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ボスの家にて(インド・シュリナガル5/7)

毛布にくるまりながら、震えていた。連日の肉体的疲労や精神的な疲労もあり、意識はウツロウツロとしているけど、絶対に寝てはいけない。もしもの時は、実行するしかないのだ! 僕は人生最大の決意を固めていた。

シュリナガルを脱出して、カルカッタへ向かうことが決定したが、その前に大試練が待ち受けていた。必死の思いで「希望の暗号」を作り、バックパックに荷物をまとめていたら、突然、ボスが信じられないことを言い始めた。
「今日は、おれの家に泊まれ」
「???」
「急遽、この部屋に予約が入ったから、おれの家で寝るんだ」
 
意味が分からない! ボートハウスでシュリナガル最後の夜を過ごすのではないのか! しかも、よりによってボスの家に泊まるだと! 困惑した表情を見せていると「早く行くぞ!」と急かしてくる。他に選択肢もなく、拒否することも出来ないため、従うしか方法はない。
ボスの車の助手席にイヤイヤ乗り、街中を抜け、人気のない道を15分ほど進んだのち、ボスの家に到着した。周囲に他の家があるわけでもなく、大きな塀に囲まれた、巨大な一軒家がそびえたっている。きっと、悪事を続けてこの家を建てたのだろう…と考えると、怒りが湧いてくる。でも、今の状況を冷静に分析すると、すぐに別の感情が浮かび上がってきた。
ツアーは全て終了+大金を払い終わった+人気のないボスの家=全ての舞台は整った。

「ヤバい! 殺される!」

恐怖で足が震え始めたが、ボスに促され、扉を開けて中に入っていくと、子分らしき男たちが待ち構えている。どうやら、ボスと二人きりではないみたいだ。その子分に案内され、2階の寝室へと向かうと、夕食が用意できているから荷物を置いて食堂へ来い! と指示をしてくる。
食堂へ向かうと、具材が多めで豪華な器に盛られた“カレー”が用意されている。部屋の中には、シャンデリアがぶら下がり、壁には様々な絵画も飾られているなど、これまでとは明らかに違う景色が広がっている。
これが、最後の晩餐ということか…
カレーをスプーンで掬い、口まで持っていくが、喉がパサパサで胃の中に入っていかない。この後に起きるかもしれない出来事を考えると、食欲などあるわけがない。大半のカレーを残し、食堂を出て階段を上がっていくと、子分がまたもや、偉そうに指示をしてくる。
「明日は7時に朝食だ。そして、すぐに出るぞ」

部屋に戻り、今後の対応を必死に考えるが、解決策は見つからない。この家から逃げ出すにしても、巨大な壁に囲まれているし、人気もない場所だ。それに、逃げたことがバレたら、すぐに見つかる気もする。
でも、先ほどの子分の言葉を信じるのであれば、何も起きない可能性もある。ただ…全ての舞台は整っている。もしもの時は、一人でも道ズレにし、最後の1分1秒まであがき、生き延びようとした証を残さなくてはいけない。こんな所で死ぬわけにはいかないのだ! 
恐怖に覆われながら、日本から持ち込んだ唯一の武器である“小さなハサミ”を右手で握り、部屋の電気を付けながら、毛布にくるまり、来るべき時を迎えることを決心した。

夜も深くなり、睡魔と恐怖が一進一退の攻防を繰り広げていると、突然、部屋の電気が落ちて、真っ暗になった。
「……」
ついにこの時がきたか。鼓動の加速と冷や汗は、もはや止まらない! 右手に力を入れ、呼吸を整えていると、「ギィーーー」と、扉を開ける音が聞こえてきた。やるしかない! と覚悟を決めて、勢いよく起き上がった瞬間

「Oh Sorry」

との言葉を残し、ドアノブを握っていた子分が勢いよく扉を閉めて、その場を立ち去って行った。呆然とその光景を見ているうち「助かったのか?」と、少しの安心をした直後、張り詰めていた緊張がプツンと切れ、そのまま失神をしてしまった。

目が覚めると、太陽の光がカーテンから差し込んでくる。どうやら生きているみたいだ。毛布から出ると、寒くて身震いがする。予定通り7時に食堂に向かうと、子分が朝食の用意をしている。砂糖が効いた甘いチャイを飲みながら、現実の世界へ意識を集中していると、子分が僕に謝ってきた。

「昨日、停電が起きたんだ。それでお前が大丈夫か、確認に行った」

嘘か本当かはよく分からないが、今日を生き延びたことに安堵していると、ボスが食堂に入ってきた。
「昨日はよく眠れたか?」
「眠れるか!!!」
と、猛烈な怒りの声を心の中で唱えながら、チャイを勢いよく飲みほした。

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