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谷崎潤一郎「痴人の愛」その2

その1は、おもに「ナオミ」から見える当時の女性像、時代性などについてのお話でした。今回は「譲治」から作品を読み解いていきます。

その1はこちら

エリート譲治の経済力そして理想と現実、精神と肉体

 

<エリートサラリーマン、富裕層だからこそできた「理想」の計画>    

 ところで、まだ年端も行かない少女を(自分好みの)理想の女に仕立て上げ、その上で自分の妻にするという、男の永遠の願望というか妄想ともいうべき譲治の計画(いわば光源氏作戦)を曲がりなりにも可能にしたのは彼の経済力です。

 譲治は現在の東京工業大学の前身にあたる蔵前の高等工業を卒業してエンジニアになった、いわば理系のエリート校出身のエリートサラリーマンです。                                  そこで彼の経済力に注目してみると、小説の冒頭でナオミに対して妄想的な計画を抱いた時点で、譲治の月給は百五十円、これは当時の二十代の男性の給与としてはすでにかなりの高給です。しかも彼はこの後ナオミと暮らしはじめてからも順調に昇給していき、平均月に四百円を稼ぐまでになります。これは当時の給与水準では十分富裕層といえるレベルのはずなのですが、ところがしだいにエスカレートしていくナオミの贅沢ぶりはそれでもまったく追いつかない。そして最後には、譲治が田舎の財産を整理して、現金にして持ってくるといい、その額は「二三十万はあるだろう」というのですが、それを聞いたナオミの反応は「それッぽっち?」というもの。しかしここで譲治の口にした「二三十万」というのは、現在の物価に当てはめれば、(新潮文庫の註にもあるように)およそ4億~6億円です。それを「それっぽち」とは!
 この説明を聞いて、元ラジオ局に勤務されていたNさん(男性)は、「漫画のよう」と驚かれ、学生時代、大学院で日本の古典文学を研究していたKさん(女性)は、「(自分もそんなセリフを)言ってみたい」と思わずいった後でそのあまりの経済感覚に、「谷崎はこれを現実として書いているのか、ファンタジーとして書いているのか?」と質問。
 最後の場面はけた外れなのでともかくとしても、少なくとも会社を辞めるまでの譲治の収入については、非常に高給取りとはいえ、彼の経歴からすれば現実を踏まえて書かれていると思いますし、例えばこの十数年後に書かれた小説『細雪』では、関西の富裕層の姉妹の会話の中で見合い相手の収入について、最低三百円とみていることなどからいっても、富裕層には現実にあり得た、しかしその一方で庶民レベルからすれば、まさに漫画のような、夢のような世界と当時の読者の眼には映ったのではないでしょうか。そういうことを踏まえながらまた読んでいくと、面白いかもしれません。


<西洋的な恋愛観に反していく譲治の「理想」は、男女の本音?>

また、『痴人の愛』では、はじめ譲治はナオミを肉体と精神の両面から理想の女に仕立て上げようと計画していたのですが、精神面あるいは知的方面での教育には早々に挫折してしまい、それでも反面ますます美しくなっていくナオミの肉体に抗しがたく惹きつけられていき、「そうです、私は特に『肉体』と云います」とあえて「肉体」への愛を強調して告白する場面があります。ここで譲治のいう肉体というのは単に性欲のみならず、あらゆる外見的な美しさを指しているのですが、なぜ譲治がこのようなことにことさらにこだわってみせるのかといえば、それは彼が明治以後西洋から入ってきた、精神的な愛の優位性を是とするキリスト教的な恋愛観を意識しているからです。

 例えばここでの譲治の告白は、夏目漱石の『こころ』で、先生がかつてのお嬢さんへの自らの愛を語る「もし愛という不可思議なものに両端があって、その高い端には神聖な感じが働いて、低い端には性欲が動いているとすれば、私の愛はたしかにその高い極点を捕まえたものです」、「お嬢さんを見る私の眼や、お嬢さんを考える私の心は、全く肉の臭いを帯びていませんでした」といった言葉と比べると、まったく対照的です。ナオミの西洋的な名前と顔に惹かれた、西洋に人一倍の憧れをもつ譲治にとって、このような西洋的な恋愛観といつの間にか真っ向から反してしまった自分の愛情の性質を認めざるを得ない無念さを含めて、あえてそれを力んで告白してみせているのです。

<今も根強く残っている西洋的な恋愛観>

 

 今の日本では、この当時と比べれば西洋崇拝の意識というのはずいぶん薄れてきていますし、恋愛においても肉体だの精神だのといちいち区別して悩む人は少ないと思いますが、しかしそれでも相手の性格的な側面に惹かれた方が、相手の顔や体やお金に惹かれたというよりも恋愛として純粋だという意識は今なお(建前上は)多少は残っているのではないでしょうか。例えば恋人に「私のどこが好き?」と聞かれて、顔はともかく、体やお金と面と向かって答えるのは抵抗がある人は多いと思いますし、顔にしても、顔だけというのでは相手はおそらく満足しないでしょう。ただその一方で、この当時から今日に至るまでさまざまな調査において、結婚相手に求める条件として、女性は男性に経済力、男性は女性に外見の美しさというのが常に上位を占めてきたという現実があります。そう考えると譲治とナオミのカップルは、西洋的な恋愛の理想には反するものの、この男女の本音を極端な形で実現している夫婦であるともいえるかもしれません。もちろん恋愛と結婚を単純にイコールで結ぶことはできませんが、フリーライターとしてブライダル誌の仕事で何百というカップルを取材してきた経験のある事務局のIさんに話をふったところ、結婚式取材の場で「相手のどこに惹かれたのか」という質問に対して、肉体や経済力と答えた人は皆無で、また男性では相手の綺麗というより「かわいいところ」と答える人が多いが、その「かわいい」には性格的な要素も含んでいることがマストなのだといいます。少なくとも(公の場では)西洋的な恋愛観の影響はいまだに根強いようですね。しかし当然これには例外もあって、リモートで参加されている、韓国の大学で日本文学を教えているIさん(男性)は韓国の方と結婚されていますが、結婚してから「僕のどこに惹かれたの?」と聞いたら、「どこにも惹かれなかったけど、配偶者ビザが欲しかったから」という返事がかえってきたそうです。(これはおそらくIさんのユーモアによるところのご発言?)

その3に続きます。
(先月2月27日に行われた第13回の読書会の覚書です。)

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