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「役に立たないと存在しちゃダメ」 ←と思ってる時期がありましたわ。


 「パーソナリティ障害」というものがある。

パーソナリティ障害は一言で言えば、偏った考えや行動パターンのため、家庭生活や社会生活、職業生活に支障をきたした状態です。

岡田尊司 パーソナリティ障害がわかる本


 以前はこういう状態のことを「人格障害」という言い方で表されていた時期もあるようですわ。今は基本的にパーソナリティ障害と呼ぶらしい。確かにそう言い換えた方が鼻つまみ感は軽減されるような気もする。

 ちなみにこの障害は不治の病でもなんでもないようだけれど、だからといって「パーソナリティ(性格)が悪いと感じる人」のことを勝手に「パーソナリティ障害だ」と呼べるような安易なものではなく、「認知のあり方やそれを培った生育環境に生きづらさがある状態のこと」を指すちゃんとした言葉なので気をつけて使いたいと思う。

 詳しい定義は米国精神医学会のDSM-5(精神障害の診断と統計マニュアル)に書いてあるし、日本でもけっこー関連書籍が出てるから、興味あったら読んでみ〜。あたいも読むし。

 今回はそんなパーソナリティ障害と、あたいの話。





 最近の世の中には、風変わりな人間のことをすぐにサイコパスだと言ったり、足並みを揃えていない人を、他人が勝手に発達障害だとあげつらう風潮があると思いますわ。

 それも「変人」とか「個性的」とか「変わってる」ってニュアンスじゃなく、明確に「脳のつくりが普通とは違う人」という意味でその言葉は使われる。


 表現がマイルドになっただけで、それはかつての「きちがい」と呼ばれるものと根幹は変わらない。現代でもまだまだその言葉や、それに近しい表現(知的障害などに対する差別用語など)は往々にして使われているが、サイコパスも発達障害も同様の意味合いで用いられていることが多いように見える。結局あの手この手で差別用語は差別構造と共に温存されているのだろう。

 多様性や個性主義こそ尊重されつつあるというか、周知されてはきたけれど、「あえて普通じゃないことをする人」ではなく「普通のことができない人」への当たりというものは依然、強いのだ



 ちなみに「普通にできない」とは、いわゆる空気が読めない行動をしたり、世間が想定する決められた動きや反応を瞬時に出力できない状態のことで、要するに一定水準の状況把握力と規律性を持ってない場合を指す、とあたいは受け取っている。抽象的な言い方になるけれど、個性的とも言い換えられるような「違和感」を相手に持たせてしまう状態が「普通じゃない」ということで、その反応を意図せず引き起こすのが「普通にできない人」なのだと思う。

 もちろん環境次第によって求められるレベルは異なるけど、おおかたそういう定義で考えていいだろう。

 そういった「相手に違和感を持たせない能力」を持ち合わせていないと、まるで品質不良の製品がラインから手早く跳ね除けられるみたいに、反射的に「あ、この人はダメな人間だ」とカテゴライズされるのが世の常だ。世の中というのは厳しいのではなく、不自然や異物に対して反応しやすいように「普通という枠組み」が厳格に想定されてあるので、それに沿えない人間にとって手厳しい。

 一度そのような枠組みを外れると、人はある程度の苦労を要する。というか苦労する状況に追いやられる。

 具体的には落伍者のレッテルと、それに伴う孤立だ。そこから挽回するためには「でもそれを補う才能がある」というような、突出したものをアピールする必要性が発生する。つまり普通じゃなくても許される何かだ。

 もちろん多くの人間には、足りないとされる能力を補填するように都合よく才能があるわけじゃない。「普通じゃない人」は、その普通じゃないって指摘される箇所以外は、多くの普通の人と同様に良いところも悪いところもあるだけの「普通の人」なのだから。

 代わりに何かしらのギフト(才能)があるなんてことはごく一部の例に限る。



 だから本来は、少し空気が読めなかったり、世間から求められる能力が欠けていたとしても、その人自身の気質としてそれを慮って「特性」として認めたほうが「普通じゃないヤベェ奴」だという忌避感は低減できるだろうし、普通の基準を緩和するためにもそう考えるべきなんだろうと思う。「特性」というのは個性というより、それぞれの得手不得手のことだ。

 あるいは「普通」をこなせなくても、補助する仕組みや、配慮したアサイン(仕事の割り当て)があれば、その人に対する捉え方ももう少し変わるかもしれない。

 また、人付き合いやコミュニケーションにおいて、双方が困難を示すほどの「普通じゃない人」であっても、相互理解のために対話を重ねたり、意思伝達方法に工夫をすれば誤解や齟齬が無くなる場合もあるし、本人自身も「生まれ持っての能力」だけじゃなく「生育の過程で培ってしまった認知」を見出して治療していけば、ある程度改善できたりもする。

