ことわざ作り師について

こんにちは。

「ことわざ作り師」という職業をご存知ですか?

日本には数多くのことわざがあります。それらことわざはすべて、「ことわざ作り師」が作ったのです。

「ことわざ作り師」という職業が生まれたのは今から1000年ほど前、平安時代のことです。
かな文字が発明され、文章を書くことが最大の娯楽だった時代です。
当時の貴族たちは優秀な歌人やことわざ作り師を寵愛しました。

当時、「犬も歩けば棒に当たる」ということわざを作った男が3代遊んで暮らせるほどの莫大な報酬を得た話は余りに有名ですね。

貴族の間で空前のブームが起こったことわざ。当然、時の帝の耳にも入ります。

山上匠明(やまがみのしょうあきら)という人物は、帝お抱えのことわざ作り師でした。
「秋の日は釣瓶落とし」「掃き溜めに鶴」など、優雅で風流な作風は「山上流」と呼ばれるに至ります。
しかし、帝を讃えることわざを作れという命を受け作ったことわざ「花あり帝あり」が帝の逆鱗に触れたのです。当時、帝とは孤高の存在。花と同列に扱うなんて言語道断です。
匠明は打首。山上一族も都を追放されてしまったのです。

貴族らに愛されてきたことわざも戦国の世を経て江戸時代に入ると、庶民にも広く知れ渡ります。
江戸の町では夕方になると、おでんや寿司、ことわざの屋台が提灯をつけます。ことわざの代金をちょろまかす「時ことわざ」という落語の演目で有名ですね。

ことわざ作り師が庶民に向けて仕事をするようになってから、ことわざの質、量ともに飛躍的に発展していきます。この時代の変化を「ことわざシンギュラリティ」と呼びます。

しかし、黒船の来航により日本が開国をすると、状況は一変します。
西洋の思想がもたらされることにより、「ことわざ作り師」という職業に人々が疑問を抱くようになったのです。

当時、蕎麦が一杯十六文の時代に、ことわざ一つは50文でした。
言論の自由が謳われる西洋の思想では、この値段設定は受け入れ難いものでした。

ことわざ作り師達は、値段を下げ商売を続けますが、年々数は減少し、明治の中頃には絶滅してしまったのです。

現代の日本では、新たなことわざが作られることはありません。しかし、我々はことわざを今も使っています。

先人達が魂を込めて作ったことわざを大切に、次の世代へ受け継いでいきましょう。

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