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欲望と快楽でカルトを読み解いて信者を理解する

カルト、陰謀論、神真都ヤマトQ。なぜカルトにひかれるのか、カルトはやめられるのか。この問題を本質から考えます。

著者:ケイヒロ
コーディネート:ハラオカヒサ

なぜ人はカルトにはまるのか

「カルトにはまるのは特殊な人である」と、私たちは思いがちだ。だから、私たちと彼らの違いをもとにカルトとは何かを考えるし、私たちと違う人としてカルト信者を批判する。

カルトや陰謀論にはまるのは、もともと禄な連中じゃない。いままで普通に見えていたなら、それは平和な時代だったからだ。コロナ禍で世の中がひっくり返ったら化けの皮が剥がれた。ああいう連中はどうしたものか──と日本だけでなく世界中で愚痴がきかれたことだろう。

たしかに取材をしてみると、陰謀論やカルト集団にはまる人には相応の理由があり、理由は何パターンかに分類できるうえに、程度の差こそあれ特殊な人々であるのはまちがいない。

その特殊さは、生まれついてものや成長過程で形成されたものであったり、たまたま陰謀論やカルトにはまる直前に何らかの理由で何らかの傾向を帯びたものだったりする。後者では失恋や失業がきっかけになってカルトにはまった例がある。

考える能力、考え方の傾向、心がうけた傷や衝撃がカルトにはまる原因であるのがわかると、なぜカルトをやめられないのか考察せざるを得なくなる。筆者の場合は、カルトを抜けた人からの報告やカルト信者の家族から話を聞く機会が多いため、「なぜやめられた」「なぜやめられないのか」「どうしたらやめられるのか」が重要なテーマになっている。

「なぜやめられないのか」を突き詰めると、欲望と快楽というすべての人に普遍的に存在する心理や生理に行き着く。なぜカルトをやめられないのか、それはカルトによって快楽が得られるからである。

ここでもう一度、「カルトにはまる」とは何事か考えてみたい。

おかしな考えに取り憑かれやすい人がいるのは間違いない。取り憑かれやすい状態になっている人もいる。そして、カルトにはまる状態、つまりパズルのピースがぴたりと結合するとき快楽が発生している。これは「どうしてやめられないか」の答えでもある。

誰であっても抗いがたい欲望と快楽がある。

タバコを吸う人と酒を飲む人は、タバコまたは酒によって得られる快楽があるから、これら嗜好品を嗜むのである。タバコのニコチンは中枢神経系のうちドパミンを介する脳内報酬系に作用する。アルコールは大脳皮質を強く麻痺させ理性を働きにくくする。

こうした生理的な快楽だけでなく、タバコや酒を嗜む時間や場に対する心理的な快楽もあるだろう。タバコには緊張から解放される一服の経験が、酒には誰といつどうやって飲んだか美しく楽しい忘れがたい思い出が伴っているかもしれない。

これが「タバコや酒にはまること」だとすると、「カルトにはまる」とは何か理解するのが容易になるのではないか。

(筆者執筆の反ワクチンと陰謀論の構造をまとめた記事。当事者へのインタビューと取材によって惑わされる人の心理と背景を明らかにした。)


カルトで快楽が発生する瞬間

・事例1

記事『彼女が慈善事業から、コロナは茶番、ノーマスクピクニックに変わるまで』で紹介した例では孤立、孤独、コロナ禍による失業、不安が陰謀論に取り憑かれやすい人をつくり出していた。


この記事では、陰謀論に接する前の慈善事業に興味がある女性のツイートと、彼女が陰謀論に触れ豹変する瞬間のツイートを引用した。読めば一目瞭然だが、追い詰められ不安になった理由を陰謀論に見出している。

