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私たちは古代ギリシャの時から何も進歩していない。

先日、岸田文雄氏が血みどろの闘いとなった総裁選を勝ち抜き、自民党の総裁になった。

当初、河野太郎氏が優勢とみられていたが急速に失速した。この失速はに大きく関係していると見られているのはインターネット上で過激に繰り広げられた河野批判である。

ゴリゴリの保守派で知られる高市早苗氏を擁護するために、河野氏への過激な批判が展開された。彼がかつて、女系天皇を容認する発言をしたことなどが掘り起こされ、「河野太郎は反日親中派」「親の代から反日」などと批判されたのだ。更には全くのデマである「彼は毛沢東バッジを着用していた」などの嘘も多く拡散されることになった。これらのデモは、冷静に考えれば事実ではない事は明白なのにも関わらず広く拡散された。

デマゴーゴスは人類の伝統?

さて、現代の話はこれくらいにして、古代ギリシャについて少し考えてみよう。

古代ギリシャはいくつかの都市国家に分かれていたのだが、アテネという都市国家は民主政治を展開していて、現代まで当時の様子を伝える文献が残っており、現代へ大きな影響を与え続けている。

アテネの民主政治の展開はとても有名で、様々な展開を経て一部の人たちに独占されていた参政権が徐々に拡大していった。

その最盛期はペリクレスというカリスマが政治の実権を握っていた時代である。この時代は民主制の完成などともいわれ青年男性市民には参政権があった。(女性や外国人・奴隷に選挙権はない。)しかし、実態としては投票を通じたペリクレスへの委任であり、そのカリスマ性に支えられていたため、ペリクレス以降のアテネの政治は混迷を極めていく。

世界史の授業で、デマゴーゴスという言葉を聞いたことがあるだろうか?それは、この混迷を極めた政治情勢の中で力を持った人々のことである。

デマゴーゴスは、古代ギリシアの煽動的民衆指導者のこと。英語ではrabble-rouser(大衆扇動者)とも呼ばれ民主主義社会に於いて社会経済的に低い階層の民衆の感情、恐れ、偏見、無知に訴える事により権力を得かつ政治的目的を達成しようとする指導者を言う。デマゴーグは普通、国家的危機に際し慎重な考えや行いに反対し、代わりに至急かつ暴力的な対応を提唱し穏健派や思慮を求める政敵を弱腰と非難する。 デマゴーグは古代アテネの時代より民主主義社会に繰り返し現れ、民主主義の基本・原理的な弱点、則ち究極的な権限は民衆にありその中でより大きな割合を占める人々の共通の願望や恐れに答えさえすれば(それらがどの様なものでも)政治的権力を得られるという点を利用した。(Wikipedia-デマゴーグ)

このように、デマゴーゴスは民衆に迎合し、煽り立てて民衆を動かし、自らにとって都合の良い方向にもっていく扇動政治家である。

ペリクレス後のアテネでは、そのような扇動政治家が幅を利かせる衆愚政治が展開されることになる。(デマゴーゴスから、ウソの情報を意味する「デマ」という言葉が生まれた。)

結局、このデマゴーゴスにとって重要なのは真実よりも自らの権力である。そして、その権力基盤を確保するために詭弁や嘘を巧みに利用するようになる。そして、そのような弁論術を享受するソフィストと呼ばれる人々まで出現することになる。

政治的成功を望む人間は大衆に自己の主張を信じさせる能力を必要とした。そのためには、自信たっぷりに物事を語ることで人々を納得させ、支持を取り付けるものとしての話術の習得が必須であった。ここに、大金を出して雄弁の技術を身につけようとする者と、それを教えるとするソフィストの関係が成り立つこととなった。(Wikipedia-ソフィスト)

このように、全盛期を過ぎたアテネは、無知な市民と、それをデマや詭弁で煽動するデマゴーゴスによって衆愚政治が展開され、衰退の道をたどっていく事になった。

我々は過去のアテネ市民を愚かだと指摘できる立場にいるのだろうか。デマに左右されているのは我々の方だ。



{現在ではアテネの政治状況を衆愚と呼ぶのは偏った見方だとされることもあります。また、ソフィストに対する否定的なイメージも見直されつつあります。}

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