財政政策の指針 ―公共的側面と総需要的側面―
読者からの質問で、「では、望ましい財政政策とは一体何なのか」というものがありました。
そこで、「財政政策は、どのような観点、哲学で決定されていくべきなのか」ということについて、簡潔に述べていきたいと思います。
①財政政策の公共的側面
②財政政策の総需要的側面
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①財政政策の公共的側面
財政政策という言葉自体は、単に政府による支出と租税ということを指すに過ぎず、内容については何ら示唆しません。
しかし、何に対してどのように支出するか、誰に対してどのように租税を課すか、ということはもちろん経済政策上重要な側面です。
これを財政政策の公共的側面と呼びましょう。
財政政策の公共的側面の理想像は、実は経済観によって大きく変わってきます。ここでは、あくまで私が勉強した経済観(オーソドックスな公共経済学)に基づいて支出、ないし租税を考えていきます。
政府ないし政府支出が担うべきものは基本的にどんなものになるでしょうか?
もし私企業が健全に運営して十分に営利が得られる事業であるなら、政府は基本的に介入すべきではありません。具体的に言えば、商品生産を無差別に国家化していくのは望ましくない、ということです。
逆に、国民に必要なことが明らかであるにも関わらず、採算の問題で私企業が運営できない事業や、もし私企業が自己利益を追求したら過大な料金が発生して社会的に過小供給になってしまう事業については、政府が担うべきです。
政府が担うべき、ないし介入すべき事業の例としては、医療が挙げられます。
ある人に対する医療は、その人や家族だけではなく、その人や家族が働いている会社等の共同体にとっても広範に利益になります。
例えば、労働者の健康が増進すれば、直接的にその労働者が働いている会社およびその周辺企業の利益になるでしょう。
また、被扶養者(子供や高齢者など)の健康が増進する場合も、扶養者である労働者の負担が減少し、社会的利益になります。
子供の場合、彼らのより健康的な成長が周辺の経済的利益にも繋がることは言うまでもないでしょう。
問題は、彼らの健康は経済に良い波及効果を持つのに、その費用を彼らだけが負担してしまう場合です。
彼らが医療支出を追加することによる限界的な(=追加的な)社会的利益が大きいとしても、彼らは自分たちが受ける利益の分しか負担することができません。(支払いの原資は各自の利益に依存するからです)
こうした場合、社会的最適水準に比して、実際の医療消費水準は過少になることになります。
このケースでは、社会的国民的保険制度を整備し、医療支出の一部ないし大部分を社会的に負担することで、医療の水準を(社会的利益上)最大にすることが志向されます。
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