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僕とおじいちゃんと台湾
皆様、こんにちは
フランスへ渡航に向けて準備をしております。Mouneと申します。
タイトルからもわかりますが、はい。フランスネタが尽きてしまったのです。(仕方ない。だって旅行へ1回行ったきりだもの。。)
そういった訳で、以前から何度かちらほらお話ししている台湾の話の存在を、明るみに出していこうと思います。ネタが切れたときは、過去の海外ネタを挟んでいこうと思いますので、なにとぞよろしくお願いします。
今回は、僕と祖父と台湾の関係についてお話します。
タイトルからなんとなく予想できる方もいらっしゃるかもしれませんが、祖父が台湾生まれなのです。
では、Mouneさんはクウォーターですか。
よく聞かれるのですが、違います。当時の台湾は日本の統治下でしたので、日本人も多く台湾に住んでいました。祖父の両親、つまり僕の曽祖父母は日本(当時の言い方で言うと、内地)出身者なので、混血ではありません。
祖父は台湾の台南市で生まれ、2歳の時に内地へ戻りました。祖父には台湾で生活した記憶はないのですが、彼にとって台湾は特別な場所だと感じるらしく、僕が子供のときから「おじいちゃんは台湾で生まれたんや。」と何度も聞かされてきました。
何故祖父が記憶のない台湾のことを何度も話すのか。それは台湾が唯一、家族揃って生活した場所だからだと祖父は言っていました。
祖父一家の家族構成は、両親、姉2人、そして末っ子に祖父の5人家族でした。祖父が2歳の時に、曽祖父が病気で他界し、曾祖母方の家に帰る形で内地に戻ったと聞いています。そこから、姉2人は奉公に出され離散(後に次姉と再会しますが、長姉は行方不明)、祖父と曾祖母で2人で過ごすも、祖父が小学生(もしかしたら中学生)の時には曾祖母まで病気で他界しました。
そういったことがあり、祖父は台湾を特別に感じていたのでした。
僕はその話を物心ついた時から聞かされていたので、僕の中でも台湾はただの外国ではなく、祖父の生まれた場所というイメージが強かったのです。
時は2013年、祖父がいつものように自分が生まれてから結婚するまでの話を始めました。そして、「おじいちゃんは台湾で生まれたんや。」この切り出し方から始まるのです。
この話からほどなくして、大阪~台湾間の初のLCCが就航し、往復3万円代で台湾旅行が実現するという話が飛び込んできました。
ついこの間、祖父の話を聞いたばかりだった状況で、学生でも手の届く料金で台湾へ行けることを知り、これは行くしかない。
「おじいちゃん、僕台湾行ってくるわ!」
当時僕は高専5年生。卒業研究があるにも関わず、4日間初めての台湾一人旅を敢行するのでした。本当に当時の自分を殴ってやりたい。卒業を控えているのに何を考えてんねや!って。
でもこれがきっかけで台湾にのめり込むことになり、台湾留学を決意するのです。そして、留学中にそれまでわかっていなかった曽祖父の詳細まで判明します。留学で僕にとっても、台湾が特別な場所になっていきます。
複雑な気分ですが、この台湾一人旅の決断が自分の人生に大きな影響を与えたといっても過言ではありません。だから、タイムマシンが発明されてもこの時の自分には説教しに行かないようにしますね。代わりにここで説教。(何を言ってるんだいちみは)
話が逸れてしまいました。
僕が台湾へ1人旅、留学してから、祖父とはより強い何かで繋がったような感じがしています。時代も国も違いますが、確かに僕たちは同じ場所の土を踏んでいたんですよね。(祖父は乳母車やったかもしれやんけど、、)
これが僕と祖父と台湾の関係でした。
お読みいただきありがとうございます。
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