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~元ぎゃるお先生,現る~ 第3話

ども,石橋です。

最近は漫画にハマっていまして

・九条の大罪
・トリリオンゲーム
・東京卍リベンジャーズ(部分的に)
・スラムダンク(山王戦だけ,他はアニメ)
・サカモトデイズ

辺りは目についたので本屋で買って読みました。
特に上2つはむっちゃおもろいです。オススメ。

とまあ,話を本題に戻します。
前回からちょっち更新が遅れてしまいましたが,今回から本連載も『ギャル男編』に突入です。

ギャル男文化は今は塵すら残っていないですよね。なので,今回のお話はある意味新鮮かもしれません。ちょうど高校3年生~大学2年までがギャル男シーズンだったので,そこら辺のプライベート等を書いていきたいと思います。

では,ご笑覧ください。

本編 『ギャル男編』前編

3.退部~men’seggと出会った高3~浪人~大学受験

■始まりは退部

 このように、幼稚園から私はずっとサッカーを続けてきました。毎日のようにボールを蹴って、サッカー選手を目指して続けてきたもの。今も昔もサッカーほど長く続けたことはないように思います。

 今思えば、自分の実力なんかでプロサッカー選手になるなんて絶対無理だったと思います。客観的に見て、今ならそう言えます。でも、誰がなんて言おうが私はずっと本気でプロを目指していました。思いが強かったからこそ幼稚園から高校まで一つのことに打ち込めたんだと思います。今考えたらすごいことだと思うんです。一つのことに10年以上打ち込むってなかなかない経験だと思うんですよね。もちろん、社会人としてこれからずっと仕事を続けていくわけですが、仕事は生計のために必須なので、サッカーとはまた異質だと思います。地元の大谷津公園に休日一人で行って、日が暮れるまで投てき板に向かってボールを蹴る。これ、幼稚園から高校までやってますからね。自分に感心しますよ。

 そして、サッカーといえば王国ブラジル。カナリア軍団は誰もが憧れる存在。キングカズがブラジルに乗り込んだ話は有名ですが、キングカズにできて俺にできないわけがない……失礼、調子に乗りました。ただ、監督が日系2世だったこともあり、渋幕のサッカー部ではブラジル遠征というイベントが存在したんですね。サッカー好きならブラジルは一度は行ってみたいと思うはずです。サッカー王国ですからね。あれは高校2年生の頃でしたか、部活の友達も行くってみんな言ってるし、僕も親に頼み込んで行かせてもらいました。いやあ、ブラジルで世界の壁を感じましたね(お前誰やねん)。コリンチャンスっていうブラジル国内でも屈指の名門チームと試合をしたんですが、もうね、20点か30点くらい入れられたんじゃないかな(笑)。同じ人間とは思えないスピード、テクニックを目の当たりに何にもできなかった。確か、靴紐を結んでいない選手、スウェットを履いたままの選手もいた気がします。あれは衝撃の体験でした。当たり前だよと思う人が読者の中に入るかもしれませんが、あの時はかなり凹みました。前述のとおり、ずーっと本気でプロを目指していたんですが、「ああ、全然レベルが違う、この溝は何年何十年何百年僕がサッカーを練習しても埋まらないのではないか」……こんなふうに、「できない」自分のイメージがブラジル遠征以来先行するようになってしまい、夢をあきらめようとするリトル石橋が心の中に住み着いてしまいました。「あ、俺全然だめだ。サッカー選手なんて夢のまた夢じゃん」みたいな。ブラジル遠征での敗北はかなりセンセーショナルな体験でした。今は教え子やいろいろな方に「夢は見るだけじゃつまらない、叶えるものだ! 」という教えを説いているわけですが、そう強く思わせたきっかけは、自分が夢を諦めるきっかけとなったこのブラジル遠征にも求められるのかもしれません。

 というわけで、幼稚園時代から続けてきたサッカーも、高校で現実を見る度に自分には無理なんじゃないかなという思いが大きくなっていきました。また、高校でサッカーをしていて自分の心境が大きく変わったなと思ったのは、あんなに楽しいと思っていたサッカーが「つまらない」という気持ちに切り替わっていったことです。

