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神が死んだ日

去る、クリスマスイブのこと。

「クリスマスマーケットに行きたい。クリスマスを感じたい。」
以前の私だったらそんなに乗り気ではなかったお誘いだったが、年を重ねるにつれ、恥やら外聞やらは小さくなったようだ。
1年に今だけしか味わえない季節のイベントを楽しめるようになった自分に「オトナになったもんだね」と内心ほくそ笑んだりして。

そう、私はオトナ。
私は、オトナなのよ。

しかし、現実は甘くはなかった。
会場に着いた途端、軽く絶句した。


人人
人人人
人人人人

見渡せど見渡せど、面白いくらいに人である。
中央揃えにしてクリスマスツリーを作ってみたが、置いてあるクリスマスツリーなんて見えやしないし、マーケットなんてどこも某夢の国顔負けの行列である。
結果、この人ごみに流されるまま、マーケットを横目に流し見しながら、放心状態で歩いていくだけの私たち。こういう時、脳内で「人ごみぃーに流されてぇー」とユーミンが再生されるのは私だけだろうか。

この人ごみ含めて楽しめるほどオトナにはなれなかったよ、ユーミン。

◆◆◆

人ごみに押し出されて身も心もすっかり冷え切った我々。

「もう帰りたい」

内心2人とも思ったが、同時に

「このまま帰るのは癪だ」

とも思っていた。
貧乏根性丸出し、往生際の悪いオトナである。
せめて、せめて、カフェでお茶くらいはしたい。

なんかクリスマス的なホットチョコレートとか…いやいや、そんなワガママ言わないよ。普通のコーヒーでいいから、ここで何かを満喫したという証明が欲しい。
というか、疲れたから一旦座りたいというのが本音である。
オトナの足腰は繊細なのだ。

そういう訳でカフェに来たのだが当然混みあっていた。
レジでオーダーして商品を受け取って席に着くタイプのお店なので、まずは席を確保するわけだが、当然空いていない。仕方がないのでなんとなく店内全体を見渡せる真ん中あたりに立って全方位に意識を向ける。
当然私たちはオトナなので、近くの席に圧をかけたりはしない。恨めしい顔で見つめたりもしないし、「飲み終わったんなら、はよ!」とかそういう邪念を持ったりもしないのだ。

そしてこういう時、暗黙のルールというものがある。
『先に店に入って席を探し出した人から順番』というものだ。たとえ自分の近くの席が空いたとしても、先に席を確保しようとしていた人にさり気なく譲るという紳士淑女な振舞いだ。
これぞオトナ。醸し出す余裕である。

我々もそれに則って席を探し譲り合う最中、とうとう我々の番になり、丁度よく奥の方の席が空いた。
当然、我々はオトナなので余裕と優雅さを持っている。空いたからといってみだりに駆け出したり、狭い通路で強引に擦れ違ったりはしない。先に帰る彼らに敬意を払いつつ道を譲り、そこから席に向かう。
これこそがオトナである。

そんなことを心の中で独り呟いていた次の瞬間。

「ねぇー、こっちこっち!ほらー!!」

髪の毛をグルングルンに巻いてばっちりメイクで決め込んだキャピキャピ(死語)ガールが目にも止まらぬ速さで狭い通路を強引に掻い潜ったかと思うと、パッと振り返ってキャピキャピ(死語)ガール2号を呼び寄せているではないか。

「あーほんとだーありがとー!よかったねー、丁度空いてて!!」


……
………

吾輩は、オトナである。そう、オトナなのである。
だから、これしきのことで心を乱されるなんてことはあり得ないのだ。

ただ、きっとこれがメロスだったら、彼はきっと激怒したに違いない。
かの邪知暴虐なキャピキャピを取り除かねばならぬと決意したに違いない。

それでも。
吾輩は、オトナである。殺意はまだない。
きっとグルングルンに巻いた髪が視界を遮ってしまって、周りが見えにくくなっているだけなのだ。きっとそうに違いない。そうであらねばならないのだ。

だからオトナな私は心の中で「吾輩は、オトナである。メロスでは、まだない。」と呟くばかりなのであった。

◆◆◆

あれからしばらく席は空かなくなってしまった。
他に行く当てもないし、クリスマスを味わう目論見は達成されていない。ましてやキャピキャピ1号2号に席を取られた譲った手前、ここで引き下がるのはやっぱり癪である。

我々は仕方なく店の中央で立ち尽くし、その時を待つこととした。

みんな考えることは同じだったのか、温かい飲み物や座る場所を求める人々が次々に入店し、店内が一杯であることに残念がり、「どうしようか」と相談し、途方に暮れていた。
「わかーるわかるよ、君の気持ち」と私の心の中の小池徹平もそう言っていた矢先、背後に何かを感じた。

正確に言うと、薄くずっとあったこの感覚。最初は気のせいだと思い、また、店内の空席への意識がそれを上回っていたが、やっぱり背後からの何かは確かにあって、それは次第に強くなっていった。

そうして何組目かの空席探しの人の言葉で、私の疑念は確信に変わったのだった。


「やっぱり満席だねー」
「そうだねー並ぼうかー」


…ん?並ぶ?どこに?

そうして後ろを振り返った我々は気づくのであった。
10組以上のお客さんたちが、店外にまで長蛇の列を作っているではないか。
そして、その先頭に、我々が立っているのだ。

そういえばさっきからレジ前はがらんどうになっていて、どうやら空席待ちだけでなく、注文待ちの人々も一緒に並んでいたようで、結果的にとんでもない列になってしまったのだった(ちなみにキャピキャピ1号2号も、何の疑いもなく、脇目も振らず忙しそうにスマホを操作しながら後ろに並んでいた。いい気味だと思う。)。

なんだかとんでもないことをしてしまったような恥ずかしさと、ここで我々が去ったらこの者たちがまた路頭に迷ってしまうという謎の責任感を覚え、完全に身動きが取れなくなってしまった。

そうして私は思った。

こうやって宗教って生まれるんじゃないか。
奇しくも今日はクリスマスイブ。生誕祭前夜だ。

そう、今や、私は教祖である。
いや、吾輩は、神である。



そんなことを思っていたら近くの席が空いて、列に並ばずにいた別のキャピキャピ(3号)に席を取られ、あっけなく神は死んだのであった。



【あとがき】
前夜にして神は死んでしまいましたが、さすがに見かねた店員さんがキャピキャピ3号に声をかけて席を譲ってもらえました。そして神なき後、列は空席待ち用と注文用の2列となり、秩序(法)が生まれる瞬間を目の当たりにしたのでありました。

そうしてオトナは思ったのです。
来年は、お家で大人しくしていようと。

オトナだけに、ね!

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