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【#創作大賞2024 #恋愛小説部門】『制服にサングラスは咲かない』8章

僕の生まれ育った街。福島県郡山市。
懐かしいという感情を僕は思い出した。
その懐かしさは、どうにも傷ついた趣があるもので、久々に生まれ育った故郷に帰ってきというのに、あまりにも苦い思い出が多すぎて、僕はいたたまれない気持ちになる。

「ようやくついたね、良い所だねここ」

アジサイは心の底からそう思っているのだろう。

「そうだね」

郡山駅西口。
ヨドバシカメラの喧騒。活発なタクシーロータリー。
コンパクトだけれど機能的なバス乗り場、高さ133メートルにも及ぶ複合高層のビル『ビッグアイ』

何もかもが寂し気に見えるのは僕の感情が反映されているからだろう。
やれやれといった具合だ。

「ごめん、アジサイ、ちょっと煙草吸ってきてもいい?」

「へぇ、なんか意外、ツリバリって煙草吸うんだ」

「え、そうかな?」

「うん、多分、童顔だからかな?ツリバリって普通に男子高校生でも通じると思う」

「さっきのサービスエリアでも言ってたね、そこまで幼く見えるのも嫌だなぁ」

「とりあえず、吸ってきなよ、私コンビニ行きたいんだけど近くにあるかな」

僕は右手に見える『ビッグアイを指さした』

「あそこの一階にあるよ」

「え、何あれ、すごい大きなビル!あの一番上の丸いのは何なの?」

「あー、あの球体はプラネタリウムなんだ、確かギネスに登録されているはずだよ、世界で一番高いところにあるプラネタリウムだって」

「へぇ、見てみたいかも」

「あとで行ってみる?なんでも入っていそうな大家族の冷蔵庫の中身を見に」

アジサイが噴き出した。

「また変な事言ってる、でも確かに冷蔵庫かも、できれば行ってみたいけど、大丈夫なの?」

「何が?」

「予定とか」

「この近くのホテルを予約しているから時間的には別に問題ないよ」

いや、問題はある、と僕は言いなおした。
アジサイは問題?と僕の言葉をオウム返しした。

「そう、実は予算上、ホテルは一室しかとれなかったから、あの……つまり、僕らは同室ってことになってしまうんだ」

あーでも!と僕は更につづけた。

「もちろん、同じベッドでは寝ないよ、ちゃんと僕は寝袋持ってきてるから、浴室とか床で寝れるし」

「え、でもそれはダメだよ、お金も払ってもらってるし、予約だってしてもらってるんだから」

「いいのいいの」

「絶対ダメ」

「でもベッドは一つしかない」

僕らの間には行先を迷う二羽の鳩みたいな沈黙が降りた。
僕にはどう考えても床や浴室で寝る以外の選択肢はないし、その決定に対して不満はない。だからアジサイが何といってこようとそれは僕を助けることにはならないし、僕の寝る環境を少しでも良くしたいと思ってくれているのなら、同じベッドで眠れない緊張を味わうよりも割り切って、浴室や床で寝ることを許容してほしい。

「んーそれはまたあとで考えよっか、とりあえず私、コンビニ行ってくるね、ツリバリは喫煙所で煙草吸ってきなよ」

アジサイは僕に背を向けてコンビニへ向かった。
僕は喫煙所に向かう。
けれども昔、喫煙所だったはずの西口正面には灰皿が置かれていなかった。
おかしい。
最近は重税を払っている喫煙者への風当たりも厳しいし、完全に撤去されてしまったのか、と考えて周辺を歩いていたら、タクシーロータリの場所に喫煙所が移動されていた。

場所変わったんだ。
狭く区切られた喫煙所には、きっと自分の葬式でも煙草を吸っていそうな老婆が一人退屈そうに震えた手に煙草を挟んでいる。

僕がこの街で生きていたころ、西口正面の喫煙所には本当に意味の分からない柄の悪い人たちのたむろ場所で、疲弊しきったサラリーマンの帰路の一服を許してくれるような雰囲気でもなかった。

反グレかヤクザか知らないけれど、間違いなく反社の人間が堂々と練り歩いて、この喫煙所の利用していて、当時の駅前の雰囲気は、健全に日常を営む人たちをくたびれさせるには十分な鈍重で異様な空気が漂っていて、僕はこの場所が嫌いだった。だからよくもここまでクリーンになったなぁとは思う。
その分、活気がなくなったともいえるけれど。

あの頃は変に絡まれたくなくて喫煙所から遠ざかるようにして、半円を描くように避けてあるいた。

逃げるが勝ち。
本当かな?