 原因は単純。

 試合や練習でミスするたびに監督に怒られてグラウンドを走らされたり、声出しさせられたり、誰かが不祥事を起こした時に連帯責任で坊主にさせられたりといったことが積み重なって「不満」がたまり、それが「サッカーつまんない」「部活つまんない」という気持ちになっていったのかなあと思います。

 もちろん、自分の考え方は甘ちゃんだったと今では思います。不合理だと思っていた監督の指導も意味があってのことだったのだろうと思いますし、練習が厳しいのは当たり前。ましてや、サッカー選手になるというのはそういう厳しい道を進みぬくこと。

 でも、当時の私にはその意味が全くわからず、練習内容にも不満を覚え、いつしか「楽しい」という気持ちよりも「なんでサッカーやってるんだろう」という気持ちの方が強くなってきたのだと思います。

 結局、高校3年生になってすぐにサッカー部をやめてしまいました。高校3年になる間際に怪我をして、練習に参加できなかったときに、監督に怒られることがあったんですね。なんだったかなあ、偵察のビデオが下手とか肝心の部分が映ってないとかそんなんだったかな? あ、でもそれは先輩達がいた頃の話か。すいません、記憶が混濁していて正確に思い出せないのですが、なんか、その時に、一気に「もう退部しよ。や~めた。無理」って気持ちが爆発しちゃったのは覚えています。突発的ではありますが、個人的には今まで積み重なってきた「不満」が爆発した感じです。

 退部届の表だけでなく裏にまで退部理由(というか、今思い出せばただの不平不満)をビッチリ書いて提出。監督はここまで言われたのは初めて、これ以上は何も言えないと仰ってました。自分が子どもだと今は思います。多分、まず最初に言うべきお礼を言わずして辞めたのだろうと思います。

 そうでした。退部前、サッカー部の友達が廊下の隅に全員集まってくれたんですね。

 廊下の隅っこに10人くらいが地べたにあぐら。

 友達はみんな「やめんなよ」という説得。

 でも、私は頑固なところがあるので、一度決めたことなので、どれだけ説得されても辞めるの一点張り。

 結局、退部理由についてみんなを納得させることができないまま辞めた(と、私は思ってる)わけですが、その話し合いの際に当時のサッカー部の副キャプテンが私に言った言葉がとても印象的でした。

 「石橋が辞めるって言うのはわかった。でも、サッカーっていうのはプレーヤーだけじゃ成り立たないんだ。監督がいて、プレーヤーもいる。

プレーヤーとして上に上り詰めたいなら、我慢してでも監督のサッカーに合わせないといけない部分が出てくる

んだ。石橋はそれができなかった。それは、わがままを言ってるだけなんだってことも気づくべきなんじゃないか」

 思い返せば、副キャプテンはとても大人だったんだなと思います。他方、私は子どもだった。

 今、私は社会人です。業務委託講師という立ち位置で、比較的自由に、やりたいことはやらせていただいています。でも、自分のやりたいことだけをやって良いとは思っていません。必ず、他者の気持ちやその場の空気を見て、それに合わせて自己制御することも大事だと今は思えます。

 それを、副キャプテンは高校の時点で私に伝えてくれていたのかなあと。まあ、彼にあの発言の真意は聞いていないので、私の勝手な推測ですが。

 そんなこんなで、ずっと続けてきたサッカー部を退部してしまいました。

 退部したことを親に話した時、母が悲しんでいたのを今でも覚えています。

 それだけ、親として応援してくれていたのだと思うと、退部してよかったのかな……って思うことはありました。

 ずっと続けてきたサッカーをやめて、

最後までやり切らなかったことに対する後ろめたさ。

 僕が言うのもあれなのですが、うちの親は本当に子ども思いで、いたれりつくせりなんです。サッカーの大会に出るってなったら欠かさず観戦に来てくれたし、サッカーの練習の前に早く起きて毎回お弁当を作ってくれたし、それこそ小さい頃は家で一緒にサッカーゲームをやって遊んだり。とにかく、僕のサッカー人生は両親とともにありました。それを知っていたからこそ、僕が悲しむことは親も悲しむことまでわかっていました。なのに、僕はそのサッカーを半ば感情に任せて辞めてしまった。そういった

