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他人といると楽な人間が考えてること。

 SNSやネットを見ていると、

「他人といると疲れる」
「ひとりの時間がないとしんどい」
「人付き合いが嫌だ」

 という感じで、ワイワイガヤガヤした空間が苦手で、今の人間関係に疲弊したり、他人との関わりに苦手意識を持っている人の意見がしょっちゅう見受けられる。まぁそういう人がネットに多いというより、これはネットでくらいしか気楽に吐けない類の愚痴なのだろう。本当は多くの人が大なり小なり感じていて、実は心の内に秘めている苦労なのだと思う。

(この手の愚痴をリアルで吐き出してしまうと、愚痴を聞いた相手に「じゃあ自分といるのもしんどいのかな? 無理させてるのかな?」と遠慮や軋轢を生んでしまうこともあるから。だからみんなネットで吐露するのだ)


 あたいはそれとは真逆で、人といるのが好きで、人と一緒にいた方が気力が回復するタイプのすけべだ。いやすけべかどうかは関係ないけど、そういう種類の人間だと自覚している。

 こうやって話すと「それって陽キャじゃん」といった具合に、ひとことの他人事で済ませられ、まるで人としての作りや性質が違うように受け取られる。けれど、あたいは自分で自分のことをみんなが想定するようないわゆる「陽キャ」だと感じてないし、むしろ人付き合いが苦手な人と感性自体は近しいと思っている。あたいはそういう意味では「人付き合いが大好きな淫キャ」だ。つまりすけべなのだ。

 だいたい「陽キャ」なるものは、みんなが期待するような生き物でも、別種の存在でもなんでもない。たとえば陽キャと言えば、人前であっても憚らずに意見や内心を言えて、誰かとつるむのが好きで、はしゃげる時にはしゃげて、すぐに他人と打ち解けられて、人の懐に入るのが得意で、でも表面的に関わるのも上手くて、そして笑顔がぎこちなくない24時間フルアクセルのイケイケドンドンな根明だと思われてるけれど、案外そうではないと思う。

 たとえば根が内向的なギャルもいるし、文化資本に触れてこなかっただけの素質があるヤンキーや、マメで繊細だから病みやすい水商売勤めも多い。パチンコからアニメを好きになった不良もいる。ホモソーシャルに辟易する地元暮らしのマイルドヤンキーだって可視化されてきた。そして一見「陽キャ」に見えなくても、とにかく人に気に入られる快活な読書家も、外向的なオタクもいる。というか当たり前だけれど陽キャだとかクラスカースト一軍だとされるような人間にも悩みや卑屈さや陰気や孤独はある。


 たぶん、みんなが「自分とは違う」と感じている陽キャも、この社会においては培う感性もみんなと肉薄していて、環境次第によってはこちら側にいたと思う。たとえばとある時点で友達作りにミスったとか、受験や学生生活などで不慮が重なってドロップアウトしたとか、家庭や職場の環境が劣悪になったとか、そういうので人付き合いに困難を覚えれば、誰だって同じような背中の丸め方をする。

 それに外から見て、人に囲まれて楽しそうにしていても、内心は無理していることもあるだろう。陽キャだって人だ。あんたらはすぐパリピやギャルに完全を期待するけど、パリピもギャルも一人の時は静かに過ごして、多かれ少なかれ世界や誰かを憎んだりもする。


 結局、陽キャなんてそんなにいない。本当の陽キャというものが存在するのなら、それはめちゃくちゃ大成していて、体力があって常に動き回っているから、あたいらと関わることはあまり無いと思う。

 普段、みんなが陽キャだと思って見ているのは「寂しさを人との関わりで埋めることのできる人」のことで、それはつまりみんなのことでもある。人付き合いが苦手でも関わりたいと思う人がいたり、好きな人や推しがいたり、関わりたい人に振り向いてもらえないことや同じ熱量で向き合えないことにモヤモヤを感じたり、読書や芸術やアニメや創作から心の穴を埋めることができて、それに没頭したいという欲求を持っている人間も、陽キャと素地自体は変わらない。

 誰もが自分なりの距離感で“人“という存在と関わって接していたいと願う人間であり、「陽キャ」もみんなもそこはあまり変わりがないのだ。いろんな矛盾や葛藤を抱えつつ、それでもそれぞれの方法で埋め合わせをしているだけの人間。勝ちも負けも、どっちが上か下かも無い。強いて言えば「他人と比べて自分の生き方は正しい」なんて無駄な競争心を持ってない方が価値はある。


 まぁここまで書いたように、人間とは大体みんな弱くて身を寄せ合って生きるもので、「誰かと共に生きたい」という欲求自体は共通しているんだろうけれど、全員でその目的を叶えるのはどうしても難易度が高く、簡単には叶わない。そこにエゴ(自分本位)が絶対に入っちゃうからだ。

 どうしても皆がどこかで自分を優先し、自分を愛する気持ちが勝るからこそ、他人との間にイザコザやすれ違いがあったり、我慢することが増えたり、そもそも負担だと感じたりするのだ。だから「人といることに億劫になる」のは必至で仕方のない。けれど「誰とも関わらないのもそれはそれで辛くて寂しい」と思っちゃったりする、欲張りさが生まれるのも仕方のないことだと思う。


 あたいはまるでそういう「人付き合い苦手タイプ」の人間の内心ーーひいては人という生き物を理解できるかのような口ぶりで書き綴ってきたけれど、結局これもあたいが見聞きした人間のひとつの性質でしかないし全てでは無いだろう。

 それに正直言ってこういった考えは、あたいも理解できるし共感できるけれど、根っこから共鳴することも無いと思ってる。

 あたいだって一人でいたい時はある。そして人間関係疲れもすることだってある。けれど、でもやっぱり胸を張って「人といると癒される」「人がいる空間で働きてぇ」「人間関係だいすき」と言えちゃう。臆面もなく人の輪にいたいと謳える。まぁ人に恵まれたからこういった甘いことが言えるのだけれど。

 それでもこれはあたいの強みでもある。むしろ自分の弱い一面を知っているからこそ、孤立したくないと弱音を吐ける強さがある。意味がわからんだろう。あたいも正直よくわかってない。だからあたいのような「人といると癒されるタイプ」の人間が何を考え、なぜ人といると楽しくなるのかを言語化していくので、読んでいって欲しい。あたいを理解してくれたら、あたいのような人間がちょっと分かって、その分、人間というカテゴリと理解の範囲に新しいスペースができると思うから。


①人といると脳みそは忙しいけど、空っぽになる

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ここはあなたの宿であり、別荘であり、療養地。 あたいが毎月4本以上の文章を温泉のようにドバドバと湧かせて、かけながす。 内容はさまざまな思…

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