僕はいつも逃げてばかりだ。
この街から去るときも、僕は逃げるような心持だった。

喫煙所に伸びる茜色の影。

煙草を吸う。ちょっと心が軽い。
あの時も盛夏に近かった。
僕は夏が近くなるとどこかへ逃げたくなるのか。
不合理な渡り鳥。

もう考えることはやめよう、と煙草をもう一口。
今後のことを考えることに労力を注ぐんだ。
古臭いシャッター音。
アジサイが使い捨てカメラのレンズを覗いている。

「黄昏ちゃって、どう?煙草おいしい?」

「車道脇の溶けかけた雪よりは害が少なくて、真っ黒に焦がした目玉焼きよりはいささか美味しいよ」

「もう、ついていけないくらい変な事いってる、なんかツリバリさっきまでと雰囲気違うね」

「そうかな?」

「うん、全然短い付き合いだけど、今のツリバリは、更に目が死んでる」

「目?」

「そうそう、最初にツリバリに会ったときから、この人の目は死んでるなぁって思ったけど、今はもう死んでるというよりは、黄泉をさまよってるに近いかも」

「僕の目も行くところまで行ったなあ」

「それよりどう?このカメラ」

「まさか」

「そうだよ、さっきサービスエリアで写真撮ったでしょ、そのとき折角の逃避行なんだから沢山写真撮って思い出にしないとって、ほら忘れないようにね、だからコンビニで買ってきたの、使い捨てカメラ」

「うん、いいと思うよ、僕はカメラに映り慣れてないから、ちょっと抵抗あるけど、でも確かに写真はあっても困らないよね、そうだ、そのカメラ持ってビッグアイのさ展望台にも行ってみる?ちょうどそこからプラネタリウムへも行けるし」

短くなった煙草を灰皿へはじいた。
僕よりも前に喫煙所にいる老婆は、何本目かの煙草に火をつけたところだった。
誰かを待っているのだろうか、それとも誰かを待たせているのだろうか。

「本当にビッグアイ行ってくれるの?」

「いいよ、でもその前に服買わない?さすがに、ずっと制服のままだと行動に制限かかっちゃうし」

「いいけど、先にあれ見たいなぁ、時間はまだあるんでしょう?」

僕はスマホを取り出した。
バッテリーが切れている。
このポンコツめ。

駅の中央にある時計で時刻を確かめた。
確かにまだ猶予はある。
それであればプラネタリウムを見て、モバイルバッテリー買って、アジサイの服も買ってからホテルでも何ら問題ないか。

「うん、じゃあ先にプラネタリウムに行こうか」

「やった」

ビッグアイの1階から22階にまで昇るエレベーターに乗った。
毎年小学生ビッグアイのプラネタリウムやふれあい科学スペースパークに修学旅行にくるから、エレベーターのなかまでも子供が喜びそうな演出が施されている。

「うわ、びっくりした」

驚いたアジサイが僕に近づいてきた。

「最初はびっくりするよね、このエレベーターはさ、打ち上げロケットをイメージして作られているから、音も凄いし、ライトもロケットが発射してるみたいになってるんだよ」

「面白いね、ちょっとうるさいけど」

22階へ吐き出される僕達。
展望台からは郡山の街が一望できる。

相変わらず人気はない。

「奇麗だねぇ」

「栄えているのはほんの一部で、あとは山に囲まれている張りぼてだけどね」

「そんなことないよ、奇麗だよ、ほら、あっちの山とか陽射しに重なってきていいじゃん、ツリバリそこ立ってよ」

「え、僕一人の写真いる?カメラ貸してよ、撮ってあげるからアジサイがこっちおいで」

「まずはツリバリ、そのあと私でいいじゃん」

「はいはい、ここら辺?」

僕は可能な限り、窓の方へ近づいた。

「いいね、撮るよ」

僕はこの写真をいつか見直すのだろうか。
そんな予感もする。それは悲しい予感を含んでいるけれど。

「はい、じゃあ次アジサイ」

「はーい」

「いいね、なんかポーズは?」

「ピース」

アジサイは腕をこれでもかというほど伸ばしてピース。
夕日が強い。
これでは逆光になるだろうな、それもいい思い出か。

「お兄さん、わたしが撮るから貸してみな」

僕はカメラのレンズを覗いていたから不意をつかれて驚いた。
声を出さずに身体だけ跳ねたのが幸いだ。
横にはいつの間にか先ほど喫煙所にいた老婆がいた。

「え、良いんですか?」とアジサイ。
老婆はにっこりと頷いた。

「今時随分と仲のいい兄妹だと思ってね、余計なお節介かと思ったけど、やっぱり撮ってあげたくなったのよ」

「兄妹……ですか」
とアジサイは苦笑いした。
「じゃあお言葉に甘えて、お願いします」

「はいよ」

僕は老婆にカメラを渡した。老婆の薬指には結婚指輪がはまっていた。

僕はアジサイの隣へ行く。
アジサイは変わらずピース。
僕は手の行き場に困って気をつけ。
アジサイが僕の耳に口を近づけて囁いた。
「ピースくらいしてよ、お兄ちゃん」

