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国際バカロレア留学の成功の秘訣(と僕が思うもの)ー3(クリティカルシンキング実践編)

前の稿では、子供のIB留学の成功のためには、親がIB学習者であろうとすることが重要で、そのためにはクリティカルシンキングを鍛えることが必要だ書いた。

ここではそのために何をしたらいいか、実践的なことを書こうと思う。以下に書くことは僕の経験から得たものなので、すべての人に当てはまるかどうかはわからない。ただ、確信を持って言えることがひとつだけある。

「対話」によってクリティカルシンキングは鍛えられる

という点だ。実は対話しないで自分でクリティカルシンキングできる人もいるし、そのやり方もあるが、それを最初からできる人は少数だ。ほとんどの人はまずは対話によってクリティカルシンキングが鍛えられる。重要なのは誰と何をどのように対話するかだ。これを僕の経験からまとめてみたい。

2021/7/29 追記:先日、ドラマ「ドラゴン桜」の2005年版を観ていたら、第9話で、クリティカルシンキングについて述べていた。ご存じの通り、この話は型破りな弁護士が落ちこぼれ高校生たちを東大に合格させるストーリーだが、その回では、国語の授業の一環として、情報を「正しく読む」方法を子供たちに伝授していた。

道案内の看板に、英語だけではなく、中国語やハングルが加わっていることを「読み」、それがなぜかを「問い」、そして「考える」ことが重要だということを説いていた。

クリティカルシンキングという言葉こそ使っていないが、これは紛れもなくクリティカルシンキングの重要さを語った場面だった。東大に合格するためにはそれを鍛えなくてはならない。僕もそれは当然のことだと思う。

だが、残念なのは、ドラマの中では、クリティカルシンキングの大切さをレクチャーするだけで終わっていたことだ。教育番組ではなく、ドラマというエンターテイメントなので仕方ないのだが、レクチャーではクリティカルシンキングは身につかない。

対話が必要なのだ。致し方ないことだが、ドラマではそこに触れられていなかったのが、少し残念だった。


1:子供と対話する

子供との対話はクリティカルシンキングの訓練に最適だ。親なら誰だって子供から無邪気かつクリティカルな質問を受けたことがあるだろう。王道の質問、「赤ちゃんはどうしてできるの?」はセンシティブながら科学的な質問なので、クリティカルシンキングはいらない。そのかわり、適切な時期がくるまではぐらかすテクニックがいる。


クリティカルシンキングに適しているのは、次のような質問だ。

①人のものを盗む子を叩いちゃいけないの?
②先生が仲良くしなさいっていったら、嫌いな子とも仲良くしなくちゃいけないの?
③宿題はなんでやらなくちゃいけないの?
④計算機があるのに、なんで自分で計算問題をやらなくちゃいけないの?

などだ。

その時に親から答えを与えるのではなく、子供と一緒に考えるようにするのだ。「宿題はなんでやらなくちゃいけないの?」を例にとってみよう。


「〇〇ちゃんは、やった方がいいと思う?やらない方がいいと思う?」(質問の背後にある子供の考え方を聞く)


「やらなくていいと思う」


「それはどうしてかな?」(否定しないで、さらにwhyを尋ねる)

「だって、簡単だしもうわかったから、やらなくていい」

「じゃあ、お父さんにやって見せてくれる?」(エビデンスを求めて論理の正しさを検証する→簡単ならやれるはず)

「うんいいよ。」

やってみて、できる。

「すごいね。ちゃんとわかっているね。でもね、お父さんはいま見せてくれたからわかったけど、先生はどうやって知るの?」(お父さんにやったことと同じエビデンスを先生にもを見せる必要があることを解く)

「いいの、だって簡単だし、できるでしょ。おとうさん見たでしょ?」

「うん、じゃそれが本当かどうかを先生に見せてみたらどうかな?」(エビデンスベースの論理の重要性を見せる)

「どうやって?」

「宿題をやって、全部正解だって見せてあげるんだよ」(宿題をやる意味を見せる)

「やだ、面倒くさい。」

「なんで面倒なの?簡単なら時間かからないはずだよ」(子供の議論の前提の矛盾を明らかにする)

まあ、これは例なので、実際にこんなに簡単にはいかないだろう。そしてこの会話の末に、子供が宿題をやるか否かは別問題だ。「なぜ宿題をやるか」という疑問について、親子ともども深堀して考えることが重要なので、この会話は結果の如何にかかわらず重要なのだと思っている。


これはあくまで個人的な意見だが、こういった会話を重ねてもなおかつ宿題をやる意味がない、と子供が言うならば、無理にやらせる必要などないと僕は思っている。


学習に最も重要なのは、学びたいという子供の意思とそう思わせる環境だ。宿題をやる意味が見出せなければ、子供にとって宿題は苦痛で非生産的な拷問でしかないし、学習効果などないと思う。学習効果がないならやる必要はないのだ。僕はそれを子供の先生に伝える。それでも先生がやってこいというならば、上記の会話を先生が子供とするべきだ。

話をクリティカルシンキングに戻そう。

子供の質問や意見に対して、親の見解をいきなり見せて回答するのではなく、why(どうしてそう思うの?)を重ねて、子供自身に自分の意見の構造を理解させるようにすることが肝だ。