自分に対する葛藤は抱きました。

しかも、一度決めたことを途中でほっぽりだすっていうのはカッコ悪い。

 ただ、後悔はしてないんです。どうにもこうにも、「つまんない」という気持ちが強かったし鎮められなかったのは確かなんです。今思い返せば、退部のきっかけは突発的な感情によるものですが、どこか自分の中でサッカー選手になることを諦めていたのでしょうね。ブラジルでの挫折だけじゃなく、先輩や同級生を見ていて自分なんかじゃ無理だなって気持ちが強くなていたのだと思います。そして、結果、諦めた。僕は、あの時自分との戦いに一度負けたのです。サッカー選手になれなかったことが負けなのではなく、自分で自分の道を閉じてしまったことが負けなのかなって。

 サッカー人生の終え方については、今でも反省しています。

■men’s eggとの出会い

 「Men’s egg」。

 それは

ギャル男のバイブル

 といっても、私の世代より新しい世代の方は聞いたことがあるかないかレベルの雑誌かもしれません。要は、ギャル男専用のファッション雑誌です。

 そもそも「ギャル男」って何? という方が多いかもしれません。ウィキペディアによれば、「ギャル男」とは「1990年代後半の日本で発祥した、男性のストリートファッション、あるいはその系統に属するファッションを愛用する男性たちの総称である。……ファッション雑誌「Men’s egg」の創刊に伴い、「Men’s egg」が提案したファッションを受け入れた男性たちを指すことが多い。創刊当初は古着やサーフ系のスタイルがほとんどであり、次第に「ギャル男」といわれるようになっていった」と書かれていますが、私の独断と偏見で「ギャル男」の要件をあげると、

①ロン毛、②日サロ通い、③細身、④ギャルが好き、⑤Men’s eggが好き、の要素を満たせば大体ギャル男

です。そして、私はサッカー部をやめた後、ギャル男になってしまいました。

 というのも、高校サッカー部をやめた私は、ある日、サンクス(コンビニ)に向かいます。

 そしてその本棚で、見つけてしまったんです。

 ええ、しつこいくらい言います。

 Men’s egg。

 圧倒的衝撃っ。

 頭の中パッキーーーーンみたいな。

 もう、「やべえ、これしかねえええ」って思いました。

 ガンメッシュ、原色、エム字バング、外ハネ、黒肌、勢い、ギャル。

 その全てが、ファンタスティック。

 思い立ったら即行動。

 髪の毛は伸ばそうにも時間がかかるので、まずは肌を焼こうと思い、千葉市に向かいました。

 が、焼き方がわからない。そもそも日サロってどこにあるんだろう。ん~と思っていると、セガのゲーセンの前にギャルが溜まっていたんですね。たしかオレンジラインのプーマのジャージかナイキのジャージにキティちゃんのサンダル(通称「キティサン」。ここだけの話、僕は大学生活中もクロックスではなく黒金のキティサンで家の近くや大学に通うことがありました。黒歴史乙)という典型的田舎のギャルでした。当時はそういう系の子好きだったなあ(笑)。

 発見次第すぐ、「すいません、日サロで焼きたいんですけど、どこに日サロってあるんですか」って聞いてみたんです。ところでみなさん、ギャルに対してどういった印象をお持ちですか。怖いとか思ってる方いると思いますが、全然怖くないですからね。ギャルって外見のわりに意外と優しいんです。「まじか、ウケる。いいよ~連れてってあげる」みたいなノリのいい言葉を発して、セガのゲーセン前に溜まっていたギャルたちは私を日焼けサロンに連れて行ってくれたのでした。初めての日サロと対面した俺氏。「つ、ついに来てしまったあああああああ」

