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原作大幅改変。大泉洋当て書き作品。映画「騙し絵の牙」

めーめー。

大泉洋といえば、北海道が誇る出世頭の俳優であり、北海道のローカル番組「水曜どうでしょう」でブレイクし、次第に活動の場を広げ「探偵はBAR」にいるといったシリーズものも主演し、紅白歌合戦の総合司会を行う等マルチな才能を発揮する人物です。

「騙し絵の牙」は、塩田武士による原作を映画化したものとなっており、原作小説自体が、大泉洋を当て書きして作った、というなかなか気合の入ったメディアミックス作品となっています。

そのため、個性が強い大泉洋の演技が際立つ形で、文字通りはまり役となっているところが見どころの一つです。

映画化にあたっては、「腑抜けども悲しみの愛をみせろ」、「桐島、部活やめるってよ」で一気に注目を高めた吉田大八が監督ということもあり、その完成度は群を抜いています。

とはいうものの、映画版は、原作とはまったくの別物となっておりますので、そのあたりも軽く書きつつ、どういった作品なのかについて感想を書いていきたいと思います。

騙されることに騙されるな

本作品は、キャッチコピーと売り方で大きく損をしている作品です。

「最後の最後、あなたは騙される」

騙し騙され映画といえば、ニコラス・ケイジ主演「マッチスティック・メン」や、「ユージュアルサスペクツ」なんかを思い出してしまう人もいるかもしれませんが、物語のどんでん返しという点では、「鍵泥棒のメソッド」でも何でもいいですが、いったい、自分はどう騙されるのか、ということをついつい考えてしまうところです。

しかしながら、「騙し絵の牙」は、出版業界や、その周りの関係機関に対して敬意や、業界の今後に対する不安や展望を含めて、非常に真面目に作り上げている作品となっています。

登場人物たちそれぞれにとって行動や信念が、会社組織や出版業界の意図するところとずれたりすることはあるにしても、単なる絵空事ではない危機感を重ねながらエンターテインメントに仕上げてある作品となっています。

結果として会社を騙すような形にはなっていたとしても、視聴者に対しては別に嘘をついたり騙したりはしていないので、その手の映画だと思い込みながらみてしまうと、楽しみ方がズレてしまう恐れがありますので注意して欲しいところです。

映画「騙し絵の牙」は、登場人物たちにそれぞれの思惑はありますが、出版不況に対して、圧倒的な手腕で乗り越えようとする大泉洋演じる速水と、理想と現実の中で悩む若手編集者である松岡茉優演じる高野恵がメインストーリーを引っ張っていきます。

現時点における日本の俳優陣としても、かなり豪華な役者・スタッフを取りそろえた作品となっておりますので、ぜひ、先入観をもたないでみていただきたいと思います。

それでは、少し中身に入っていきたいと思います。

社内政治もの

物語の根幹に流れるものは同じですが、原作と映画では、物語の見せ方が根本的に異なってます。

原作においては、当て書きされているだけあって大泉洋演じる速水が、出版不況のあおりを受けて、雑誌「トリニティ」の廃刊を脱する為に、様々な手を尽くそうとしながら、苦悩する姿が描かれます。

大泉洋を当て書きしたとはいうものの、若干ひょうきんなキャラクターが中間管理職の悩みや、自分自身の家庭の危機も含めてどのようにしていくかというところで悩む、中年のための物語となっています。

一方、映画については、松岡茉優演じる高野恵というキャラクターを、原作とはまるっきり別の存在、ほぼオリジナルキャラクターとして登場させているところが、秀逸です。

結果として、若手編集者として現実に挫折しそうになっている松岡茉優演じる高野恵が、敏腕編集長である速水によって、現実を知った上で、たくましく成長していく映画として、実に見事にまとまっています。

しかも、「半沢直樹」シリーズを描く池井戸潤のような、会社組織による社内における政治的な部分があったり、そもそも、出版業界の流れとして、抗うことのできない本屋も含めた不況など、非常に根深い問題もスマートに見せています。

特に、近年日本に2万店舗以上存在していた小さな本屋さんは次々と廃業を余儀なくされている現実も、高野の実家が本屋ということにすることで、より身近な問題として描き、一方で、夢を見すぎな部分はあるものの、このようなやり方もあるのではないか、という希望のラストを描くことに成功していたりもします。

政治ものとしての牙

社内政治におけるやり取りといえば、先ほども書いた池井戸潤の「半沢直樹」シリーズは、大変なブームとなりました。

「倍返しだ」

という風にはなりませんが、佐藤浩市演じる社長派と、佐野史郎演じる専務派による派閥争いに出版社そのものが振り回されてみたり、大物作家による出版社への影響も描いています。

筒井康隆や、京極夏彦のような風貌の大物作家を演じているのが、国村隼なのですが、かなりの迫力と老練な雰囲気があります。

「先生、最後に編集者に鉛筆を入れられた(修正や訂正)のはいつですか」

いつの間にか裸の王様のようになってしまった大御所作家の末路を描きつつ、そこからの救いと皮肉が描かれてもいます。

また、様々なテーマや問題点を巧みに併せている脚本の素晴らしさが際立ちます。

普通であれば、社内政治のやり取りなんて言うのは、重々しい雰囲気ばかりになって、裏工作であったり、隠れた繋がりがあったなんていうので、どんでん返しがあったりするものですが、社内的なやり取りは、大泉洋演じる速水が請け負います。

