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素性を知らない彼女と嫉妬を生業にしている私のSNS事情

人は出会いと別れを繰り返す。
使い古された言葉だと人は言う。だが私はこの言葉の持つ意味を考える。

「あなたは、すっとぼけた軽い文章がお似合いなのよ。これは褒めてるのよ」

私は、『褒めてる』が最後にくる日本語ほど、その褒めてないという響きに傷がつく。私の軽さや薄さはその人生から来ているのだろうか。
自分でもこの薄っぺらさと軽い文体に日々色々な方の文章を読んで感じることである。

私は、かつてインスタでは名を馳せた作詞家だった。←もう虚構癖が、はじまってます。

その反響ぶりが怖くなりインスタを閉じたのだが、才能と才能は再び引き寄せるということを知った。

Xを始めた私は、なんとなく見覚えがあるアカウントを見つけた。そのアカウントは、才能という才能を発揮して毎月何かしらの勲章を得ていてさながら現代の賞金稼ぎのように見えた。

当然、私はその才能に嫉妬する。おいおい。そこまで才能を魅せるとは穏やかじゃないねと。

コイツに関わっちゃならねぇとお日さまが言ってらぁ‼️

私は、私以外が活躍する世界などSNSでは見たくない。なぜならSNSとは自分が主役の世界だからだ。なぜ現実世界でこんなにも日陰で暮らしているのにSNSでも人の眩しい光を浴びてさらに眩しくしてあげて嫉妬に駆られなければならないのだ。

私は嫉妬製造業ではない。
この嫉妬オブドリームから逃げ出したい。

と、感じるまでのアカウントだったのだがこれはもしやと感じ始める。私は恥を忍び部屋をノックした。

「もしかしてビックリですか?」

彼女の返信はこうだった。

「もしかしてトックリですか?」

私達は、再び出会ったのだ。

彼女は私の名作詞を作曲してくれた女性だったのだ。

どうりで、私のアンテナに刺さるはずだと感じた。私は再び出会った奇跡に感謝した。さっきまでの嫉妬はぶん投げた。一瞬でぶん投げた。

ヘイヘーイ‼️久しぶりブラザー。

正体さえ判明すればすり寄るのは特技。私こそミスター忍び足。だいたい女性に近づきたい。

私はすぐさま、君の後追いしていいかい?と尋ねた。だって私も参加したかったからだ。おそらくこの辺の軽さがそのまま生き様に反映され文体に影響していると考える。

私が持つ高くそびえるプライドは「一緒に混ぜて」とその一言がなかなか言えない。

私はいつも無駄に嫉妬する。世の中眩しい人が多すぎる。

それから私は、公募に応募するようにした。川柳、大喜利、54字の小説、短編。尽きるまでやってみようと。今のところ尽きる気配はない。noteにはすごい人が多すぎて、それを感じる自分にイヤな感情を流したくないので遠巻きに見ている。

それくらいの距離が自分には合っています。

なんのはなしですか

どこまでが現実でどこまでが嘘か分からないのが私の理想の世界。それを書き連ねたい。

人間は必要だったら出会うと思うが、それを選択して手繰るのは自分にしか出来ない。その一歩が本当に難しい。今声を出せといつも思う。出来なくて失敗した数を次の人生までに教えて欲しい。

出会いと別れを繰り返すが、その螺旋からは降りてはいけないと思う。現実もSNSも。というわけで私は、素性を知らない彼女に、今日もついていく。

再び私を楽しい世界へお誘いいただきありがとう。やるよ。私はやるよ。
 


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