コロナ禍の到来は不条理で理不尽だった。そのコロナ禍の煽りをくらい彼女は解雇された。生活費の余裕はなく不安に満ちた日々に突入する。

そんなとき彼女は陰謀論に出会う。「新型コロナ肺炎なんて存在しない」という陰謀論に触れ、どうやって活路を見出したらよいか彼女は理解した。

このときの豹変はドパミン放出の瞬間を物語っている。

彼女は陰謀論仲間を次々得て、半年経たずして東京でノーマスクピクニックの主催者にまでなった。1日数ツイートするのがやっとだった女性が無数のフォロワーを抱える陰謀論者でカルト的集団のリーダーになると、発言の力強さと行動力が別人のようになった。

存在しないパンデミックを押し付ける権力と闘い、多くの賛同者に慕われる彼女は使命感に燃える興奮状態にあった。

そんなとき上掲の記事が公開され、この記事の公開を伝えたハラオカのツイートに彼女は「いいね」をつけ、ノーマスクピクニック以前の記事をすべて削除し、1ヶ月半後に引退を伝え、2ヶ月後にアカウントを消した。

彼女が筆者の記事に何を思ったかわからないが、いわゆる冷や水を浴びせかけられた状態になったのは見てとれた。記事は以前の自分と、自分の変化を客観視するきっかけになったのだろう。

アカウントを消したあと彼女が復活した様子はない。


・事例2

記事『終わらせたくない彼ら/反ワクチン陰謀論と6時間』で紹介した例では、長年交際を続けた女性との別れがきっかけになって陰謀論に接近し、街宣活動や陰謀論仲間との付き合いに没頭している。


彼はコロナ禍で仕事が不安定になり先行きに不安を感じたと言うが、経緯を知る人物によれば状況はさほど深刻ではなかったらしい。とはいえ当人にとって心配のタネだった可能性を否定できないものの、証言を整理すると恋人との別離が生活を根本から変えてしまい、精神状態への影響が大きかったのがわかる。

何をしたらよいかわからず、時間が長くて、考えがまとまらず、ぼうっとしているようで、ぼうっとできない日々を持て余していた彼が、陰謀論と出会いいきいきするのだ。

そして、陰謀論を否定されると以前の人柄から考えられないほど凶暴化している。

記事の後半に、昼飲みや路上飲みする仲間がどのような者たちか書いたが、それは彼を知る者としてあまりに意外で衝撃的ですらあった。おしゃれな世界観に興味があった30代男性が、昼間から街中で車座になって酒を飲むというだけで驚きだったが、ツーブロックにスーツ、有閑マダム風の初老の女性、汚れた髪と汚れたTシャツといった人々が“仲間”であることの意味を頭が理解するまで数秒かかった。

彼は恋人との別離で失った時間や居場所、さらに自尊心にともなう自己肯定感を、陰謀論と“仲間”に見出したのだろう。デモ、昼飲み、路上飲みで仲間に囲まれて一体感を覚える快楽が彼を捉えて離さないのだ。


・事例3

記事『組織と人 【神真都Q】の暴走を幹部さえ止められなくなる日』だけでなく、高齢者と陰謀論との関わりを証言してくれる女性は、父親の変化を逐次こと細かく教えてくれた。


昨年(2021年)の夏から彼女の父親は変わりはじめた。YouTubeで陰謀論に触れた父親は「若い人のなかに偉い人がいるもんだ」と盛んに感心し、SNSなどに貼られた反ワクチンデモを紹介する動画や画像のなかでいままで見たことがないくらいの満面の笑みを浮かべていたのだった。

「一体感でしょう。デモに参加してチヤホヤされたり、若い人と会話できるのが楽しくてしかたないらしいのが顔のニヤケ具合からわかります」

それまでは彼女が父親にスニーカーの買い替えを提案したり、似合いそうな靴を選んでやっていたのが、いつの間にか自分でショッピングセンターに出かけて新しい靴だけでなく外出用の服を整えていた。

ぱっとしない趣味だった父親が、明るい色や華やかな色を選んでいて、まちがいなく若やいでいた。生活に張りが出て元気になるのは喜ばしいが、陰謀論に染まって深入りされるのは困る。彼女はどうしたらよいか悩んだ。