僕は短いため息をはいて、言われるがままにピースをした。
にっこり老婆が「はいポーズ」とシャッターを押す。

「ありがとうございます」
僕らは二人してお礼を言った。

「はい、カメラ、これからも二人で仲良くね、それから知ってると思うけど昨日ここでちょっとした事件があってね、最近物騒だから気をつけて帰るんだよ、でも昨日の今日だから警察さんがいっぱいいて連日事件は起きないだろうけどね」

老婆はそういうと、営業していない軽食屋の前のテーブルに陣取っていた老人グループの中に溶けて行った。

警察……
ふと、現実に戻された。
僕らは旅行で郡山に来たわけではなくて、逃げてきたんだ。

現実に戻されたのはアジサイも同じだった。
数分前に撮ってもらったフィルムのなかにいるアジサイと今のアジサイは全然違う。

アジサイは自分の両手を眺めている。
もしかしたら、父親の背中を押してしまった感触を思い出しているのかもしれない。

「プラネタリウム見る?」

「んーごめん、なんか今はちょっとそういう気分じゃなくなっちゃったかも、ごめんね私が見たいとか言い出したのに」

僕らは夕日の半分くらいが山に沈んでいくまでの時間、近くのベンチに座った。
アジサイのなかに、本当に罪悪感がなかったら、君はそんな顔をしていないよ、と僕は言いたくなる。
でもそんな言葉は無意味だ。
何にもなりはしない。

「さ、買い物に行こうか」

ここでうまくアジサイを慰める言葉があればいいのに、と思ったけれど、それは誰にもできないことだ。
人は誰かを慰めることなんてできないと僕は思う。
労わることはできても、決して慰めることはできない。
それはまだ人類が見つけていない鉱石を探し出して、加工して、世界でたった一つの指輪にするようなものなのだ。
人は誰といてもいなくても、ある程度孤独であり続けるものなのではないか。

「うん、ごめんね」

「プラネタリウムくらいいつでも見れるよ」

「そうだね」

ほら、慰めなんて、空疎だ。
これが僕の言いたかったことなんだ。
でも、誰かが目の前で俯いていたら、自分の風呂敷をその場に開いて、整理されていない言葉というガラクタを必死に探って、差し出してしまう生き物でもあるんだと思う。
それが嘘でもなんでも、俯いた誰かが、ちょっとでも顔をあげてくれたら。

だから、つまるところ、僕達は常に誰かを慰められないのにもかかわらず慰めようとする悲しい対立関係を抱えた、困った社会性生物だということ。

アジサイは僕の後ろをついてきた。
エレベーターのロケットの音が、帰りには作り物の子供だましに思えた。

一階から外に出ると、どこからか一斉に吐き出された学生やサラリーマンで少し賑わっている。

先に前方に見えるヨドバシカメラでスマホのモバイルバッテリーを買おうと思った。
買うものが決まっているから、時間もかからない。
服はモバイルバッテリーを買うよりも時間がかかるだろう。
デザインとか予算とか、もしかしたら試着までするかもしれない。

