転ばずにつまづくことを覚えてほしい
新卒、もしくはそれに準ずる年齢の子に教える立場になった。とはいえ私は昔から現在までプレイヤー寄りのPMなので、直接的に指導するよりは、背中を見せつつ少しずつ任せていくことが多い。
1人だけ本当にスパルタで鍛えた後輩はプランナーとして独り立ちしてくれたが、それは正直稀有な例だと思っている。最近の若い子は、とても真面目で、礼儀正しく、気遣いができて、故に遠慮し過ぎてしまうように感じている。
チャットでも対面でも、何かを訊かれたら、できるだけ待たせないようにしていた。最大でも30分後には向き合って話を聞くようにしていた。迷惑だと思ったことなどないし、迷ったときに真っ先に訊いてくれるのは選択として正しいことも多かった。
彼ら彼女らの失敗はできるだけ軽やかに扱った……というか、私たちの世代にとっては、失敗ですらなかった。これはただのすれ違いやアクシデントで、100%誰かが悪いというものでもない。気に病むことは歩みが止むこと。つまずいても、転ばずに歩き続けられるくらいのものだと思っていた。
が、今はどうもそうではないらしい。ということを痛感させられて、失敗させるのはなんと難しいのだろうと思い悩んでいる。
同年代の上司はよく、こんなことを言う。
「失敗のレベルを覚えてもらいたい。気にしなくていいやらかしと、気にしたほうがいいやらかしの違いを実戦で身につけてほしい」
完全に同感である。気にしなくていいやらかしは寝れば忘れる。むしろ、寝て忘れるくらいに強かでいてほしい。
ただ、それは私たちの世代の特性であるのだろうな、ともちらりと思う。1990年代から2000年代初頭にかけて、先人があまりいない状態でWebという業界に飛び込んできた年代だからこそ、失敗を蹴散らして走り続けてこられたのではないだろうか。
業界が確立し、ポジジョンが分化し、専門分野が細かく枝分かれしてきた現在では、そこまでざっくばらんに考えられないのかもしれない。
公務員の夫も同じことを言っていた。若いうちに、周りにフォローしてもらえるうちに、いろんなパターンの失敗を経験しておいてほしい。
だが、若手は驚くほど失敗を恐れている。と。
若手よ、あなたたちの思う失敗は上の世代にとっては失敗でもなんでもなくて、単に小石を踏んだ程度なのだと適度に腹を括ってほしい。プロジェクト遅延?要件定義の抜け漏れ?そんなのは電車の遅延よりよくあることだ。それをカバーするために先人がいるし、自ら通ってきた道だから誰も(少なくとも私は)怒らない。それを回避し続けて、失敗に対するアンテナを磨けないことの方がよほどリスクである。
ということを伝えたかったけれど、どうしたら伝わるのだろうか。ミナカミさん忙しそうだから声かけられないな、ではなく、ミナカミさん忙しそうだけどまあ今日中に話聞いてくれればいいか、くらいに考えて軽率に声をかけまくってほしいのだ。
私は1時間くらい作業を止めたところでなんのダメージもないし、現実的に想定しうる範囲なら9割は動じないし、それでその子への評価が変わるなんてこともない。取るに足らない失敗もどきで若い子を萎縮させるのが一番怖いし、やっちゃいけないと思っている。
なのでみんな、安心して失敗して寝て忘れて強くなってくれよー、と常々考えているのだが。
私たちがそう思わせないほどに忙しくしているのだとしたら、それは反省して改善しなければ。
ここ数週間、直接関わることは少なかったものの、ちょっと反応が鈍くなったな、目の行き届き方が前と変わったなと懸念していた子がダウンしてしまった。自らの振る舞いに追い詰める要因がなかったか、あの子がもっと抱え込まないようにできることはなかったか、同じように追い詰められかけている子はいないか、などとうわーっと考えたため、最近感じていることをとりとめなく文章にしてみた。
これを読む若手の子たちが、失敗をマイナスと捉えず、少しでもポジティブな方向に感じてくれたらいいなと思う。
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