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山田辰雄は本部朝基の初期弟子の一人である。もともとは船越(当時富名腰)義珍に唐手を師事し…
2009年、アメリカで武道雑誌を発行している、ある出版社から本部朝基の著書の英訳本を出す計画…
本部朝基の晩年の軌跡、とりわけ戦争中のことについては、記録に乏しくほとんど知られていない…
下の写真はナイハンチ初段で、横受けと下段払いを同時に行う箇所である。 本部流のナイハンチ…
名声と誹謗中傷はしばしば表裏一体の関係にある。たとえば、本部朝基は若年の頃から「非常に武…
これまで、アメブロ時代も含めて本部朝基の型について何度か記事を書いてきた。「本部朝基はナ…
最近は少なくなったが、一時期本部朝基は泊手だとする説を多く見かけた。本部流や本部家がそうした主張をしたことはないし、山田辰雄、丸川謙二、小西康裕、中田瑞彦といった本部朝基に師事した方々からも聞いたことがない。本部朝基自身、自らの空手(唐手)を泊手と称したことは著書でもインタビューでも一度もない。それゆえ、一体どこからそうした主張が出てきたのか不思議に思っていた。 本部朝基『私の唐手術』(1932)の著者略歴には、糸洲安恒、佐久間(佐久真正起)、松村宗棍、松茂良興作の4氏に主
当破(アテハ、方音でアティファ)は、突きの威力とかパンチ力を意味する沖縄方言である。漢字…
以前、筆者は「ヤカー」という記事を書いたことがある。ヤカーは「守り役」を意味する沖縄方言…
昨日(2016年11月17日)の稽古で、道場生より本部拳法の一本組手について質問があった。一本組…
以下の話は、東京大道館で本部朝基に師事した丸川謙二氏が語ったエピソードである。 昭和15(…
以前、日本武道学会で本部朝基の柔道対拳闘の試合の飛び入り参戦について発表したことがあった…
掴み手とは、下の写真にあるように、古流空手の技法のひとつで、主に相手の腕部を掴む技法のこ…
昭和11(1936)年10月25日、那覇で史上有名な「空手大家の座談会」が開かれた。沖縄県が制定した「空手の日」はこの座談会に因んだものである。本部朝基も本土から一時帰郷していてこの座談会に出席したが、そのとき以下のようなやりとりが行われた。 太田朝敷(1865 - 1938)は、廃藩後の沖縄の代表的な知識人の一人で、当時琉球新報の社長を務めていた。上記によると、本部朝基とも若年の頃から知り合いだったらしい。 太田のいう実戦というのは、掛け試し(かけだめし、方言でカキダミ