 とりあえず「あの人は生まれ持っての“そういう人“なんだろう」と推し量って、すぐに集団外の別世界に放り出してしまうことが、変な奴をそのまま排除して、孤立させ、より一層生きづらさを深める原因になってるんだろう。あたいも変な奴側だからちょっとわかる。

 思うにこういった排外には、他人との間に性急なランクづけをしたがる忍耐のなさ(この人は自分より上なの? 下なの? とすぐに決めたがる等)と、属性が異なる他人への不理解と非共感、そして自分より目下だと感じたものへの見放しと不寛容が根底にあるのだろうと感じる。

 これらはそう感じる人間の心が狭いということではない。社会と集団の中で生きていれば誰だってつい持ってしまう思惑と感覚だ。きっとどの時代の人類も、素朴に感じてしまう根源の感情なのだと思う。

 もちろんこれを書くあたいにだって自覚はある。あたい達はきっと不安の中でじっとしていられない弱さから、他人をきっちりカテゴライズして仕分ける強かさを持つことにしたのだろう。

 なので今の前進したように思える社会においても、“あからさまな弱み“がある人間は、それを“強み”に変換する環境作りと努力を求められるか、あるいはそれができずにそのまま「普通になれなかった人が悪い」「そうなるべくして生まれた方が悪い」「仕方がない。諦めろ」という自己責任論に集約されていくようにも見える。

 そこには、そこはかとない優生思想が眠っているだろう。なのでこれを素朴な感情だとか、自然現象の一部だとか、本能的な感覚というように片付けてしまうと、年々「普通のハードル」が上がり、いつか自分さえも普通に沿えずに切り捨てられるようになるし、現在は社会的に弱者に追いやられている他人を蹂躙する後ろ盾にもなってしまう。

 実際のところ「普通じゃない状態」には複雑な要因があり、さまざまなグラデーションが存在する。生まれ持ってのものだけじゃなく、生育の過程や発達の最中で得た認識、家庭内で培った思考、愛情やストレスという外的要因、そういうもので人のパーソナリティは変わる。

 つまりそういう気質は固定されたものでもないのだと思う。そういう人間が生まれ持った状態でいるのではなく、環境と遺伝や要因やトラウマなどによって誰だって起こりうるような、境を接する「状態」だとあたいは捉えている。

(だからと言って「結論みんなやばいよね(笑)」「みんな普通じゃないよね」「普通なんて存在しないよね」みたいな雑なまとめには持っていかないけど。だって世の中には確実に規範が存在するのだから)


 あたい自身も、パーソナリティ障害にあるような状態や、極端な認知で自分を追い込んだ時期があり、それはうつ病の治療中や寛解後にも続いていた。

 しかしその時はべつに病院で「あなたはパーソナリティ障害ですね」と診断されたわけでもないし、パーソナリティ障害の概念は知っていてもそれは心理テストや性格診断のように、誰だって当てはまるものだと捉えていたので、特に気にはしていなかった。



 あるとき、本を読めるほど回復してから、パーソナリティ障害についての書籍を読み漁っていたとき、その症例の一つにあたい自身の母ちゃんに当てはまるものを見つけた。

 エッセイにも何度も描写してきたことなので詳しくは書かずに省くけれど、母ちゃんの不安症状や衝動的な感情、対人間関係の困難や、支配による依存性は、まごうことなきこの障害の諸症状そのもので、これは彼女の生育に原因があるように思われた。

 母ちゃんは過保護で育ったのちに、若くして妊娠し、駆け落ちして親元から離れたことで勘当され、挙げ句に夫を自殺で亡くし、孤立とともに困窮することによって蓄積された鬱憤や鬱屈や不安を抱えていた。毒親と一言で済ますこともできるけれど、きっとあれは生まれ持ってスイッチボタンがあった人間なのではなく、それが推せる状態にへと年々変容していった、「結果としてのパーソナリティ」だったのだろう。


 それと同時に、あたいは自分自身の中にもパーソナリティで困難を抱える事例がハッキリ自覚できた。あの母親の元で育ったのだ。あたいにはあたいの認知があり、あたいはそれが自分をどこかで苦しめている原因だと理解した。


 次はそれについて深掘りする。



 あたいには昔からの癖がある。

 それは「複数人で話をしている時に、会話にあぶれた人間を作らないようにする」という癖だ。

 たとえばその場にいる誰かにとって知らない人の名前や、特定の人間しかわからない固有名詞が出たときに、それを簡潔に説明するのは自分の役目だと感じてしまうので、自ずから説明役を買って出てしまうのだ。

