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捨てた そして想い出の再構築

最終的に8冊あった昔のアルバムを処分した。

と言っても、アルバムごとまるっと捨てたわけではなく、やっぱり残しておきたい写真も何枚かあって、そう言うのは後でまとめてスクラップにしようと思う。
デルフォニックスの頑丈そうなアルバムがあったので注文した。リフィルはフィルム付きなので写真の色褪せも防げそうだ。


それにしてもかなり捨てた。
写真って、いつも1枚だけじゃ収まらなくて何回もシャッター切るもんだから似たようなショットがたくさんあって、ある意味処分するのに困らなかった。
特に20代30代のときの写真は、その時の状況を結構覚えていたりするので未練なく捨てられたんだけど、赤ん坊のときや幼少時代の写真は、見てもまったく思い出せない。ああ、そう言うこともあったのかぐらいの至極浅い記憶が泳いでいる。

別な言い方をすれば、写真によって記憶が作られてるんじゃないかとさえ思う。わたしより年長の人たちの話を聞いて初めて、現実としてあったことなんだと認める不思議。

記憶と言うのは不思議なもので、紐解いて出てくるものとたぐり寄せるものがある。子どものときの記憶はどちらかと言うとたぐり寄せる方に近い。
写真を見て記憶をさかのぼる。子どもの頃よく遊んでた場所に行ってみると、急に記憶が甦るあの感覚。


一部を除いてわたししか写ってないので公開。
今はこんなふてぶてしいおばさんだけど、 
小さい時はわたしだって可愛かったのだ。


昔一人でふらっと長野県・安曇野に行ったことがある。
その時撮った写真がかなり風化していたけど、あの時の記憶そのままの美しさで残っていた。

ここは、クロサワの映画『夢』の舞台にもなった場所で、確か映画に出ていた水車小屋をこの目で見たくて足を運んだのを覚えている。

水がきれいなのでわさびが育つ。静かに拡がる緑のわさび園が至極珍しかった。今でもこのような美しさが残っているんだろうか。


以前の「捨てる」コラム2つ↓


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