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映画感想文「月」 主語は「私」

映画館で現在公開中の「月」を鑑賞しました。
感想を書いてみようと思います。

2023年 監督・石井裕也

深い森の奥にある重度障害者施設。ここで新しく働くことになった堂島洋子(宮沢りえ)は“書けなくなった”元・有名作家だ。彼女を「師匠」と呼ぶ夫の昌平(オダギリジョー)と、ふたりで慎ましい暮らしを営んでいる。洋子は他の職員による入所者への心ない扱いや暴力を目の当たりにするが、それを訴えても聞き入れてはもらえない。そんな世の理不尽に誰よりも憤っているのは、さとくんだった。彼の中で増幅する正義感や使命感が、やがて怒りを伴う形で徐々に頭をもたげていくーー。

公式サイトより


まず最初に伝えたいのは、この作品に携わった方たち(監督・キャスト・スタッフ)の勇気に敬意を表したいということ。
この作品は、神奈川・相模原で起きた障害者殺傷事件をモチーフにした原作小説を、石井監督が脚本も兼ねて映画化したものです。
今作ではその事件も描いています。

事件を描くべきかそうじゃないかはいろいろ意見があると思う。
ただ今作は踏み込んだ描写をすることで、観客を事件に対して向き合わせようという強烈な意図がある。目を背けることは許されないことなんだ、と。
事件をタブー視しない創作姿勢に、自分はまず賛意を送りたいと思いました。

次に、そこから離れて劇映画としてどうだったか?
今作の特徴は石井監督のアプローチ方法にあると思う。

主要登場人物は4人。あらすじに出てくる3人と、障害者施設で働く作家志望の陽子(二階堂ふみさん)。
4人とも何かしら創作することに生きがいを見いだしている人たち。
洋子は作家、夫・昌平は造形アニメの自主制作。磯村勇斗さん演じるさとくんはが絵うまくて、それを生かして入所者に紙芝居を披露する。

ここには石井氏の創作者(映画監督)としての実人生が重ねられていると思う。
つまり石井監督は、主語を「私」にしてこの映画を作っている。決して他人称で語っていない。

物語が終盤に向かうにつれ、洋子とさとくんは考えを違えるようになる。
そしてさとくんは「生産性がない」「心のない人間は生きている価値がない」という誤った正義感・使命感から障害者を排除する行動に出る。

でも、ここでふとエクスキューズが浮かぶ。
今自分は『誤った正義感・使命感から~』と書いたけど、それは誰の視点なんだろう?
さとくんに対して、「自分とは遠くかけ離れた偏った考えの人間」と言い切れるのかどうか。
さとくんと同じように考えたことはひとかけらもないのか?
障害のある方を馬鹿にしたり見下したりしたことはないのか?

その鋭い刃を監督は自身にも観客にも突きつける。
誰にも逃げ場を与えない。他人事にさせない。『主語は「私」』がどこまでもついて回る。
自分はそのアプローチの気迫がすごいなと。

ただそのアプローチを評価する一方で、登場人物が監督の分身になり、映画が少し観念的になってしまったきらいも感じたのです。
自身とさとくんとを作品の中で対決させるメタ的な部分がある。
というのも、施設の描写などに悪意の誇張があるんですよね。
もちろん劇(フィクション)映画なので誇張表現は当然あるのだけど、主要キャスト以外の施設職員がみなひどいやつだし、反対に入所者の家族がたったひとりしか登場せずその人がめちゃくちゃいい人、っていう描き方に違和感を持ったのです。
実際には熱心で献身的な職員の方もいらっしゃるだろうし、施設に預けっぱなしの家族もいると思う。(その背景には社会の偏見・差別があるかもしれない)
障害者支援に関する行政の問題だってある。

でもたぶん石井監督は主語を「関係者」や「社会・行政」に変えたくなかったのだと思う。
それをすれば視点は広がるけど、一方で逃げ場を与えてしまう可能性がある。
「自分とは関係なくて、然るべき人が考えて」と。(「然るべき」って政治家がよく使いますよね。。。)
主語をあやふやにしては、石井氏は作品を立ち上げられなかったのだと思う。
あくまでも「私(主人公の洋子と昌平の夫婦)の物語」でさとくんの考えに対抗できるかどうか、自身にも観客にも問うている。
繰り返しになるけど、このアプローチは見事だと思う。

最後に、話はちょっと飛ぶのだけど、最近いろんな人たちの感想文を読むのが楽しい。
「なるほど」と思ったり、「げ!自分と真逆の感想だ」と思ったり。
まあポジ・ネガ両方の感情があるのだけど、何で読むかっていうと、根本には「混ざりたい」っていう気持ちがあると思う。
要は、映画についてあーだこーだ言ってる輪に入っていきたい。
もちろんそこには意見が合う人もいれば合わない人もいる。
でも、子どものときの、後から友達の遊びに仲間入りしていくあの感じ。
あの感覚に似ているドキドキワクワクがある。

今回の石井氏のアプローチは首根っこをつかむような力強いもの。
何回も繰り返すけど、氏の覚悟が伝わる素晴らしいアプローチだと思う。
ただ一方で、もう少し柔らかいアプローチ方法もあるのでは、と感じたのです。
「あなたは何も分かってない。障害者をめぐる現実の状況はそんなに甘くない」という声はあると思う。
けれども、『主語は「私」』はそのままに、障害者を取り巻く輪を大きくしていくことはできないのか。
自分は「リアルな声」と「リアルを変えていく声」の両方に耳を澄ませたいと思う。

総合評価 ☆☆☆+☆半分(☆5つが最高)


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