本部拳法の一本組手
昨日(2016年11月17日)の稽古で、道場生より本部拳法の一本組手について質問があった。一本組手は、宗家(本部朝正)が昭和25(1950)年、25歳のときに作った約束組手である。内容は、父・朝基より習った基本の組手技を約50本にまとめたもので、当時書きとめたノートも現存している。
当時宗家は、地元の貝塚市警察署に勤務していたのだが、「本部朝基の空手を教えてください」と警察署に訪ねて来る人たちがいた。それで、昭和24(1949)年頃より、地元のお寺・尊光寺の御堂を借りて青少年たちに空手を教えはじめた。
本部朝基が息子に空手を教えるやり方は、昔ながらのマンツーマン方式であった。そのため一度に複数の生徒を教えるにはやはり制定された約束組手が必要だろうと考えて宗家が作ったのがこの一本組手である。朝基十二本組手のような複雑なものではなく、上受けや横受けといった基本技を中心に構成されている。
組手の基本技など、どの流派でも大差はないと思われるかもしれないがそうではない。本部朝基は若年の頃より松村宗棍、佐久真親雲上、松茂良興作といった先生方と組手稽古をしていたので、その技法は真正の沖縄古伝のものであり、やはり現代のそれとは趣きを異にしている。
例えば内受けも下の写真のように、本部拳法のそれは独特である。
一般によく見かける内受けは左の写真のように前腕部を斜めに突きだして受けるが、本部朝基が教えた内受けは、右の写真のように前腕部は垂直に立てて相手の懐深くに入って受ける。
また、後手は引き手として身体側面に取るのではなく、夫婦手の控えの手として前手の肘に寄り添うように付ける。
戦前の沖縄出身の空手家の多くは型の教授に注力して、組手は(ほとんど)教授されなかった。そのため本土の若者たちが型から技を抽出して作ったのが現代組手の起源である。
一方、宗家は本部朝基から教わった基本の組手をそのまま一本組手に保存するように努めた。したがって、一本組手は単に本部朝基の組手というのみならず、沖縄古来の組手を知る上でも重要なのである。
出典:
「一本組手」(アメブロ、2016年11月18日)。
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