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【書評】宮部みゆき「火車」 「証拠写真」は「思い出写真」にならなかった…

自宅の本棚をごそごそと探っていたところ、この「火車」が目に入ったので、もう一度読んでみました。
で、感想を書いてみようと思います。

自宅の「火車」

著者・宮部みゆきさんの代表作であり、社会派ミステリーの傑作と名高い本作ですが、もう30年前(1992年発売)の作品なのですね。。。
ということで、簡単なあらすじです。

休職中の刑事、本間俊介は遠縁の男性に頼まれて彼の婚約者、関根彰子の行方を捜すことになった。自らの意思で失踪、しかも徹底的に足取りを消して――なぜ彰子はそこまでして自分の存在を消さねばならなかったのか? いったい彼女は何者なのか? 謎を解く鍵は、カード社会の犠牲ともいうべき自己破産者の凄惨な人生に隠されていた。山本周五郎賞に輝いたミステリー史に残る傑作。

新潮社サイトより

「火車」のいいところ

この「火車」はいいところがいっぱいあります。
箇条書きで挙げてみます。

・主人公の本間は「休職中の刑事」という、ちょっとひねった設定。

・その設定のため警察の組織力は使えず、主人公とその協力者たちが得た情報のみで捜査が進む。地道だが、少しずつ事実が明らかになる面白さ。

・被害者の関根彰子は28歳だが、人生を一番謳歌していそうな若い女性の生活が、実は華やかなものじゃないというギャップ。

・多重債務問題やクレジットカード破産の実態を説明してくれて、お金の社会勉強になる。

・「野球場の中に戸建ての家がある」とか「関根彰子の母親はどうして亡くなったのか?」とか、本筋とは別で大小さまざまな謎を用意していて、飽きさせない。中盤のなかだるみがない。

・犯人の新城喬子をただの悪人に描いていない。感情移入できる背景があり人間味がある。

・犯人が一番最後に現れるその構成。そして余韻を誘う圧巻のラストはたまらない。

と、ぱっと思いついたところを書いてみました。

ジェンダーを意識している

あらすじにもあるように、「『火車』といえばカード破産」と、お金にまつわる社会問題を描いたイメージがありますが、実はもうひとつ社会派の要素があります。
それは、ジェンダーです。
この小説は、登場人物の性別をかなり意識していると思います。

事件を追う本間は男ですが、事件の主役である犯人と被害者は女性。
また本間の隣人である井坂家は夫が主夫で(さらに他家の家政夫業もしている)、妻は外でバリバリ働いている。

加えて、上記で挙げたように「休職中の刑事」ということで、警察内の様子は描かれません。
いわゆる警察小説のような男性社会の組織論的なものはなく、マッチョな感じは全編をとおしてありません。
30年前の当時のリアルさを失わない程度に、男性性的なものがそれとなく削がれている気がします。
「性別」よりも「個人」を軸に登場人物たちが動いている印象を受けました。
この点も「火車」のいいところのひとつだと思います。

ターニングポイントは「霊園見学ツアー」

とはいうものの、「火車」はジャンルとしてはミステリーものなので、一番の見せどころは事件の解決です。
ですが、この小説のすごいところは、犯人である新城喬子が被害者である関根彰子を殺す場面が一切描かれていない。実際どうやって殺したか分からないんですよね。

さらにいえば、犯人と被害者が一緒にいたという証拠はひとつしかなくて、それは「霊園見学ツアー」の写真のみなんですね。あとは全部状況証拠でしかない。

自分はこの「霊園見学ツアー」の写真に、グッとくるものがありました。
被害者と犯人の2人は、ここで初めて出会う。
霊園見学で若い女性は2人だけだから、自然と距離が縮まり、話が進む。
どうしてお墓を買おうと思っているのか?家族を亡くしたのか?お互いが身の上話を語りあう。

自分は、ここが犯人の新城喬子にとって、ターニングポイントだったと思うのです。
喬子はある方法によって、彰子に身内がいないのをつかんでいた。
そして「関根彰子」という身分を乗っ取るために近づいた。
今までは想像(殺害計画)の中の人物でしかなかったのに、実物の彰子に初めて会って話をした。

自分は、この時に喬子が思いとどまれば引き返せたのではないか、と思うのです。
喬子はその悲惨な境遇から、恐ろしい動機をもって彰子に狙いを定めたけれども、2人には家族を亡くし、天涯孤独の身という共通点があった。同性で年も近い。
そして一番大きいのが、2人とも「お金のトラブル」を経験している。

もしここで喬子が自分の身に起きたことを彰子に正直に話していたら、どうなっていただろう?
きっと2人は仲良くなれたんじゃないかと、自分は思うのです。共感し合えたんじゃないかと思うのです。
そして2人は友情とはまた違う絆で結ばれた関係になれたかもしれない。
自立心のある2人だから、きっと自分の力でやり直すことができたと思う。
このたった一枚の証拠写真が、「そういえば私たちってそもそも霊園見学で出会ったんだよね」っていう思い出写真になっていかもしれない。

でも、そうはならなかった。
新城喬子は冷静に彰子を「品定め」し、犯行に及んだ。
この写真の2人の笑顔が永遠に失われてしまったと思うと、自分はとても切ないのです。

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