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【#創作大賞2024 #恋愛小説部門】『制服にサングラスは咲かない』3章

僕はアジサイに嘘をついている。
ビーチサンダルにも、幕の内弁当さんにもチームの全員にも、嘘の一貫性を保つために、オンラインゲームで出会ったすべての人間に嘘をついている。

というか、僕は嘘をつかないと生きていけない人種なのだ。
でも僕の嘘には1つだけルールがある。他者に対して毒になりすぎない嘘だ。
平和主義万歳の嘘を並べて自己満足。
誰にも迷惑をかけてはいないのだから、が成立する。
はずだったのに、僕のバカ。

なんで『リアルで会う』ことになってしまったんだ。
今さら言えないよなぁ。

テッテレー!実は高校生ではなく、22歳のフリーター男子、趣味はネトゲです!なんて言えないよ。

これで僕がスポーツカーを乗り回す金持ちだったら話は別だろうけど、免許はあれど車はない。
生まれながらの金持ちと、一日8時間レジ打ちをしている僕では何が違ったのか。
神様が光のなかから降りてきて、前世の僕の罪をこっそり教えてくれたら、もしかしたら納得できるかもしれない。

あぁそういうことね、そんな大それたことしたんじゃ、僕の今世は終生フリーターですね、なんて。

僕は本当の『高校生』であるビーチサンダルが羨ましい。
クラスメートとのいざこざが、とか誰々と揉めたとか、そういうあまり褒められた内容の日常ではないにせよ、彼が今、煩わしく思っている全ての時間と空間と関係が、僕にはまぶしい。

僕の学生時代は、精神疾患で始まって震災で終わった。
そのあとの世界はずっと、精神疾患のレンズを通して世界を見ていた。
友人とオセロをしているときも、駒をひっくり返すたびに僕の頭がおかしくなっていくの感じて、急に世界は色褪せて、それからずっと、親がいて、精神も健全で、壊れていく予兆のないクラスメートや他者をねたむ日々だった。

毎日、薬を飲んで、ようやくここまできた。
薬を飲んで治ったのか。治ったと思えるほど精神疾患に慣れて、僕のベースにそれがあることにも気づかなくなったのか。
多分、後者。

コントロールは出来ても、一生治らないんだ。
だからずっと、僕は他人が羨ましい。そのせいで、たまに自分からこの世界を放棄してやろうとも思う。

僕という存在は、誰にも祝福されない存在。それはもう当たり前のことだから。
だからせめてゲームでは、違う自分を演じたかった。

そうすれば、違う世界では少しくらい僕を認めてくれるんじゃないかって。
浅はか。でもすがりたい。

プレイ時間が長いプレイヤーほど、僕と似たような存在であることを知ったのも大きい。そうなるとプレイ時間が長い程、自分を偽りたい人たちであることも同義。

そのなかには、たまに純粋にゲームを楽しんでいるように思える『高校生』、つまり希少な学生生活を甘酸っぱく駆け抜ける青春ではなくて、ゲームに捧げるビーチサンダルのようなプレイヤーもいる。

僕の肌感覚ではビーチサンダルみたいなプレイヤーは少ない。
だからアジサイだって、ネカマかと思っていた。
話さないし、積極的に交流を求めもしない。
けれどチームには参加して、いつも誰かしらとはパーティを組んでいる。

冴えないおっさんなんだろうな、僕の未来だ。なんて失礼な事を思っていたのに、まさか本当に女性だったとは。

あり得るのか?
女性プレイヤーは姫化することが多いから、無言でなりを潜めているとは思わなかった。

もはや今さら、独身OLを疑ったりはしない。

先日のアジサイの言葉を思い出す。

『会わない?私たち』
僕はなぜ、「別にいいけれど」と反応してしまったのか。

荒涼とした砂漠の風景にやられたのかもしれない。
無音の世界。蜷局をまく砂煙。非現実的な恰好をした二人。
数パーセント程度の低アルコール飲料みたいな夢をみたのかもしれない。
僕は安易に雰囲気に酔って、頷いた。

本来ならオンラインゲームの『会おう』は『いつか』とか『できれば今世で』という曖昧な条件が含まれていて、数週間後にはとっくに風化して朽ちてしまう、いわばお近づきの印のリップサービスみたいなもので、実際に『オフ会』みたいな会合に発展した事なんて一度もなかった。

「明後日は暇?」

「まぁ暇だね」

急いでシフト確認をした自分が情けない。この時は自分が『男子高校生』であるという設定を完全に失念していた。

「じゃあ明後日、現地集合にしようか」

ねぇ、そういえばツリバリが住んでいるところはどこなの?
へぇ、意外と近いんだ、じゃあ、、待ち合わせ場所は……

ひび割れた大地に一滴のしずく。
とっくに不鮮明なもので凝固したはずの僕の現実世界に、薄く伸びる青が侵食してきた。
それは通れる道の全てをなぞって、やがて簡単に僕の深淵の縁を滑らかに浸していく。