親にとっても、それをやることで、子供のクリティカルシンキングを知るだけでなく、自分の意見の構造も知ることができる。そして、両者の意見の構造がどう違っているか、どう同じかがはっきりしてくる。


子供が自分と違う意見でも、否定はしないで、まずはその意見の構造(前提と論理)を対話によって辿っていく。子供は自分の前提の間違いや論理の矛盾に自分から気づくこともあるし、親が指摘することもある。

そして重要なのは、子供の間違いや矛盾を指摘してから、少し時間をとって子供自身で考えさせるようにすることだ。それを繰り返すうちに、子供はさまざまな場面でクリティカルシンキングを行うようになるし、親との会話もクリティカルシンキングを促すものになってくる。


子供が中学や高校くらいになると、逆にこちらの前提の間違いや論理的矛盾を指摘されることがある。その時に、感情的になってしまうのは、文字通り「大人げない」。むしろそれを指摘した子供のクリティカルシンキング力を褒め、感謝すべきだ。そして、子供にしてあげたのと同じように、少し時間をもらって冷静に考えるべきだ。

すでにお気づきと思うが、これを実践するには、IB学習者の、①探究する人(自明かもしれない問題も一緒に考える)、③考える人(クリティカルシンキングを実践する)、④コミュニケーションができる人(対話を通じてクリティカルシンキングをする)、⑥心を開く人(相手を否定せず、どんな意見にもオープンでいる)、⑨バランスのとれた人(自分とは違う意見もきちんと考慮に入れる)、であることが必要だ。

さらに、中高生の子供と議論するならば、②知識のある人、である必要が出てくるし、自分の矛盾を指摘されたときには、⑩リフレクションする人、にならなくてはならない。

2:職場で対話する


職場で行う対話には、事務的な情報伝達のほかに、問題解決のための会話がある。このときにはクリティカルシンキングが重要となる。


問題解決に有効なシンキングとしてロジカルシンキングが必要なことは、多くのビジネス書で書かれている。だが、ロジックが正しくても、前提が間違っていたり、考慮すべき前提が抜けていたりすることは実は多く、それは個人では見過ごしてしまったりすることも多々ある。


そういうことを避けるために、クリティカルシンキングの対話はとても役に立つ。問題解決の対話の場合は、特に仮説思考力が重要になる。ここでは長くなるので、僕が別に書いているノートのリンクを載せておく。

このリンク先では個人が行う問題解決について書いているが、このプロセスを対話をしながらすることで、クリティカルシンキングの実践になるはずだ。


3:友人と対話する


友人との対話にクリティカルシンキングを実践すると、疲れるし、人間関係を損なう可能性もなくはない(つい感情的になってしまった場合など)。だが、クリティカルシンキングを一緒にできる友人がいるとめちゃくちゃ面白い。


よく「頭のいい奴と話していると面白い」という言葉を聞くが、それは頭のいい奴(クリティカルシンキングができる奴)は、同じものを見聞きしていても、考えるレベルが深いからだ。


そういう人が周りにいるならば、感情的になりやすい個人の主義主張ではなく、見聞きしたもの、漫画、映画、小説、出来事などについてクリティカルシンキングをしてみるといい。


多分、漫画ならば『進撃の巨人』などはうってつけだ。ストーリーそのものが、「自分たちはなぜこのような目にあるのか」を探るものだからだ。そして探り終わった後の主人公や仲間たちの結論は、それぞれ違ったものになっている。それ自体をなぜだろうかと議論するのも面白いと思う。子供とやってみてもよいだろう。

以上が、対話によるクリティカルシンキングの実践例だ。

ひとつ、対話での実践が難しいのは、相手も(意識していようがいまいが)またクリティカルシンキングをしようとしてくれる人であることが大切だ。
「なぜ?」と問うと「馬鹿にしてんのか!」「文句があるの?」というように、感情的になる人も多い。そういう人は、感情が先に来てしまうので、クリティカルシンキングができない。そうなりやすい人とそうなりやすい話題は避けるようにした方が、身のためである。


また上司が部下に対して対等にクリティカルシンキングの対話ができるかどうかは、上司の能力を測るものさしの一つだ。部下から前提の不備や論理の矛盾を指摘されたときに、きちんと冷静に対応し、アウフヘーベンを目指せるかどうかで、上司の器と能力は試される。自分の地位をかさに、クリティカルシンキングを封じ込めるような上司は論外と言っていい。


そう考えると、どうしても対話によるクリティカルシンキングを実践できる人は限られてしまう。そこが日本の問題だ。皆がクリティカルシンキングの訓練をある程度受けていれば、誰と話しても議論は発展的になる。逆に皆がそうでなければ、議論はマウントの取り合いと、論破ばかりが目的になってしまう。やがて、それに疲れ、議論することを避けるようになり、当たり障りのない表面的なコミュニケーションに終始することになる。

子供をIBプログラムに入れるのならば、親もそんなコミュニケーションから脱し、クリティカルシンキングを実践するべきだ。

まずは親子で、そしてそういう議論のできる友人や同僚を少数でもいいから見つけるべきだ。たぶん、みなさんの周りの中で、尊敬できる人は、クリティカルシンキングができている可能性が高い、そういう人々とできるだけ「本質的」なコミュニケーションをとるように心がけてはいがかだろうか。

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