 その名も「イリオス」。あ、割と聞かれることが多いんですよね。「日サロってどうやって焼くんですか? 全裸になるの? 個室? 」みたいな質問。

 というわけで、いきなりですが、

日サロのフロー

をお教えします(今から紹介するフローは私が20歳くらいの頃から10年以上通っている渋谷の「SOLE」におけるフローですので、他店では異なる部分があると思いますがご了承ください)。

 ① 入店

 ② 受付で焼く分数(私の場合、最近は35分/月1です)を決めて、お支払い(分数にもよりますが、大体2000円~3000円です)。初めての方は、最初は20分くらい焼くのを1週間に2回くらい行うことで下地を作り、その後に分数を増やしていくといいと思います。

 ③ マシーンルームに入り、全裸になり、タンニングジェルを全身に塗りたくる。私が言っているお店は個室なので誰かに見られる心配なし。店員さんに内線で「おなしゃす」の一言。店員さんがマシーンのボタンをスイッチオンしたらタンニングマシーンが起動するのでその中に入ってタンニング開始(なお、ずっと立ってマシーンが周りをまわる立ち型と、マシーンの中に入って焼くベッド型が存在します。これらは全身を焼くタイプなのですが、顔だけ焼きたい方向けに顔焼きだけのマシーンもあります。昔焼きまくっていた時は前進と顔焼きを交互に使用していましたが、今はもっぱらベッド型のみ使用しています)。SOLE渋谷店は有線を聞けるので、迷わず最大音量でC-16(TRANCE-MIX)。10年間変わりません。大人になっても日サロで焼いている時だけはTRANCE-MIXを聞いています。割と自分がクラブで遊んでいた時に流れていた曲が流れることがあるので、昔を懐かしんでいます。

 ④ ひたすら曲を聞くor寝ながら終了時間まで焼く。この際、紫外線を直接目で見ないように気をつけましょう。

 ⑤ 終了したらシャワールームへ移動。ここでシャワーを浴びてしっかり汗とジェルを落とし、スタイリングして保湿ジェルを塗る。

 ⑥ 待合室に戻り、ドリンクをもらって終了。

 というフローになっています。すごいシンプルですので、興味ある方はぜひ(そういえば、教え子が同じ日サロに通いだすケースがありましたね(笑))! 

 話を戻して、当時高校生でバイトもせずお金がなかった私は『イリオス』に通い続けることができず、えりかさんとはお別れ。当時仲が良かったギャルの子に教えてもらった同じ千葉市内にある焼き放題という今考えたらありえないシステムの店に通い続けることになるのでした。

 焼き放題(笑)

 あれはやばいですね。というのも日焼けマシーンに一日何回も入るのは皮膚に非常に悪い行為です。実際にまじで真っ赤になって海で焼けた時よりもヒリヒリした覚えがあります。あの頃は黒ければ黒いだけ幸福感が増してってました。「バチグロ(バチバチに黒い、要は、すごい黒いということ)さいこ~」とか「まじケニアじゃね? うける」みたいな会話をずっとしてたな……今では考えられませんが、その焼き放題なるシステムを設置していた店では、日サロに一日数回入り、入り口に設置されてるスタンディングテーブルで店に来たギャルと話す……そんなことをしていました(注:日サロは適切な時間、適切な回数でなければなりませんので、マネしないでください)。

 そんなこんなで、運命的な出会いを果たしたmen’seggに導かれるがままに、フィーリングとタイミングに従い、私はギャル男になっていくのでした。

■ギャル男の魅力

 そんなギャル男を私は高校3年の途中~浪人~大学2年の頭くらい? の計3年くらいやっていました。飽きっぽい割に、割と長いが、ギャル男の魅力って何なのだろう。

 まず、髪の毛。

 みなさん、エム字バングってご存じでしょうか。むっちゃ説明しづらいのですが、要は、前髪がエム字になっている状態です(説明できてないので、当時の私のプリクラで視覚的に補充致します)。ネットで調べてみたら「アルファベットの「M」のようにカットした前髪のこと。韓国オルチャンにも人気がある前髪で、目力アップ効果が期待できるのも嬉しいポイントです」って書いていました。


