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人の記憶の中を記録する~南国の終着編~完

前回までのお話。

42歳の一人旅に石垣島を選んだポップという名前の彼は、「自分で残せない旅の思い出を記録して欲しい」と僕に依頼する。僕は、人の記憶に忍び込むのは容易ではないと思っていたが、2時間の夜の蝶との対談を交渉に出され、それを断る理由など見つけることが出来なかった。

夜の蝶はいつも人を寄せ付ける。簡単に掴めない。だから私は甘い密を出す止まり木になる。少しでも留まってくれたらと。そして掴んだと思ったらヒラヒラと逃げていく姿と少しの鱗粉にいつまでも欲望を重ねるのだろう。

木の子の夜談義より抜粋

これは、人の記憶を記録する私の頭の中のノンフィクションである。あなたがどう思うのかは知る由しもない。


彼は、どうしても行きたかった店を訪れることにした。それは石垣島では有名なスナックだという。

彼がその店に行きたくなったのには理由がある。その店がSNSで紹介されていたからだという。普段の彼はSNSに踊らされることなどない。彼は冷静で、仮に踊らされることがあるのなら自分から踊ってやるというタイプだった。

そういう意味で彼は、42歳の男が家族を置いて石垣島に一人で来た時点ですでに踊っていると思った。回りまくっていると思った。

彼は、熱い手羽先が有名なスナックにたどり着いた。スナックの扉を前にするとまず第一のふるい分けに合う。これは、彼に限ったことでなく、誰にでも訪れることだ。

一見さんでも温かく迎えてくれるのだろうか。この不安は扉を開けるまで続く。とかく、一見さん歓迎、寄ってらっしゃいと言う人や、店ほど一見さんに冷たく自分のテリトリーを大事にしている風潮がある。

これを矛盾のデリカシーと人は呼んでいる。

彼は、それが起こることをイメージトレーニングしてから扉を開けた。傷つくことを最小限にするのは、大人の男の嗜みだった。

「一人ですけど、呑めますか」

彼は彼に出来る最大限の敬意を示した。スナックは呑むところ。食事や冷やかしで来るようなところではない。店の奥から店のママが顔を覗いた。無言が5秒続いた。この5秒がすごく長く何かしらの審判にかけられていたのは、言うまでもない。ママは何も言わず頷くだけだった。

彼は、1人なのでテーブル席は遠慮し、入口から一番奥のカウンターに座った。それは決して一杯ですぐに帰ったりしませんという彼なりのアピールだった。

「今日は、この後5人の予約があるんよ」

唐突にママは、彼にその事実を告げた。

「忙しいのにすみません」

彼はそれを謝ったのだが、そうではなかった。

「5人来るのにそのテーブルの近くにあんたは、座るのかい。あんたの知り合いかい」

彼は怒られていた。そして5人のキーワードを聞き流してしまっていた自分を恥じた。

「はい。違います」

彼は、フライングした選手のようにそこから一番離れた入口近くの席に戻り座った。

店には、まだ彼とママしかいない。彼は注文をした。

「さんぴん茶割りありますか」

彼は普段レモンサワーしか呑まないのに南国の空気とお店の雰囲気に少し押され、郷に入っては郷に従えが頭にこだましていた。

「そんなんないわ」

カウンター越しに出されたのは、泡盛のボトルだった。彼はレモンサワーからのさんぴん茶割りでも充分に冒険したのに、まさかの泡盛ボトル返しがきてその南国の熱さを知った。郷に入っては郷に従えだと思った。

「ありがとうございます」

彼は1人で呑みはじめた。ママはそれをじっと見ながら厨房へ入った。1人で呑み進めていると観光客が頻繁に店を訪れることがわかった。だがママはその都度、

「今日は予約でいっぱいだ。帰って」

と繰り返し断っていた。彼はその様子を見て不思議に思ったのだが、これからいっぱい客が来るのかと思い呑んでいた。やがて予約の5人が訪れた。お店はまだ人が入るのにママは、相変わらず入店を断っていた。

彼のもとにママから手羽先が届いた。知ってはいたけれどそれは熱かった。だけど彼は猫舌の関東人としてママの記憶に残りたくないと考え、熱くない演技のまま手羽先を食べ続けた。

口の中は、とんだ大やけどだった。ママは黙って見ていた。

予約の5人は、カラオケタイムに入っていた。通常酔いが回ってくると見ない顔である彼にも話しかけて来そうな気もするが、この日は誰も彼を相手にしなかった。彼は何がいけないのか考えた。郷に入っては郷に従えが響いた。

南国の島唄がピークを迎えていた。彼は勇気を出した。自分に出来ること。それは指笛だった。彼は指笛を高らかに合いの手代わりに響かせた。

ここは南国。指笛で俺も仲間入りだ。

結果がイメージと違うことはよくあることだ。経験がものを言うからだ。指笛はその誰もがノーリアクションで店に虚しく鳴り響いた。

関東のスナックでの指笛は盛り上がるのに、本場での指笛は盛り上がらなかった。これはもしや、本場の真似してはしゃぐピエロになっているのではないかと彼は途端に恥ずかしくなった。郷に入っては郷に従えだけが虚しく頭に響いていた。

ママからは、三度目の手羽先が届いていて口の中はもう口と呼ぶのに難しかった。

予約の客が帰り、またママと2人になった。ママは何度も一見さんを断っていた。

「私も呑もうかね」

ママは、彼の前に来て泡盛を一緒に呑みはじめた。彼は終わりがわからない手羽先を食べながらママに聞いた。

「どうして僕をお店に入れてくれたのですか」

ママは、じっくり彼を見て彼に告げた。

「人相見ればわかる」

その一言だけだった。彼はママの生い立ちやお店について会話した。宣伝によりお客がいっぱい来るようになったのは嬉しいことだが、やっぱり冷やかしかそうでないかは分かるという。事実、彼の泡盛のボトルはその終わりを告げようとしていた。彼はママに「おばぁ」と言ってみたくなったが、それは止めておいた。

「あんたの顔は覚えたから、家族で来なさい」

彼は最後にこう言われた。そして彼は口の中のやけどを残し店を後にした。その後の記憶はないという。



酔いが僕を支配するなか、彼の話を聞いて南国の感想をたずねた。

「で、お前は南国へ次は家族と行くのかい」

彼は、レモンサワーを飲み干してこう言った。

「ところで石垣島の空港のトイレは再生水だったよ。だからというわけではないが、南国へはセカンドパートナーが良いと思う」

僕は、彼がまったく何を言っているのかわからかったが、セカンドパートナーの響きは気に入っていた。

なんのはなしですか

乾杯し夜の街へ繰り出した。

そう。忘れてた。もう一泊してた彼は、グルメ旅と離島へ行ったらしい。まとめて置いとくね。ぜひ、南国へ。

長いお付き合いありがとうございました。

証拠写真18
人はどこまでも食
証拠写真19
離島へも1人


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