 ましてや話し手が説明する素振りも見せずにその内容の話を続けているのなら、話の流れをぶった斬らないようにしながら、上手く会話中で紹介を挟むようにしている。わりと頭も気も使う。

 また、トイレに行ったり電話に出るなど場を離れていた人に対して、スムーズに会話に入られるように「今こういう話してたんだけどさ〜」「さっきからこんな話してるけどさー」といった具合で自然な風を装って流れを説明することもある。というかなるべくそうするようにしている。

 あとは、誰かが話している最中に他の人が会話をぶった斬って質問したり、会話泥棒するように横入りされることで話が逸れてしまった時は「で、さっき言ってた〇〇ってなんなの?」というように、相手が話したかったであろう本筋に話を戻し、その人のフラストレーションを解消しようと努めてしまう。

 これらは全部、もしかすると「細やかな配慮」や「気が利く振る舞い」だと考えることもできるかもしれない。けれどあたい的にはそんな風に思えず、どちらかと言うと「会話を仕切りたがり」「まとめ役アピール」と受け取られることの方が多いだろうと思うし、自分でも「出しゃばってしまったな」と嫌気が差すことが多い。


 本当はあたいだって黙って、のほほんと話を聞いていたい。だいたい、複数人で会話をする以上、全員がついてこれない話題だってあるだろうし、全員ではなく誰かに焦点が当たるのは当然あることだ。

 それにわからない話題が出たなら、それを質問するのは本人の選択と務めだし、誰かがわからないであろうことを説明もせずに、そのまま内輪の話題に持っていく話し手こそ、気遣いが足りないのだと思う。

 
 そうは思うものの、あたいも忍耐ができないので、誰かが会話からあぶれて「自分にはわからない話題が出てつまらない」「会話に入れずに居た堪れない」「会話を奪われて腹立たしい」という表情をした時に、そのストレスを抱えた人間を無視してしまうと、今度はあたい自身のストレスに耐えられなくなってしまうのだ。

 なので結局あたいは、いつも複数人の会話で「まわし役」というか、誰かと誰かの会話を繋げる役目を担おうとしてしまう。ちなみにだからと言って司会力に長けているかというとそうでもないので、失敗してしまうことは多々ある。たとえば誰かと誰かの会話を繋ぐための質問が的外れだったりして、他でもないあたい自身が会話をぶった斬る原因になってしまったりするのだ。とほほ。



 こういったあたいの癖は、おそらく小学生ぐらいの頃からあったと思う。

 なぜか担任から学級委員になるよう促されたり、小学校教師陣からやけにウケが良く(自分で言っててキモいな)、「望月に任せたら安心」とかなんとか褒めそやされながら厄介ごとを任されたりするのは、衝動的で自己本位な会話をする子どもたちの間であたいが話の中継点になったり、過熱した口論の中でピエロ役を買って出て、ケンカを収めたりしてたからだと思う。

 これは武勇伝でも早熟の自慢でもなく、ただ単にそういう気質のガキだったってだけだ。

 こういった傾向は、うつ病を治療しながらゲイバーで働いていた二十代前半まで自分の中にあった。

 おそらく、母ちゃんとの関わりの中で学習した処世に起因するのだと思う。



 あたいが子どもの時分、父ちゃんが自殺して、母ちゃんが荒れまくってた頃。

 母ちゃんは姉ちゃんに対して、高校を中退して働くことをせがんだりもしていたが、なんとか生活保護を利用できることになり、本当は良くないが姉ちゃんはこっそりバイトをしながらで高校卒業までの一年間を最後まで通えることになった。

 しかし、そんな若くして稼ぎ頭になってしまった姉ちゃんに、母ちゃんは依存し、束縛し、やれ「髪を短く切るな」「男作るな」とか口うるさく言っていたのを覚えている。どうしてあんなにも口出ししてたのだろう。おかげで姉ちゃんと母ちゃんが泣き叫んでケンカするのを何度も見た。暮らしていた団地には自分の部屋も無く、襖一枚じゃ耳も塞げない。逃げ場はない。

 だからあたいは自分がピエロになって、同じ部屋でわざとうんこ漏らしたりしたこともあるし(書いてても意味わかんねぇな)、二人がケンカしそうな空気になるとあえて別の話題を振って中座するまで場を持たせたり、そもそも姉ちゃんと母ちゃんが仲良くいられるように話を自然に均等に振ったり、会話を取り持ったりすることをやるようになった。あたいは常におどけた少年だったけれど、いつも真剣だった。


