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人は強くない。でも、大丈夫。映画「ドライブ・マイ・カー」を観て

2021年映画納めで観たこの作品、たしかに言葉にできない何かにしっかりと支えられた。

自分の語彙力が追い付かなくて言いたいことが纏められない。感じたことをそのまま残すのってこんなに難しいんだ。

私はゴドーもチェーホフもわからないけれど、家福とみさきの二人がどうしようもなく孤独で、愛することができなかったと過去を蔑んでいることは解った。それは、この映画がただの演劇物でも、ロードムービーでもなく、二人の切なさを異なる形で描いていたからだと思う。

愛はすべてを赦し、受け入れて、なにも望まないこと。

狂ってしまうくらい傷ついていた自分の心から目を背けた。
知らないことにした。
決して相手に恨みを抱いたりしなかった。
でもその結果、大切な人を失ってしまった。

どうしようもなく会いたいし、自分を裏切り続けたことを責め立てたい。
なぜそんなことをしたのか問い詰めたい。
でももうできない。
それでも向き合うしかない。

それを決意したという言葉通り、私たちは現実から目を背けていることの方がきっと多くて。それでも少しずつ向き合うことを選ぶことでその分少しずつだいじょうぶになっていくのかなと思った。

その人をその人として、受け入れることはできませんか?

アントン・チェーホフ著「ワーニャ伯父さん」より

愛はその人をその人として受け入れること。
そのすべてを。
足りないものも、満ち足りているものも、すべてがその人だと。そうやって受け入れて愛することは言葉で見ると単純だけど、誰にでもできることではないんだと思った。


仕方ないわ。生きていかなくちゃ…。長い長い昼と夜をどこまでも生きていきましょう。そしていつかその時が来たら、おとなしく死んでいきましょう。あちらの世界に行ったら、苦しかったこと、泣いたこと、つらかったことを神様に申し上げましょう。そうしたら神様はわたしたちを憐れんで下さって、その時こそ明るく、美しい暮らしができるんだわ。そしてわたしたち、幸せになって、初めてほっと一息つけるんだわ。

アントン・チェーホフ著「ワーニャ伯父さん」より

いまをしっかりと生きること。
残された人間たちも、その分までしっかりと生きる。
傷ついて悲しむことは大切だけど、生きていくことそれ自体のどうしようもない空虚感に向き合うことはもっと大切で。

人は強くない。でも、大丈夫。

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