最近のわたし。

久しぶりの投稿です。

というのも、夜な夜なnoteで人様の記事にスキスキ妖怪しているのですが、
わたしの最後の投稿を気にかけたコメントを下さる方がときどきいらっしゃり、
近況をアップデートしておこうかな、と思った次第です。
本当に、優しい方ばかりで、ありがとうございます。


カウンセリングについて


前回の記事の最後で、カウンセリングは続けている、という話をしましたが、それが現在なかなかよい感じです。

これまでの人生で、スクールカウンセリングから病院のカウンセリングまで、色々受けてはきたのですが、
なんかフワフワとした表面的な話に終始してしまったり、
それもう知ってる……という行動変容のアドバイスを貰うだけだったり、
多少ガス抜きにはなるけど、人生そのものは特に解決してなくない……?
って感触でした。

でも、今お会いしている先生は、良い意味で型にはまらないスタイルで、
それが結構わたしには合っているのだと思います。

カウンセリングって、たぶんロールプレイングで練習するような型があって、
一般的なカウンセラーさんって、それに従って進めようとするところがある気がするんですよね。

まず最初はクライアントさんの話を聞くけど、話が脱線しかけたり、ネガティブな方向に偏り始めたら、サッと話をせき止めて介入する、みたいな。

ただ、わたしの性格だと、そんなカウンセラーさん側の思惑に乗っかっちゃうというか、
(あっカウンセラーさんはきっとこの方向に話を持っていきたいんだな)
と勝手に察してしまい、それに合わせたリアクションをとってしまいがちなんですよね。

カウンセリング、決して料金も安くはないのに、
(わたし、ウン千円はらって人様のロールプレイングに付き合っただけなのでは…?)
ってモヤモヤしてしまったりして。

ただ、今の先生は……とても自由なんです(笑)
わたしが話してて、(あっ先生いまちょっとイラチしたな?)ってのが伝わってきちゃう、みたいな。
ご自身のプライベートな話も平気で話されたりして、最初はビックリしちゃいました。

いろいろスパーン!と言われることはあっても、根っこのところでわたしのことを
「一人の人間として尊重してくださっている」という安心感があるのですよね。何故か。

この先生が「万人にとって最高のカウンセラー」という訳では、決して無いと思います。ただ、私はなーんか響くものを感じる。
これが相性、ということなのかもしれません。

※ちょっと脱線※
カウンセリング、やる方も怖いと思うんですよ。
クライアントさんがバーーッと堰を切ったようにネガティブ放出を始めてしまった時、このネガティブな余韻を引きずったままクライアントさんを家に帰したくない、ってどうしても思っちゃうじゃないですか。きっと。
「役に立つこと一つくらいは持ち帰ってもらいたい」って思っちゃいますよね。仕事だし。

まあ、その間合いがクライアントさんと噛み合わないと、カウンセリングなんてどうせ……ってことになっちゃうのでしょうね。
人間には相性があって当然なので、カウンセラーさんの数がもーっと増えて、敷居も料金もぐーんと下がって、
もっと自分に合うカウンセラーさんが見つけやすくなればいいのになー、って思います。


”治療”に対するわたしの意識の変化


カウンセリングの調子がよいのは、私自身の意識の変化の影響もあると思います。

今までって、治療に対して人任せだったというか、
本気で人生の調子を良くしたい!って思ってなかったんですよね。たぶん。
そんなこと考える余裕もないくらい、重たく堆積した、泥のような気持ちに囚われていたのだと思います。

でも、自分の気持ちを文字に起こしてアウトプットするということを覚えてから、
能動的に治療に関わるということが、ちょっと分かってきたような気がするんです。
(普段はスマホのメモ帳や、ツイッター風アプリに書き殴りまくっています。ときどき本物のSNSで、外向けに気持ちを表現する練習もしてみたり)

治療やカウンセリングを通して目指す未来が
『昔誰かに素晴らしいと教えられた姿』
ではなくて
『私が心底楽しいと思える生き方』
に変わってきた、そんな感じがします。


社会復帰について


さてさて。”治療治療”と言ってるが、”治療”の先に何を目指しているのか?ということですが。

一応いまの長期目標は、
『自力で生計を立てられること』です。

社会”復帰”というか、真っ当に社会人やってたな~と思える期間が人生の中で特に無いので、
どちらかというと”デビュー”、という気持ちですが。

復帰でもデビューでもよいけど、
そのために今なにをやっているかというと、
親戚のお仕事を手伝わせてもらっています。週に3日のパートタイムで。

内容は、事務作業です。電話、来客、郵便物、お掃除、パソコンカタカタ。

通い始めの頃は、もう本当に「仕事」というものに対するトラウマがすごすぎて、ズズーン……と落ちた時期もありました。
ストロングなゼロをいっぱい飲んでいた時期もありました。おいこら。

