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本部拳法

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本部朝基が開いた本部拳法に関する記事です。
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#沖縄

空手用語と概念の固定化

下の写真はナイハンチ初段で、横受けと下段払いを同時に行う箇所である。 本部流のナイハンチ…

本部流
6日前
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本部朝基は三男だから学校に通わせてもらえなかった?

名声と誹謗中傷はしばしば表裏一体の関係にある。たとえば、本部朝基は若年の頃から「非常に武…

本部流
1か月前
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本部朝基の型

これまで、アメブロ時代も含めて本部朝基の型について何度か記事を書いてきた。「本部朝基はナ…

本部流
5か月前
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本部朝基は泊手?

最近は少なくなったが、一時期本部朝基は泊手だとする説を多く見かけた。本部流や本部家がそう…

本部流
5か月前
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本部朝基の当破(アテハ)

当破(アテハ、方音でアティファ)は、突きの威力とかパンチ力を意味する沖縄方言である。漢字…

本部流
7か月前
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安里安恒は本部朝基の家庭教師だった?

以前、筆者は「ヤカー」という記事を書いたことがある。ヤカーは「守り役」を意味する沖縄方言…

本部流
11か月前
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本部拳法の一本組手

昨日(2016年11月17日)の稽古で、道場生より本部拳法の一本組手について質問があった。一本組手は、宗家(本部朝正)が昭和25(1950)年、25歳のときに作った約束組手である。内容は、父・朝基より習った基本の組手技を約50本にまとめたもので、当時書きとめたノートも現存している。 当時宗家は、地元の貝塚市警察署に勤務していたのだが、「本部朝基の空手を教えてください」と警察署に訪ねて来る人たちがいた。それで、昭和24(1949)年頃より、地元のお寺・尊光寺の御堂を借りて青少

ハエを箸で捕まえた本部朝基

以下の話は、東京大道館で本部朝基に師事した丸川謙二氏が語ったエピソードである。 昭和15(…

本部流
1年前
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本部朝基の木刀と剣術

以前、日本武道学会で本部朝基の柔道対拳闘の試合の飛び入り参戦について発表したことがあった…

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本部流
1年前
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古流空手の掴み手

掴み手とは、下の写真にあるように、古流空手の技法のひとつで、主に相手の腕部を掴む技法のこ…

本部流
1年前
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掛け試し

昭和11(1936)年10月25日、那覇で史上有名な「空手大家の座談会」が開かれた。沖縄県が制定し…

本部流
1年前
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本部朝基の柔道研究

本部朝基は実践的な武道家がしばしばそうであるように、生涯にわたって武術の研究を続けた。本…

本部流
1年前
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本部朝基の葬儀

昨年末(注:2015)、本部朝勇の孫の本部澄子さんの一周忌に宗家(本部朝正)とともに出席して…

本部流
1年前
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