異性との約束なんて、いつぶりだろうか。
というか、現実世界の生きた交流なんて久し振りだ。
身体全体が急に血流が良くなったみたいにかゆくなった。

食欲もなければ、ゲームをする気力もない。
アルバイトもミスを連発した。いや、僕はミスの定期券を持っているから、ミスの連発は平常運転だ。

それよりも、僕のついてきた嘘をどう回収するかを考えることが先決だったし実際に何通りかは案を出してみた。

まず頭に浮かんだのは、「ごめん、体調不良で行けなくなった」という嘘で僕の長年の地層みたいな嘘が嘘によって守られる。
会おうか、と言ってくれたアジサイの気持ちを踏みにじり、自衛しか考えていない惨めな方法だが、それが一番現実的だという結論に帰着。
付け加えるなら、僕はいつだって誰かが目を反らすくらいに自分のことしか考えていない。

だが、すぐにその方法が最も現実的になりえない事情を悟った。

それは
「アジサイの連絡先をしらない」ということだった。

あの日、オンラインゲーム上で現地集合と約束したために、連絡先の交換という初歩的なコミュニケーションの疎通をうっかりしていた。
すぐにオンラインゲームにログインして入ったが、アジサイはログアウト済みだった。

ーー今日で引退するつもり

恐らくいくら待ってみたとしても、アジサイがゲームに戻ってくることはないのだろう。
ドタキャンも考えた。
アジサイとの予定をドタキャンしたところで、アジサイはこのゲームには戻ってこない。
現実世界での顔も連絡先も知らないのだから、非難されることもない。
別に悪くない方法なのではないか、と。

僕は本当にドタキャンしようと思った。

貯金残高を確認する。毎月なんとか切り詰めて貯金はしているが、同い年の会社勤めの人間から見たら雀の涙程度だろう。
来月にはまた返済期日が僕を追ってきて、借金という重みと息苦しさと将来への宛のなさが陰湿な蛇みたいに僕の首をしめる。

携帯のアラームが鳴った。もうそろそろアルバイトの時間だ。
そういえば、制服を洗い忘れた。というよりもう1週間も洗濯機を回していない。シンクにもソースが完璧に付着して、新種の石の種類みたいな鈍い光沢を湛えた皿が散見される。

生活できていないなぁ、とぼんやり思った。
この部屋で立派に生き生きとしているのは、灰皿くらいだ、と思いながら僕は煙草をくわえて、制服の匂いを嗅いだ。

かび臭いかもしれない。

人生は独房だ。

一本吸い終わったらバイトの準備をしようと思った。
その間に、あれほど晴れていた空が帽子を被ったみたいに鉛色の雲に支配されていた。
雷鳴。早い雨脚。誰も予期できなかった夕立。窓の外には小学生が傘をさしながら雷から逃げるように走っていた。
カラフルで、僕は祭りの屋台の水風船掬いを思い出した。
冷たい水のなかに、昔話みたいに浮いて流れゆく、淡く滲んだ屋台の光の下の表情豊かな水風船。

僕らの後ろを初夏の湿った熱気と、浴衣を着た顔のない通行人がとめどなく、そしてせわしなく、楽し気に、さらには足早にさっていく。
そこでも雨が降り出して、みんなが困りだして。

僕は屈んだ彼女の首筋を眺めている。浴衣から奥ゆかしく伸びている首筋にはうっすらと汗。
雨の予感に振り向く彼女に僕は微笑みかける。

「ゆっくり好きな色をとりな、多分、通り雨だよ」
僕は一度、屋台の外に体を出して、右手て雨の強さを測る。
薄い雲がいたずらっ子みたいに笑っている。

これなら本当に通り雨だ、と僕は思った。
もう一度彼女を見ると、見慣れた姿をしていた。
ゲームの世界のアジサイが、そこにいた。

「本当に?じゃあお言葉に甘えて、私が好きな色は……」

僕はそこで妄想から離脱して、僕という存在はいち早く、そんな世界を手放してしまったことを悟った。
学歴もなく、職歴もなく、フリーターから抜け出せそうもなく、借金に追われる日々で、人並みの幸せをつかむこともできずに、僕にできることと言えば、糸のついていない棒を持って、水風船が流れていく様を眺めることだけ。

空いた僕の横では、恋人とかひやかしの男子高校生とか、家族がかわるがわる、幸福な形の余韻を残して去っていく。
僕はただ、そこにいる。ずっとそこから動けずにいるのだと思った。
また妄想の世界に潜り込む。

そのとき、僕の横にはなぜかアジサイがいた。
別に好意を寄せているとか、そういう関係を期待しているとかではなく、そこにいるアジサイは、僕がドタキャンして、それをまだ知らずに、待ち合わせ場所で退屈そうに待ちぼうけをくらっているアジサイだった。


「謝ろう」僕はそう思った。

直接会って、深々と頭を下げておしまい。
呆れられようが、責められようが仕方がない。

煙草を灰皿で消して、制服を着て、その上に無地の黒いパーカー、肩掛けのバック。

窓から通りを確認すると、雨はまだ深々と降っていた。



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