまには上映会なんかをしています。
武井:ぜひ。
土屋:もしご関心ある方は私の方にご連絡いただければ催しの時にご連絡させていただきます。最後宣伝になっちゃったけど(笑)
武井:どうぞ宣伝してください。はい、『死霊魂』なのですが、これからイメージフォーラムでもアンコール上映が10/3~決まりまして、そしてアップリンク吉祥寺でも上映があります。その他にも色々日本全国ゆっくりとですが、回っていきますので、ぜひお近くの劇場に来た時に見ていただければと思います。そしてあの、この中国の留学生の方からの質問ともちょっと関係するのですが、この『死霊魂』という映画が最初にイメージフォーラムで公開された時に朝日新聞の映画評で、秦早穂子さんという大変有名な映画評論家の方が映画評の中で最後「横浜事件」に触れていたんですね。ですので、やはりワン・ビンが撮る映画を単に中国だけの問題として思わずに、日本でも起こった話だし、これからも起こりうる話だ、という風に思いながら見ていただくのも良いのかなと思っています。
武井&土屋:皆さん、ありがとうございました。
武井:何か質問がありましたら、弊社に送っていただいても結構ですし、土屋先生にどこか、専修大学の方なのか。また先生が上映会をやる時にでも足をお運びいただければと思います。そして、いつか土屋先生が『死霊魂』の本をまた5年後か6年後か7年後かにきっと作ってくれるんじゃないかと思って期待をして、終わりたいと思います。
土屋:どうでしょう(笑)
武井:ぜひ頑張ってください(笑)では、今日は皆さんありがとうございました。

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第一部:「ワン・ビン監督はここが凄い」デビュー作からこれまで
第二部:話題の大作『死霊魂』を深く読みこむ
第三部:参加者の質問に答えます!
MC:武井みゆき(ムヴィオラ代表)

【講師】
土屋 昌明(中国文学者/『ドキュメンタリー作家 王兵(ワン・ビン)現代中国の叛史』編著者)
1960年神奈川県生まれ。中国文学者、専修大学国際コミュニケーション学部教授。中国古代文化を研究しつつ中国現代史・映像歴史学にも関心を持っている。編著に『目撃!文化大革命』(太田出版)、『文化大革命を問い直す』(勉誠出版)、共訳書に廖亦武『銃弾とアヘン』(白水社)など。今年3月には編著書『ドキュメンタリー作家 王兵(ワン・ビン)現代中国の叛史』(ポット出版プラス)刊行。