 いや、オルチャン知らんけど。

 他にも、とりあえず襟足は長め、肌はむっちゃ黒い、服は原色中心、渋谷カルチャーに敏感、「やばい」の音程変えるだけで会話の5割が成り立つ等々、私的にはすごい個性的な存在だったと思います。正直、「やばい」「まじで」「たしかに~」「うける」あたりは今でも使っています。使っているというか、無意識的に発せられっているというのが正確なところです。

 詳しくは後程話しますが、個性って言うのは、その人となりが現れる部分だと思うんですよね。ファッション、こだわり、性格等々。その個性に触れることができる時って、すごいワクワクする。だって、自分にない部分に触れてるんですよ。よく、私は人間の知識を円に例えます。円の中身が知識量、知らない部分が円周だと考えてください。知識が増えれば増えるほど、円は大きくなりますが、それに伴って円周も長くなりますよね。知れば知るほど知らない部分が増えていくんです。それが当てはまるのが人間の個性だと思うんです。

人って、ほんっとわからない。だが、それがいい。

 え、こんな人いたの! ? みたいな発見することってないですか。Youtubeとか見てても、いろいろな人がいっぱいいますよね。ほんと、人間って無限大だと思います。

 人間って、おもしろい。

 話が少しそれてしまいました。

 ギャル男の魅力、それはひとえに個性ですかね。

 自分もギャル男という形を通じて、自分の魅力をアピールしていたのかもしれません。

■ギャル男の朝はヘアメイクに1時間

 
すごくくだらない話をさせてください。ちょっとだけ。

 ギャル男って、控えめに言って髪が盛れてるやつはイケてる、盛れてないやつはイケてないみたいな部分があるんです。髪が盛れてると比較的モテそう、イケてそう感が出るんです。

 その盛り方のフローはこちら。

 ① 髪をシャンプー&リンスする。

 ② 一旦、ドライヤーで乾かす。

 ③ ストレートアイロンで襟足は外ハネにして、前髪とトップ部分の癖がついているところをストレートにする。

 ④ 髪の根本にワックス(当時の私はアリミノの青を多用していました)を少量つけて髪の毛を立たせる。

 ⑤ コームで逆毛を立てる。

 ⑥ 全体をワックスで整えた後、VO5(髪を固めるスプレーです)で前髪以外の全体を固めていく。

 ⑦ 全体のバランスが整った後、前髪のエム字バングを慎重に作成する。

 ⑧ 再度、VO5で整える。

 もはやアート。これにかかる時間が約1時間。

 特に⑦が重要なんです。エム字バングって、太過ぎても細すぎてもキモいし、スプレーで固め過ぎてもメカジキのツノみたいになって風が吹いたときに変だし。

 あれは日本の伝統工芸と言っても過言ではないくらい繊細な技術が必要なんです。

 そして、私はMen’s eggモデルだった梅田直樹さん(通称梅しゃん)の髪型を目指していました。クラブ内は暗いので、錯誤に陥っていただけなのは明らかなのですが、クラブで「梅しゃんっぽい~」って言われたときはとてもテンションが上がったことを覚えています。

 こうしてできあがった髪の毛ですが、毎朝約1時間というのは、割と大変でした。

 たぶん、ギャル男を知らない方からすれば「全員一緒」って思うかもしれません。まあ、その気持ちはわかるのですが、

ラブライブを知らない方がラブライブのライブ映像とか見て「全員一緒」って言ってるのと同じ

です。ちゃんとみれば、彼女たちは一人一人個性豊かじゃないですか。

 それとギャル男も同じで、ギャル男にも髪の毛の特徴はあるんです。そして、ギャル男界隈ではとにかく髪の盛れ具合が重要でした。

 髪の毛が盛れてないと、とても気分が落ちるのです。

 僕の場合、髪が盛れない日は大学を休むこともありましたし(真似してはなりません)、盛れるまで何回も盛り直しをした日もあります。特に、湿気が多いと盛れないんです。ストレートアイロンで襟足を外ハネにしたのにすぐに外ハネが取れちゃうし。ヘアスプレーで「これで湿気も大丈夫! 」みたいに書いてあるものがありますけど、正直「う~ん……」って感想ですね。「まじで梅雨消えろおおおおおおおおおおおおおおおお」こう思ってたギャル男は多いんじゃないでしょうか。