ただ、身内の気の置けなさ的なものがあるおかげで、仕事でポカッても、それを指摘されても、
落ち込んだり自分を責めるのではなくて、徐々に”仕事そのもの”に注意を向けられるようになってきました。

余りに落ち込んだ日なんかは、(わたしを助けないと一生引きこもって貴様らの人生にのしかかってやるぞ……)とか開き直ってみたりね。おいこら。

そうこうしているうちに、
(対人関係において安心感のある環境で、落ち着いて作業に取り組めれば、こんな私にも多少は出来ることがあるらしい…!)
という実感が掴めてきました。
本当にうれしいことです。

まあ、「対人関係さえ何とかなれば」って、それ世の中の10割の人の悩みだから……
いかんいかん。またネガティブな心の声が。

それはそれとして、環境調整さえすれば、まあ無難に仕事っぽいことが出来るなーという自信を積み上げていくのも、大事なことなんじゃない?
というケセラな気持ちでいるように努めています。


わたしのこれから。


だんだん好きになってきた親戚のお手伝いですが、たまたま事務員さんの産休で欠員が出たからというだけの、期限付きなんですよね。来年の8月くらいまでの。

さてさて。ということは、来年の中頃より先、一体どうするのか、今のうちに考えとかなくちゃならない。
……と考えると、てっぺんの見えない巨大な高層ビルを見上げているような、果てしない気持ちになり、ゲッソリしてしまいます。首が痛いぜ。

そんな時は、せっかく調子が上向きなのに、そんなことしたらまた体調崩しちゃう!という大義名分で、全力で現実から目を背けておりますよ。

「またそんな甘えたこと言ってこのピーーーー(伏字)」という心の声がしたりもしますが、
「だって~そんなこと言ったってしょうがないじゃん!」
と一人でバトってます。

正論の方の心の声さんは、きっと今までの人生を通して内在化してきた、『正しい生き方さん達』の声なんでしょう。

『正しい生き方さん達』を否定するつもりは、ありません。彼らのおかげで今の便利な生活や、発展した社会や、国や、世界があるのだと思うから。

だけどでも、『正しい生き方さん達』の一員になれなくたって、生きていくことは出来るはずなんです。たぶん…。

人生に正解はない、などという格言もありますが、まさにその通りなんだよね…と、おそるおそる、覚悟を決めつつあります。

だって、怖いんだもの。人生カタログに載ってないオリジナルの人生をオーダーメイドで組み立てて行くなんて。
分かんないことだらけだし、失敗したくないし、そうこうするうちに時間は過ぎてゆくし。

怖いから、『正しい生き方さん達』の一員にならなきゃ、ってずーーっと自分に言い聞かせて、
でも約三十年もの間トライし続けたのに、わたしには出来なかった。擬態すら出来たことが無い。

ならもう、しかたねーじゃん。
自分のオリジナルの、オフロードの藪に突っ込んでいくしかないじゃん。

……なーんて、勇ましいこと言ってますが、現状なんだかんだ衣食住にはありつけており、全くサバイバルしてないんですよね。ありがたいことに。本当に、昨今の情勢を鑑みると、メチャメチャありがたいことです。

じゃあ、それだけで十分じゃないか。
「この安泰はいつまでも続かないんだからしっかり先のことまで考えなきゃ」って自分をペシペシ叩いたって、何も好転しない。

現状の環境にふてぶてしく甘えて、『正しい生き方さん達』の声じゃなく、自分の心の声を聞いて、一歩ずつ前に進んでいくしかない。
”その時”がやってきたら、腹を括ってその時に出来ることをやるしかない。
将来降りかかるかもしれない不安を今からぜーーんぶ目の前に並べて、途方に暮れていたって仕方ない。

そんな気持ちで、毎日過ごしています。

うーん、、なんだか抽象的な話ばっかりになっちゃったな。
カウンセリングについても、自己分析でどんな自分が見えてきたとか、具体的な話ぜんぜんしてないし。
そのへんはまた別の記事で書きたいな。書かなきゃ”いけない”じゃなく、書きたい時に書いてみたい。

それでは、そろそろ一介のスキスキ妖怪に戻りたいと思います。

読んでくれた方、ありがとう。

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