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「好きな作家がSNSやってないと不安になる」 〜「作品と作者は別」論について



 あたいの友達に、互いにスタンスが近かったり遠かったりするものの、飽きもせずに何年もずっと長いことつるんでいて、政治やSNSやジェンダーや社会のことについて議論できたり、いろんな思ってることをブレインストーミングのようにつらつらと言い合える心理的安全性の高いダチがいる。

 その子は、元々はあたいがゲイバーで働いていた時に飲みに来ていたお客さんだったんだけど、歳も近く、酒の飲み方(ペースとか)も似ていて、なおかつ飲み屋であろうが臆面もなく社会学やフェミニズムの話ができたので初手から奇妙な親近感があった。こういった関わり方は、世間的にちょっと特殊な場ではあるゲイバーであっても、ちょっと普通ではない交流の仕方だったと思う。

 まぁなんやかんや波長があって当たり障りない会話をして腹のうちを探ったりしながらも、いろいろと会話の間口を広げて関わっているうちに、お互いにそれぞれは世間の想定する「普通」からちょっとズレてる面倒な人間だと理解し合ったあたい達は、急速に膝を進めて話し合える仲になった。


 今やその子は、あたいが生きていく上で「あいつだったらこの選択にNOって言ってくれるだろうな」と脳内に現れてくれる人間のひとりになった。指標になるほどあたいに影響があって、あたいにとってその子の言葉は、知らん人の言葉よりちょっと大事なのだ。

 また、彼女いわく「私はただのシスジェンダーの女でヘテロセクシャルで、ゲイで男のもっちーと何もかも違うけど、でも友達として共有できるものは多いと思ってる」とのことで、どうやら向こうもあたいに対して特別な親近感を持ってくれているようだったと分かった。あたいも同様の所感を持っているので「わかる〜」と返している。これってマブダチってことじゃんね?

 だから彼女はあたいのエッセイにもたびたび登場する。一作目の「ゲイ風俗のもちぎさん」から、最新作の「あたいと焦げない女たち」にも登場しているので、よかったら拙作たちを読んで「あぁこいつか〜」と驚いてみてほしい。フェミニスト友達というようなくくりで登場しているけれど、フェミニズムなんてただの標準装備なので、いわゆるフツーの飲み友達だ。

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ここはあなたの宿であり、別荘であり、療養地。 あたいが毎月4本以上の文章を温泉のようにドバドバと湧かせて、かけながす。 内容はさまざまな思…

今ならあたいの投げキッス付きよ👄