また、それに翻弄される若手編集者や末端の人間というのも、組織人である視聴者からすれば、良くも悪くもあるある話といえなくもありません。

古い体質である組織の中で、どう戦おうとしていくか、というところが面白いです。

廃刊寸前雑誌を救え

「騙し絵の牙」は、実を言いますと、物語のあらすじを簡単に書くのが難しい作品となっています。

いくつかのレイヤー(層)にわかれておりまして、大泉洋演じる敏腕編集長によって、廃刊寸前の雑誌をよみがえらせる、という話は素直に面白い部分です。

佐藤浩市演じる東松社長と、速水が肩を並べて、「あのお客が、先に雑誌を買うぞ」というやり取りがありますが、釣りバカ日誌にような社長と一般社員との間のほんわかした一場面にも見えますし、彼らのやり取りそのものが、既に時代遅れの期待であると同時に、まだ出版業界には希望があるはずだ、という願いにもつながっています。

原作では、すでに長い間「トリニティ」の編集長として支えてきた人物として速水というキャラクターは描かれますが、映画では、廃刊の危険がせまる雑誌にやってきた、敏腕編集長として改革をはじめるキャラクターとなっています。

「どこかでみたことあるような企画ばかりだな」

と、グルメ、旅行、レジャー、グルメ、と無難な記事をつくり、活力を失っている雑誌の現状も描き、遠回しに、無難な記事をつくっている雑誌そのものへの皮肉や非難もいれられています。

やる気が微妙になさそうな社員たちが、少しずつやる気を出していくというビジネスものとしても、十分すぎる面白さがあります。

そして、AMAZONも含めた、ネット販売や、電子書籍についても、彼らは危機感を覚えながらも、雑誌を売るために力を尽くすのです。

若手編集者ものとして

業界について何も知らない新人を媒介として、視聴者にいろいろなことを教えてくれる作品というのも面白いものです。

「騙し絵の牙」では、まるっきりの新人ではなく、伝統であるとか格式といった、正直どうでもいい権威の為に、自分の信念に疑問をもたざるえない若手編集者高野恵が、本当の主人公となっています。

まだ見ぬ才能を発掘する為、投稿作品を読む。

何気なくめくっていたページがどんどん早くなり、それとフラッシュバックして、会社の社長が突然死をする場面と繰り返されるあたりは、吉田大八監督の編集術の妙といえるでしょう。

松岡茉優演じる高野恵は、雑誌「トリニティ」で企画を考えては、没をくらったりして、良くも悪くも自分の力を思い知ります。

速水が考える企画はことごとく面白そうなものばかりです。

また、現代社会を意識した話題になる作品ばかりとなっており、まさに敏腕にふさわしい働きっぷりです。

若手編集者が、やり手の先輩編集者を超えようとする話としてみるのも面白い点です。

面白い作品ではあるものの、どうしても地味な内容になりがちな本作品ですが、それっぽく面白い要素も取り入れています。

高野恵が、突然姿を消した大物作家を探すというところは、改稿された原稿をたよりに探し出す、という歴史ある出版社の編集者でなければできないやり方を披露しています。

イケメン作家を意図的に作り出して話題性を作り出したり、それそのものが社内政治に利用されたりするあたりも含めて、非常に、今風なつくりとなっているところもポイントが高いです。

原作との違いについて

原作についても語っておきたいところです。

原作は、あくまで主人公は大泉洋となっており、「トリニティ」という雑誌に対しても、映画よりも、はるかに長い付き合いと思い入れがあるという設定になっているというのは、冒頭でも述べたとおりです。

大泉洋が言いそうな(でも、決して言わないだろう)セリフを言わせるのは、ファンであればむずかゆいところでしょう。

また、映画ではばっさり切られていますが、家族問題というのも取り上げられており、小説向きの題材ではあるものの、映画を見てから小説をみると、その切り口の違いに驚くはずです。

作品というのは、見せ方ひとつでこれだけ別物になるのだ、ということも教えてくれる作品となっています。

時代は変わる。

冒頭でも書きましたが、騙す騙されるという構図にだけ気を配ってみてしまうと、人間関係のわずかなやり取りや、メンツといったもの、時代の流れが変わっていく中で、どういう風に生き延びようとするのか、というところを見逃してしまいそうになってしまいます。

「時代は変わったんです」

KIBAプロジェクトというのが、それっぽく語られており、かつて日本の出版社がやろうとしていたことが示されます。

ただ皮肉にも、社内政治やその他もろもろの影響によって、日本は先手を打つことができず、かつては素晴らしいはずだったプロジェクトも、すでに時代遅れのプロジェクトになっていた、という皮肉が描かれています。

あまり意味のある考察ではありませんが、社長のイニシャルが、K・IBAとなっており、プロジェクト名そのものが、伊庭喜之助という社長の名前というか、ご機嫌取りのような名前だったことがわかります。

「機動警察パトレイバー 劇場版」にでてくる、帆場暎一を思い出すようなところ演出があったりします。

深読みをしてみますと、「機動警察パトレイバー 劇場版」においての帆場という人物は、自らの死後発動するように事件をつくっており、すべては死者の手のひらで行われていたという物語になっています。

いずれにしても、脚本の綿密さ、出てくる俳優陣の豪華さ、時代が動いている今だからこそ、一番面白く見ることができる作品が「騙し絵の牙」となっています。

おそらく、これがもっと未来にみてしまった場合、感想は変わってしまうかもしれません。

とっくに、紙の出版は廃れている未来であれば、この作品の見え方は変わってしまうでしょうし、出版そのものの在り方がかわったのであれば、正解を知りながら答え合わせをするような作品としてみることになるかもしれません。

よくも悪くも、今みるからこそ、その面白さがより際立っている作品となっております。

以上、原作大幅改変。大泉洋当て書き作品。映画「騙し絵の牙」でした!


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