「もう誰も父を止められません。嬉しそうにデモに行っていた頃とも別人になってしまいました。正義の味方ごっこだったのが、ほんとうに正義の味方になったと信じ込んでしまっているんです」

「やめてほしいと家族が言えたのは(2022年)1月頃までで、飲みかけの缶ビールをぶつけられてからもう何も言えなくなりました。私のことを悪の手先だと思っているんだと思います。おまえが二度とこれないように玄関の鍵を替えると言われました」

若い人たちに囲まれるだけでなく、役割を与えられた気がして、活動するたび自分本来の能力を評価されている感じがする。新しい情報が伝えられ、あたらしい課題が与えられ、あたらしい敵と闘う。まるで現役時代の働いていた日々が蘇る感覚なのだろう。

女性の例では子育てが終わって役割を失ったと感じたり、若さをなくしたと実感する決定的体験から、何者にもなれないまま終わる焦りがはじまって活路をカルトに見出した例があった。

「オセロで白と黒がいっぺんにひっくり返るときみたいに父が変わりました。真っ白だったのがぱあーっと真っ黒になりました。どんだけ刺激が強烈なんだ、と思いました」



欲望を吸い寄せて居場所を与えるカルト

『事例1』で陰謀論にはまったのは、募金やヘアドネーションをしても評価されず仕事を失って孤立していた女性だった。『事例2』では、これまで築き上げた暮らしと自分自身を失恋で否定されたと思うようになった男性だった。『事例3』では、社会とのつながりが薄れるだけでなく期待されることがなくなった高齢男性だった。

このほか、次の記事で紹介した“専門性が高い分野をいくらやさしく説明されても理解できない人たち”が、知的エリートへの劣等感をつのらせカルトや陰謀論を頼るようになる例がかなりあった。


「オミ(尾身茂氏)が生意気に指図しやがった」「専門家は論文を出せと言って誤魔化そうとしている」などと反発する人々は、新型コロナ肺炎にかぎらず他の専門性が高い分野も理解できないまま生きてきたのだろう。

科学技術が高度化したり社会が複雑になると、“理解できない人”にとって身の回りが納得できないものごとばかりになる。さまざまなものごとが納得できないのだから、あらゆるできごとで指図されたり強要されたり騙されていると思い込み、“理解できた大多数の人たち”からバカにされていると感じても不思議ではない。

事例1から3のような人と“理解できない人”にとって、社会は自己肯定感や承認欲求が満たされないとても居心地の悪い場所で、これを救うのがカルトだ。

奇妙な説に取り憑かれて陰謀論者やカルトの構成員になるというより、自己肯定感や承認欲求の充足を求める心理が陰謀論やカルトを利用しているとするほうが実情にあっている。

まず一人ひとりの欲望があり、これをカルトが吸い寄せる。

屈折した欲望をカルトは否定しないどころか大々的に肯定する。カルト集団では共感、使命感、達成感を通して自己肯定感や承認欲求が満たされる。彼らにとってこれまで得られなかった快楽を得られるカルトは、自分にとっていちばんふさわしい場所になるのだ。


カルトをやめられない理由

「奇妙な説に取り憑かれたからではなく、欲望のためカルトを利用しようとする」行動は、アルコール中毒に陥る道筋と似ている。

酒がおいしいから飲むのではなく、酔いを求める事情や心理があって、現実を忘れるため酔いを利用する人がいる。やがて酔いで得られる快楽を手放せなくなる。ここに至ると、酒を飲むこと以外どうでもよくなる。

手段だった酒が目的になった状態がアルコール中毒だ。カルトに参加するのも欲望を充足させるための手段だが、やがてカルトそのものが人生の目的になる。

アルコール中毒に陥った人は、酒で得た快楽を忘れられないため治療は困難を極める。それは肉体と心理が快楽を忘れられないだけでなく、中毒によって生活が荒れてますます現実逃避したくなるのも影響する。

