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旅のはじまり(インド・シュリナガル1/7)

シュリナガル。
言葉として存在は知っていた。しかし、旅に出るまでここに来る計画などなかった。なぜ自分がこの街にいるのか理解が出来ていない。いや違う。頭の中で理解はしているのだが、現実として受け止める事ができない。

一体いつになったら、この場所を出られるのであろうか?

街中に目線をうつすと、真冬の防寒具を着用し、ライフルを手に構えた警官らしき人の姿や、古びた色のない衣服を纏った人達が見える。これまで耳にしたことのない言葉が、冷えた空気を無機質に伝わり、僕の耳まで辿りつく。コンクリートのデコボコな道が遥か先まで広がり、降り続いた雨が至る所で水貯まりとなり、行き先を阻み続けている。
灰色の空が僕の心を閉ざした。

2006年の2月中旬、僕は初の一人旅で、インドを皮切りに3カ月のアジア周遊の旅をスタートさせたばかりだった。だが、インドの首都ニューデリー到着の翌日に、「リキシャ」と呼ばれる三輪タクシーのドライバーと旅行会社の男たちによる、甘い言葉と魅力的な写真に引き込まれ、半ば強制的にシュリナガルを旅させられていた。
シュリナガルはインド北部のジャムー&カシミール州に位置している。歴史的な背景もあり、隣国パキスタンとの領土問題やヒンドゥ教とイスラム教の宗教対立が残る地域でもある。そのため、旅行者が訪れることは少ない。その一方、ヒマラヤ山脈の麓の地域で「カシミールの王冠に輝く宝石」とも呼ばれるダル湖もあり、風光明媚な観光地としての側面もある。

さて、彼らの「ぼったくりツアー」の中身はこうだ。
ダル湖に浮かぶボートハウスと呼ばれるホテルを拠点にし、ダル湖やシュリナガルの街中を巡る。ヒマラヤの丘陵地帯にあるスキー場の見学や、山中に住む現地の家庭で言葉も通じない中、宿泊したりもする。食事は毎日、カレーだ!
しかし、シュリナガルに到着してすぐ、違法なまでに高額のお金を要求されたことで、騙された事を理解していた。そして、ツアーに出るたび、奴らと攻防を繰り返す。
「エキストラマネー!」
「お金は持っていない」
「クレジットカード!」
「トラベラーズチェックしか持っていない」
ひたすら隠し続けた、黄金に輝くクレジットカードを出したら、お金を搾り取られ続けてしまう。
助けを呼びたいが、街中で英語が通じるわけでもなく、家族や友人と連絡を取る事すら出来ない。
様々な理由をつけ逃げ出そうともしたが、周囲はヒマラヤに囲まれ、誰が信用できるか見当がつかない。僕が出来る事といえば、何度もトラベラーズチェックを渡してツアーを続け、彼らの懐を満足させること。そして「この日までにカルカッタに行かねばならない!」と必死に訴えること。

恐怖から身体が震え、眠れない時もあった。人生で初めて死も覚悟した。殺されるなら一人でも道連れにすると決意をし、日本からインドに唯一持ち込めた小さなハサミを持ちながら寝たこともあった。
最終的に、彼らの懐を満足させることに成功した僕は解放された。乗り合いバスで、シュリナガルから電車が走るジャムーまで8時間をかけ移動し、その翌日には、2等の寝台電車に乗り、44時間をかけて、インド第3の都市カルカッタ「ハウラー駅」に到着することが出来た。

インドに到着し10日が過ぎていた。
旅の勝手は何も分からない。タクシーやリキシャの客引きの言葉にもはや耳を貸すわけもなく、プライベートタクシー乗り場を目指し足早に進む。目指すはカルカッタの安宿街「サダルストリート」
タクシーを降り、周囲を見渡すと様々な国籍の旅人たちが歩き、英語がリズミカルに僕の耳にたどり着く。道路は整備され、いくつものホテルの看板が並び、新たな旅の始まりに鼓動が早まる。
夜、宿で日本人バックパッカー達に出会い、この旅で初めての“安心”を手に入れた。彼らは僕の体験談を聞きたがった。話を終えると、一様に皆が日本への帰国を促した。おそらく顔もやつれていただろうし、彼らの目には、頼りなく映ったのかもしれない。
だけど、トラブルは解決した時点で自分だけの経験となる。それを糧にして前を向く事が出来る。
僕は自信を持ってこう返した。
「いや、今日が旅の始まりだよ!」

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