 とまあ、少し話がそれましたが、そんな具合に髪の盛れ具合はその日の気分・行動を左右してしまうほど大事な部分。

 というわけで、私は毎日ヘアメイクに1時間くらいかな? かけていました。

 今思うと、「なっが……ご苦労様です」の一言しか出ません……。でも、そこは自分のこだわり。絶対に譲れないものってあるじゃないですか。

 ギャル男にとって絶対に譲れなかったのが、髪の毛だったのです。

■ギャル男のライフスタイル

 前述の通り、私は高校3年生の途中~浪人~大学2年生の頭くらいまでギャル男だったわけですが、ギャル男ってもはや絶滅危惧種? 絶滅済? ですよね。正直言ってギャル男について興味ないって方が多いと思っていたのですが、割と質問されることがあるので、ここで

ギャル男だった頃の私のライフスタイル

について話していきたいと思います(誰得)。

 まず、サークル関係について。私はギャル男だったのですが、一貫してギャルサー(大学のサークルではなく、ギャルが有志で集まって結成するサークルです)には所属していませんでした。ギャルサーはミーツ(ミーティングの略)やイベント(クラブを貸し切ってパラパラしたりするイベント)を中心に活動するサークルを指すのが一般的(なお、語ったり飲みだけを中心にまったりと生活することを活動指針とする和サー(和み系サークルの略と思われる)も存在する)なわけですが、ギャルサーは月々の会費が高かったのと、当時はもはや全盛期とは異なりギャルサーも下火だったように思ったので、自分はサー人(サークルに所属している人の略)にはならず、サー人に友達を作りまくって実質的に会費を払っていなくともギャルサーに入っているかのようなネットワークを構築すればいいやと考えたからです。他方、大学のサークルには入りました。これについては後程お話ししますね。

 高校~浪人時代は本当によく千葉県千葉市の日サロに溜まってました。そこの店長がよくしてくれてたってのもありましたし、そこで出会ったサー人のギャルの子とすごい仲良くなって、暇があったらよく遊びに行っていましたね。大学時代はセンター街のプリクラのメッカ前(今はプリクラのメッカの位置が変わっちゃってマック付近に移転してますが、当時はセンター街の入り口の近くにあったんです)、センターマック(センター街のマックの略)3階、109付近によく溜まっていました。溜まって何してたんですか? と質問されることがあるのですが、ほんと何もしていません(笑)何の生産性もなくずっと喋ってて、プリクラを撮りまくって、夜は居酒屋行ったりクラブ行ったり。本当にただの暇人です(笑)ただ、覚えているのは、司法試験の勉強を始めたばかりのころ、

「俺はただのギャル男にはならねえ」

と思いだしたんですね。なので、渋谷に溜まっていた際、司法試験予備校伊藤塾の試験対策講座(通称「シケタイ」)を片手に自分は渋谷で勉強していました。ギャルたちの中で、ただ一人シケタイを読む男。それが、俺スタイル(勉強したてであり、かつ、集中していたわけでは無いので、渋谷での勉強は試験勉強に全く寄与していません(笑)。勉強してる感を醸し出していただけでございます)。

 ファッションについては、Men’s eggを買って、その中で紹介されているブランドを109のメンズ館(2020年現在はMAGNET by SHIBUYA109となっているようです)で購入することがほとんどでした。私はバズズパンキーというブランドが好きだったので、サーフ系に位置付けられるのでしょうか。ただ、UNIQLOのレディースを買うことも多かったですね。ギャル男だった当時は相当痩せていた(170センチで56キロくらい? 今は……・)ので、レディースがちょうどよかったりしたんです。あと、ギャル男系のファッションってアクセサリーやバッグ等の小物のクセが少し強い(ガチャガチャしてるといいますか、ロゴが強調されてたりしてマークがうるさいといいますか)ので、シンプルなUNIQLOを併用することでバランスが悪くならないように心がけていました。ああ、アクセサリーという言葉が出てきましたが、私はウルフマンとジャスティンデイビスが好きでしたね。お金もないので、数はもっていませんでしたが、割と愛用していたと思います。