カルトの快楽は孤独、経済的不安、失恋、老い、劣等感といったものをひっくり返し、あまりに鮮烈で強烈な刺激があるため手放したくなくて当然だ。

カルトの教義や陰謀論のおかしさが理解できないからカルトをやめられないだけでなく、おかしいのを察しても快楽を失いたくないため不問に付したり、わかっていてもやめられなくなる。

もし生活の一部または全てに影響する変化によって取り返しがつかない状態になったなら、現実逃避のためカルトに固執するようになるだろう。極端な例だが、全財産を投げ打ち親族ともトラブルを起こして出家したオウム真理教信者は文字通り帰るすべと場所を失った。

「やめさせるにはどうしたらよいですか?」

カルトや陰謀論にはまりこんだ家族をどうにかしようと質問する人に、筆者はアルコール中毒との類似性を説明したうえで、その人にとってきっかけになった欲望を洗い出してみることを勧めている。

『事例1』なら無理解や孤立、『事例2』なら失恋、『事例3』なら老いが原因だが、これらを経験した人がすべてカルト信者になっているわけではない。その人はカルトでどのような快楽を得ているのか。自己肯定感や承認欲求は何によって満たされているのか。いままでの満たされない生活の原因はどこにあるのか。これらを検証するのだ。

カルトの教義や陰謀論に操縦されるがままになっているのではなく、これらを利用して快楽を得ているとわかると対策が立てやすくなるはずだ。


カルトをやめられた理由

カルトや陰謀論を捨てられない人が大多数だが離脱できた人もいる。

離脱できた人たちの証言と、離脱の手助けをした経験をもとに書いたのが以下の記事だ。これらは机上の空論ではなく、実際に起こったことを元にしている。


では、離脱できた人はなぜカルトや陰謀論を捨てることができたのだろう。

離脱のきっかけは、
1.深入りしていなかったり、わりきった態度で利用することだけ考えていたのでどうでもよくなった。
2.反省を促す強烈なできごとが発生した。内部で対立やいじめが発生して嫌気や反発、危機感が強くなった。
3.正反対の内容ながら、自己肯定できる新たな主張に惹かれた。
上記3パターンだった。

3は単独のできごとだけでなく、1から3へ、2から3へ遷移した結果でもあった。反ワクチン派だった人が陰謀論を捨てたあと、反ワク撲滅を掲げる傾向があるのもこれで説明できる。

カルトや陰謀論を捨てるとは、快楽を得られる場所を変えるということだったのだ。しばしば「元の状態に戻す」と表現されるが、元いた場所に居心地の悪さを感じていたのが彼らであり、強烈な快楽を経験してしまっているのだから、元通りになんてなりたくないのだ。

カルトを離脱させる特効薬や決定打はないが、別の自己実現の方法を考えてやる必要があることを理解しておきたい。

では、陰謀論を信じてカルト的に集団を率いていた『事例1』の女性がアカウントを捨てた例はどうなのだろうか。

『事例1』の女性が陰謀論やカルト的な運動から完全に離れられたか確認しようがないが、彼女を慕う多数の人とのつながりを切ってSNSのアカウントを消し去るには覚悟が必要だったはずだ。

彼女もまた自己肯定できるうえに承認欲求が満たされる居場所を求めていた。

同時期に同じ運動をしていた人々と違うのは途上国支援やヘアドネーションなど慈善事業に関わっていた点で、ノーマスクピクニック運動は慈善活動の文脈のなかにあったのではないかと思われてならない。反マスク運動も自己犠牲のうえに成り立つ利他的な行動だったということだ。

利益度外視でカルトな活動をする人は珍しくないが、一回に数年を要するヘアドネーションを少なくとも2回行った人の利他的な反マスク運動だった。ボタンの掛け違いに気づく客観性が残っていたのが救いだったかもしれない。

真実は藪の中だが、いずれにしろ彼女は例外的と言ってよいだろう。

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