 そうだ、これは生存戦略だったのだ。幼いあたいにとって、家族同士の不破を防ぐ潤滑油になることーーそれができないと強烈なストレスと不安にさらされる。死活問題だった。

 だからあたいはそれを癖として取得し、いつも他人の顔色を伺い、いちいち感じる必要のないストレスに晒されるようになったのだ。

 つまり、認知のあり方を誤学習していた。

 他人同士の不穏や、そこにすでにある軋轢や、集団の中に当たり前にある不和、そして自分がそこに属する際の居心地の悪さすべてーーあたいには自尊心を欠く不安要素だった。

 他人にいさかいが起きようと、本当に悪いのは自分じゃない。あるいは自分が原因の一つにあっても、自分だけが悪いわけじゃない。でもあたいは言い逃れできない罪悪感を持って、常に目を見張らせていた。

 そして裏を返せば、自分さえ頑張れば他人をどうにかできるものだと思っていたのだ。機嫌取りに失敗すれば自分のせい、成功すれば自分の仕事だから当たり前。そういう報われない思考に陥っていた。

 他人の感情なんて、そのほとんどが別の他人によってどうにかできるものでもないのに。




 思うに、この認知のあり方は、決してあたいが他人のためを思って善意からやっているのではなく、自分のために利己的にやっていたから引き起こされたものだった。


 あたいは他人の怒りや不満について自分が解決することで、相手に自分の存在価値を認めさせ、その人にとって「必要で価値のある存在」だと思われたかったのだろう。

 だから要求されてもいないのに会話を繋ぐための中間点として出しゃばり、相手のストレスをどうにかしてあげたいと焦燥感を抱えていたのだろうし、それができないでいると途端に自分が無力で無価値に感じてしまったのだろうと思う。

 あたいは「役に立たないと存在できない」と考え、役に立ったと思われる立ち振る舞いができた時にようやく「存在していい」と思えるような認知を養ってしまっていたのだ。


 そう思うと、あたいは、現在は母ちゃんに対して苦手意識をはっきり明言し、「親子であっても別々に生きた方がいい」と伝えることで決別できたものの、幼少期に抱えた母ちゃんとの原体験ーーつまり「母ちゃんの役に立って好かれたい」という愛着と枯渇を、「他人のストレスは自分のもの」という形の行動原理として変容させて、ずっと抱えたまんまだったんだなと思う。

 笑えるけど、子どもの頃のあたいは、あの人に愛されたかったのだ。

 「いやあんな人に愛を求めてもきっと持ち合わせちゃいない。だからそもそもどう足掻いても愛されなかっただろう。だったらいいじゃないか。むしろ愛されなくてもよかったじゃないか。だってあの人の愛情なんてなくても自立できたのだから」

 ーーだなんて意地を張ると良くない。認めよう。

 きっとあたいはあの人に愛されたかった。あの人はいい親ではなかったけど、それでもガキの頃のあたいには良くも悪くも絶対的な母親だった。


 でも今は違う。
 あたいの行動原理の原初は分かった。
 でももうあたいは決してあの人に愛されようと思わない。
 
 
 だから原初の認知も捨て去るべきだ。


 あたいの愛の認知ーー「役に立たないと愛されない」

 でも愛って、相手のために役立って、ケツを拭く紙になることでようやく受け取れるものじゃねぇよな。

 あたいはそんな風に存在しようと躍起にならなくてもいい。
 すでにもう存在してるし。

 もしも、もしも仮に人のために役立ちたいと思ったのなら、それは「自分が愛されるため」じゃなくて、そういう行動をしたいほど「相手を愛してるから」ーーそして「そんな自分を愛している」からやればいいのだ。


 そのように考えられるようになってからは、すこぶる体が軽いですわ。何も特別なことはしていない。ただ一歩だけ考え方が横に逸れただけだ。もちろん大きく何かが進化したり成長したわけじゃない。たった一歩。でもその一歩が、あたいのパーソナリティを守ったと思う。

 この苦しみは、生まれ持っての宿痾(治らない病)でもなんでもない、認知の変更というたった一歩の差だったんですわ。

 もちろん人の可変性には限界があり、生まれ持っての感じ方や能力は変えられないこともある。だけど変わる部分があるのは確実だ。その変化こそが人を「普通」たらしめることもあれば、ボタンのかけ違いのように「普通」から遠ざける要因にもなりうる。

 でも結局、そういう可変性を見積もって自分や他人に接することができる人間こそが、普通に自分も他人にも障害を設けずに希望を持てるんじゃねぇかなと、思ったりもする。そんな令和5年、3月の寒の戻りの夕暮れの記事でした。


おわり

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ここはあなたの宿であり、別荘であり、療養地。 あたいが毎月4本以上の文章を温泉のようにドバドバと湧かせて、かけながす。 内容はさまざまな思…

今ならあたいの投げキッス付きよ👄