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17 解決策より「知る」が大切

 さて、これまでの記事で私はいろいろネガティブに感じられるな事ばかり書いてきました。社会のあり方や会社のあり方、そして学校も先生も。全て斜に構えて見ているように思われたでしょう。そして解決策を全く示していません。SNSやこのnoteにおいて、こうした書き方は多くの方に読んでいただけない書き方だという事は認識しています。アクセス数を上げて❤️をいただくにはこの書き方ではダメです。

 では、どうしたらアクセス数を・・・いえ、そんな事は言いません。違います、違います。

 もし私が、あなたの人生の問題を解決する単純明快な解決策(ソリューション) を箇条書きにして10個提示したとします。この10個をきちんと守ればあなたの人生の問題は解決してその後の人生は上手く回るようになるでしょうと言います。実際にそうしたものを提示する方は多くいらっしゃいます。Twitterでもこのnoteでも個別のサイトでも探せばいくらでも出てきます。そしてそれを読んで実行して問題が改善する方もいるのではないかと想像しますからそれ自体を私は否定しません。

 ですが、そうした解決策を提示するとした場合、誰にも合うような概要的なものにならざるを得ません。細かい内容を含めてしまいますと、その中の一つでも合致しない事になれば全体がダメと思われてしまうからです。解決策を提示するにあたって私はこれを読んでいただいているあなたと直接会って話はしていませんし、話したとしても私の経験から出てきた解決策のカバー範囲があなたの人生の範囲を完全に超えるものであるかどうかはわかりません。いくら私の年齢があなたの年齢を数十年上回っていたとしても、私があなたの全ての経験を包含するほど経験しているとは言えないのです。なぜなら、私の身体はたった一つしかなく、脳みそも一つですからどう考えても点と線でしかありません。

 そんな私があなたの人生の問題に解決策を提示できるとしたならば、私は神様か詐欺師かどちらかという事にはならないでしょうか?

 ですが人はシンプルでわかり易く普遍的に見える解決策を好みます。そうした解決策を見ますと「腑に落ちた」と感じます。つまり「なんだ、そんな簡単な事だったのか」というオチに持って行きたいと、解決策が示される以前から受け手は望んでいるのです。ですから解決策を出す方もそれを狙っていると言えます。ですが人生は落語ではありません。きれいなオチは無いのです。ですから私はリストになった分かり易い解決策を提示しません。それ以前にできないのですが。

 さて、その代わりに私が提示するのは「知る」という姿勢です。何気なく当たり前だと考えている中のあるものは当たり前ではなく、あまりにも自然に見えている為に誰も疑問を持たない事が自然でない、そして今は問題無いように見えていても後々そうではなくなってしまうというような事を、まずは「知る」という事。完全に知る事ができない場合でも知る姿勢を持つという事が大切です。起きている物事の構造を知る事ができればそれに対処できます。少なくとも対処する時間はできます。知らないでいて問題だけ表出しますと対処は難しいのです。

 ですから私の場合は簡単な解決策を提示するのではなくて、知る事に重点を置いて書いているのです。知るか知らないかは今現在の時点では人生にそう大きな違いを与えません。ですが、長期的には大きな違いを産むでしょう。とりわけ皆さんが社会からまともな仕事を与えられなくなった時には。

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