■ギャル男、浪人後、東大に落ちて慶應に受かる

 ちょっと大学時代の話も出てきてしまいましたが、時系列をもとに戻しますと、高校サッカーを辞め、ギャル男になったわけですが、大学受験をしなければならないわけです。

 ところがどっこい、高校に入ってからは勉強をそんなに頑張っていなかった私は大学受験に合格できるだけの実力を備えていませんでした。でも、進路は決めないといけないわけですよね。どうしようかなあって考えた結果、シンプルな答えが出てきました。

「そうだ,東大に行こう」

 ……これを聞いて「あんた、ばかあ? 」という惣流・アスカ・ラングレーばりのツッコミをした方、正解です。でも、僕の思考回路ってほんとシンプルで、開成高校に負けたから、今度は東大にリベンジ! って感じだったと思います。客観的な可能性の低さより、主観的願望を重視するタイプなんですかね。主観に客観を追いつかすみたいな。

 勉強方法については、ちょっと記憶が曖昧過ぎて具体的には思い出せないのですが、基本的に予備校に通い、そこのカリキュラムを消化するという高校受験までのやり方と同じでした。予備校で教わる事項や教材以外の新しいことは特にやっていなかったと思います。唯一今の自分であれば改善できることと言えば、渋幕自体が受験予備校が不要なほどにしっかりとした授業をやってくれるので、渋幕の授業を普段の受験勉強のルーティンの中にうまく組み込むことでしょうか。例えば、渋幕の授業内容をよく復習して、それを予備校の授業の予習代わりにするといった形で、両者を融合させていればもっと効率化が図れたのかもしれません。

 とまあ、そんなこんなで勉強していたわけですが、結局、東大文化一類に合格することができず、浪人することになりました。浪人時代も勉強の仕方は同じ。予備校で与えられたカリキュラムを粛々とこなしていくだけ。長いような1年間でしたが、渋幕で浪人する友達や地元の友達もいたので、勉強環境はかなり整っていました。勉強に飽きたら友達とご飯を食べてリフレッシュしたりしていたので、勉強ノイローゼになることはまずなかったですし。

 あと、

浪人時代に勉強を続けられた理由の一つに友達の存在がありました。

たとえば渋幕の友達、彼ら、本当に頭がいいんですよ。超優秀。だからこそ、絶対に負けたくないって気持ちがすごい強かった。彼らよりも早く来て、一番遅く帰ろう! といった気持ちがわいてきたり、模試で順位が彼らより悪かったら超反省して次は勝つ! みたいな。なんだろう、この気持ちを彼らに伝えていたわけではないのですが、ライバルであると仮想して、その仮想ライバルと常に戦ったみたいな浪人受験生活でした。

 んで、もちろん東大を受けるわけですが、ここで母に言われたんです。「頼むから東大だけにするのはやめてくれ。なんでもいいから、他に私立をちゃんと受けてくれ」と。じゃあどうしようかなあというときに私立偏差値ランキングみたいな表があって、そこで慶應大学法学部法律学科が目に入ったんです。当時の私立ナンバーワンだったのかな? これならええやんということで受験決定。

 結局、ふたを開けてみたら東大に敗北、慶應に勝利。親の一言がなかったら浪人生活がさらに長引いていたかもしれません。結局東大には勝てませんでしたが、そうなってしまったもんは仕方ない。

 こうしてギャル男は慶應に進学するのでした。

 『ギャル男編』前編はここまで。いかがでしたでしょうか。
今回はいつにもまして心の中の声が現れてたのではないかな?と思います。

次回は大学生となったギャル男の東京での生々しい活動を書いていきたいと思います!

それではみなさんいい夢見ろよ!

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