「先にヨドバシカメラに向かうよ」

「モバイルバッテリー?」

「そう、僕のスマホバッテリー劣化しててさ、今後の為にも一台は欲しいなって、そういえばアジサイのスマホはバッテリー大丈夫?」

アジサイは不思議そうに首を傾げた。

「スマホ?私持ってないよ?」

「持っていない?まさか忘れてきちゃったの?」

「違う違う、うち貧乏で、スマホなんて持てる余裕なかったの」

僕はようやくそこでアジサイが使い捨てカメラを買ってきた理由に合点がいった。

「ツリバリは、この近くに住んでたの?」

「うんそうだよ、僕は生まれも育ちも郡山市だよ」

「あれはなに?」

「あれはメイド喫茶」

「え?本当に?私のこと、からかってる?」

「あれ、よく見ると潰れてる、ただ外壁のペイントが残ってただけか、いやでも本当に前まではあそこはメイド喫茶だったんだよ」

「本当かなぁ、じゃああれは?」

アジサイは急によく話すようになった。
その意味が僕にはわかるような気がした。
目に見えるもの手当たり次第を指さして僕に説明を求めてくる。

それはまるで、僕が本当にこの街の出身であるかどうか、逐一テストしていきているようでもあった。
もちろん、アジサイが疑っていないことは知っている。

ヨドバシカメラの前に着くと、途端に何人もの警察が視界に入った。

『昨日ここでちょっとした事件があってね、最近物騒だから気をつけて帰るんだよ、でも昨日の今日だから警察さんがいっぱいいて連日事件は起きないだろうけどね』

僕らは旅行客じゃないって、何度自分に言い聞かせれば気が済むのだろう。

目の前の警察たちは、僕らを探しているわけではなく、老婆が言っていた『昨日の事件』について調査したり、聞き込みしたりしているのだろう。

でも僕らだって何か話を聞かれるかもしれない。その時にボロが出ないとも限らない。
テレビを見ていないから実際にアジサイの件が事件として取り上げられているのかもわからないけれど、警察と関わることは得策ではない。
避けるのが賢明だろう。

アジサイが僕の手を握った。
僕の判断ミスだ。

「引き返そう」
僕はなるだけアジサイにだけ聞こえる声で言った。

「うん、そうだね」

アジサイの声色にも緊張を感じる。
もしも警察に呼び止められたら……学生証は持っているだろうが、他県の高校生がこの時間にいること自体を怪しむかもしれない。
そこから芋ずる式にアジサイのことがわかってしまうかもしれない。

僕とアジサイはなるだけ自然さを装って踵を返す。

目の前に、警察がいた。

「申し訳ないです、今お時間大丈夫ですか?昨日の事件について今目撃情報を洗っているのですが、少しの間ご協力いただけますか?」

頭が真っ白になんてならなかった。
次の瞬間には僕は目の前の警察とやりとりをするであろう質問を予期していたのだから。

ーー身分証明書をご提示いただけますか?
ーーあれ、お二人はどういった関係でしょうか?
ーー今、ご両親のどちらかに連絡がつく番号を教えてもらってもよろしいですか?
ーーんーもうちょっと詳しくお話したいので、そこに見えている交番まできてもらってもよろしいですかね?本当に手間もお時間もとらせないので

僕が見た未来は、もしかしたら随分と飛躍しているのかもしれない。
でも、万が一そうなったら?

知らぬ間に背中の汗。

目の前の警察官は不思議そうに僕を見ている。いや、不審そうにか。

どうする。
アジサイが二度僕の手を意味ありげに引いた。

目があう、どうしてか僕らはこれから何をしようとしているのか、言葉にしなくても疎通ができた。

そう、走る。
走って逃げる。
アジサイの手を引いて僕が先導する。

後ろから警察官の叫び声
何て言っているのかはわからないが、その声で周りの警察官も僕らに注意を払っただろう。
一斉に追いかけてきているかもしれないが、振り向くことなんてできやしない。

近くの扉から駅構内へ入る。
皮肉にも僕がこの街で培ってきた経験が生きた。
この時間帯は学生やサラリーマンの帰宅ラッシュゾーンだ。うまくいけば紛れ込めるかもしれない。
だがそうはいっても、所詮は郡山。人ゴミだってたかが知れている。
はずだった。どうしてだろう。途中から人を掻き分けなければいけないほど密度が高くなっている。

鋭くなった感覚の一部である耳が、その理由を捉えた。駅員のアナウンスが途切れ途切れに聞こえる。
どうやら線路内で電車と動物の接触があったらしい。
僕らは人ゴミを抜けていく。
後ろからはまだ、笛の音や、待ちなさいという声が複数聞こえる。
すれ違うたびに、夕刻の待ち人たちは僕と警察官を一瞥しているようだった。

僕は人ゴミを抜けて、一番近くの扉から外に出た。
バスロータリーだ。
僕はアジサイの手を引いたまま、急いでバスにかけ乗り、椅子に身を潜めた。
乗客は僕らを訝しむような視線で睨んでいたが何も言わなかった。
そのうちに運転手が定刻をアナウンスし、バスの扉はしまり、何事もなかったかのように走り出す。
僕は頭だけを上げて窓の外を見る。
10人くらいの警察がバスロータリーの近くを行ったり来たりと慌ただしかった。

バスは走り出す。
その間ずっとアジサイは肩で息をしていた。
僕の心臓も感じたことのないほど強烈な脈を打っている。
生きている、という感覚をスリルによって味わった22歳。
アドレナリンか。
僕が持ってきた大きな手提げバッグがない。
どうやら走っているときに手放してしまったらしい。
あそこには寝袋とかちょっとしたキャンプグッズや服が入っていたはずだ。
だが捕まるよりは安い。
財布もメインのリュックに入っている。服だって多少は詰めてある。

けれども今はもう荷物なんてどうでもいい。
とりあえず、このバスはどこ行きなのだろうか。



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