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デイヴィッド・ハミルトンの少女論

デイヴィッド・ハミルトン、ソフトフォーカスの魔術師と呼ばれた、言わずと知れた少女写真の巨匠である。イノセントとエロティシズムの淡いを詩的に切り取るその作風は、日本でもよく知られたところだろう。

彼が日本で初めに有名になったのは、『GORO』創刊号(小学館/1974年6月13日)に掲載されたデヴィ夫人のヌードで、60~70年代初頭までは、基本的にはいくつかの写真雑誌で紹介される程度だった。

少女写真家として広く名が知られるようになったのは、映画『ビリティス』(日本での封切りは1977年10月15日)の公開からで、この年に受けたインタビューでは、少女についてよく語っている。

『映画情報』(国際情報社)1977年10月号より。
16才と謳われているビリティス役のパティ・ダーバンヴィルだが、撮影当時すでに26才である。

例えば、『ペーパームーン』(新書館/1977年12月)誌上の宇野亜喜良との対談では、残酷さか
ら美しさまで、自身の内側に眠る様々な資質を予感しているが、気づくまでには至らない幼さが、少女のイノセントには内包されていると語っている。

この対談の冒頭で、宇野は『ビリティス』のラストシーンに出てきた自転車が印象的だったと語り、それにハミルトンは(自転車は)時間を超越しているような気がすると返していた。

レンズを通して彼が作り上げたいのは、こうした時間を超越した世界であり、計算されない自我と嘘をつかない体を抱える少女もまた、その象徴だった。それは少女のエロティシズムを存在論だとする発言にも表れている。

私は少女というもの、そのエロティシィズムを、関係論ではなく存在論だと思っているわけです。一人の少女が、そこにいる。存在している。それだけでいい。女になってゆく必要もないし、私に対してすら働きかけてくることもいらない。いるだけでいい。少女は、生まれつきのもの。少女のエロティシィズムは、生まれてもう備わっていたもの。そこに興味があるんです。あとは、私のレンズが、それをどうとらえるか……。

「好敵手対談 カメラマン デビッド・ハミルトン イラストレーター 宇野亜喜良 レンズの魔術師ハミルトンが語った少女のエロティシズム」『ペーパームーン』(新書館)1977年12月号 69頁

そんなハミルトンにとって、理想的な少女の年齢はいくつなのか。『週刊プレイボーイ』(集英社/1977年10月25日)誌上の立木義浩との対談では、美しさをすべて持っている時期は14才だと語っている。

なお、当時のヨーロッパの法律では16才以上でないと両親の許可を得ていても法に触れるそうだが、厳密には違反だけど、大目に見られていると言っちゃう辺りには、時代のゆるさを感じる。

立木との対談は、上流階級の人、貴族や富豪など、精神的に落ち着いた被写体を撮りたいという話から、(内面の美は撮れないから)造形的・外見的な美にしか興味がないという結論になり、美しいものの一つとして、これからは少年美を追求したいという話で締められる。

少年については、青山静男も『少女ひみつポッケ』(サンケエ社)で、時間に対する郷愁から撮っていて、その点では、少年も少女も街も川に浮いているニワトリも本質的には変わらないと語っている。

青山静男が撮影したニワトリを抱える少女

ドブ川に浮いたニワトリの死体や街の雑然さにも目を向ける青山は、少年や少女についても(そこにエロティシズムの有無はあるが)、いずれ変わりゆくもの、かつてそこにあったものとして撮っているようで、時間を超越した永遠の美を撮りたいハミルトンとは対照的に思える。

少女との関係を主題にしたのは「少女日記」の新井まさるで、青山の写真から対象との距離の近さは感じない。関係論とは言い難いが、彼にとっての少女が単なる存在論ではなかったことは確かだ。

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