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子育てにおいて、親にしてほしいたったひとつのこと

前回まで、aibaseについての解説をかなりの熱量でしてきました。ですから、aibaseはどちらかというと「子育て」に職業としてむきあう人むけの内容になっています。
今回は、子育てをするうえで親に忘れないでほしいことはたったひとつである、ということについて書いてみました。


「この子と親子でしあわせ」、それだけ。

重なる親子の手


さて、これまで数回にわたってaibase保育について解説してきました。
aibaseは、人間の育ちにかかわる仕事をする者として、子どもにむきあうにあたって大切にしている心がまえです。書きながら、あらためて人の育ちの神秘と大人のかかわりのつみかさねの重要性を痛感しました。

子どもたちは一人ひとり、持って生まれた性質も環境も背景もちがいます。
必要としているかかわりも、だれひとりとして同じではありません。
ゆえに、保育のまなびに終わりはなく、個人的にはとてもやりがいのある仕事だと感じています。

「保育」とはなにか、という根本的な問いにむきあうたびに、その深遠さに己の未熟さを目の当たりにした思いになります。

aibaseをあらためてひとつの文章としていくのは、自分のなかの「保育観」ともう一度むきあう作業でした。書き進めるうちに目の前にまだまだ存在する課題に気づき、熱が入りました。
そして、believe&waitあたりから思いました。

「この文章、重すぎる」と。

これ普通に子育てしてる方々からしたら、熱量すごすぎてしんどく感じられるだろうな…。
この熱量で育児をしないといけないように思われて、プレッシャーになったら大変だ…。

育児をするうえで知っておいた方がいいことなんて、無限にあります。
保育に終わりがないのだがら、育児にだって終わりはありません。
言いだしたらきりがないのです。

だから、親に忘れないでいてもらえたらなと思うことは、いつもたったひとつ。
子どものことが愛おしくて、この子と親子でしあわせ!
そう思える状態でいるようにしてください。
それだけなのです。


仕事だから、毎日全力で子どもとむきあえる


aibaseの考え方は、職業でなくごく普通に子育てをしている方にも知っておいていただいて損はないと思います。ですが、毎日24時間この姿勢で子どもにむきあおうとすると、そんなきれいごと、やってられるか!ということも多々出てくると思います。

わたしたち大人だって完璧ではないし、ましてや聖人君子でもありません。
腹が立つこともあれば、どうしたって頑張れないときもある。
さぼりたいときだって、自分のことで精一杯なときだってあってしかるべきです。
親って、子どもとむきあうことによって自らも一緒に成長していくもの。
よく言われることですが、子どもが1歳なら親だって親1歳なわけです。

一方で、われわれ保育にたずさわる人間は、仕事だからこそ、ここまで突き詰められると思うのです。
仕事には、否が応でもそこにひとつの明確な線引きがうまれます。
「わたし」というひとりの人間のプライベートな人生と、一人ひとりの子どもに全力でむきあう時間とのあいだに、適度な距離をたもつことができるのです。1日のうちの数時間という時間の区切りがあり、適切な距離がとれる。
だからこそ、毎日100%の力で子どもにむきあえるのです。


あれもこれもひとりで頑張らないといけない現代の親


でも親となると365日、24時間、やすみはありません。
寝ても覚めてもずっと親。

親だって、親である前にひとりの人間としての人生や価値観、アイデンティティがもちろんあります。しかし、情報や選択肢のすくない昔ならいざしらず、現代ではひとりの人間である「わたし」と「親」であることのバランスが取りにくいだろうなと感じています。昔とちがって自分の親や親族、コミュニティが子育てをがっつりと手伝ってくれるという状況でもありません。

ひとりの「わたし」と「親」であることのあいだに存在する葛藤やモヤモヤとむきあって、それを解消したり自分なりに納得したりする時間も与えられない。
携帯を見れば、そこには充実した(ように見える)だれかの人生が、ほかにあったかもしれない選択肢として流れ続ける。そして巷にはキラキラママや完璧(そうに思える)な子育て情報が溢れかえっている。

そんななかで、あれもこれもひとりで頑張り続けないといけないのが現代の子育ての問題点のひとつだと思います。


余裕がないと、ありのままを受けいれるのは難しい

マイセルフ


このジレンマや苦しみや余裕のなさは、とてもつもなく人を追いつめます。
ときには病さえ引き起こすほどに。それに追いつめられると、大切なものでさえ、なんだか可愛く思えないものです。

そうなってしまうと、子育てにも前向きにむきあうどころではありません。あれもした方がいい、これもした方がいいなんて、言う方が残酷です。

aibaseを解説してきたなかで、一貫して大切だと言い続けたことは、ありのままを受けいれることや待つことです。

ですがそれらは、実は親自身が自分自身を肯定していないと、そして余裕をもっていないと難しいことなのです。


みんな、良い親子でいたくてもがいている


保育園を利用する方々の記事で、よく「仕事がお休みでも子どもをあずけていいの?」とか「体調が悪いけど保育園に連れて行っていいの?」といったものを目にします。
もちろん正論だけで言ってしまうと、仕事が休みなら子どもはお家で、
体調が悪いなら家でゆっくり、となってしまいます。(もちろんその背景に色んな状況があるので一概には言えません。)

ですがそういったことが繰り返し話題になるのは、やはりそこに現代の親の苦しさが大きく反映されているのだと思うのです。

休みだけどあずけていいですか?
熱があったけどあずけていいですか?

そう伝えてくる親からこそ、「いい親でいてあげたい」というプレッシャーと、自分のバランスをなんとか取り戻したいという人としての欲求のせめぎあい、そしてその苦しさを痛いほど感じるのです。

みんなただただ、
良い親子でいたくて、
良い親でいてあげたくて、
子どものことを愛おしく思いたくて、もがいている。
そう感じます。


親子でいることを支える、それが保育園の仕事

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親のしんどさを、子どもは敏感に感じとります。
言葉がじゅうぶんに話せないぶん、空気や雰囲気、人の感情を理屈でなく敏感に感じとれるのだと思います。

だからこそ、子どもが安心していられるように、親がリラックスしていられる社会であればいいなと思います。

子どもの成長にとって何にも代えがたい環境は、親の心が安定していること、そうしてその親にありのままの自分を受けいれてもらえることです。

だから、親にしてほしいことはただひとつ。

この子と親子でよかった、この子がいて幸せ、この子のことが愛おしいと、
そう思える状態でいてほしいということです。だれと比べるでもなく、何の期待を押し付けるでもなく、無条件にその子を愛せるように。

親子でいることを楽しむこと。
その子の親でいる自分にOKをだすこと。

そのために、利用できるいろんな支援を利用してください。

そのお手伝いのために保育園はあると思いますし、またそれぞれの保育園がそれぞれの工夫で保育の質を上げて頑張るのだとわたしは思うのです。

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