なぜ首都圏は恐れいつ忘れたのか 放射線デマと風評加害発生の構図
被曝を恐れて首都圏から自主避難した女性たちがいます。東京都、埼玉県、神奈川県で過剰反応が生じ、デマが生産され消費されていた様子が国内の興味や関心の度合いを示すデータに表れています。なぜ首都圏で被曝を恐れる人々が多数登場して、いかにして首都圏で福島産の品々は忌避されるに至ったのでしょうか。悪しき風評が生まれ、拡大され、その風評が信じられた背景を整理します。
構成・タイトル写真
加藤文
はじめに
被曝の恐怖によって首都圏から関西や沖縄へ自主避難した母子について複数の記事を書いてきた。直近では上掲の記事で自主避難者の不可解な心理と行動を解説した。彼女たちは風評の被害者であるが、同時に風評を生み出し増幅させた点で加害者でもあり、風評加害について考えるとき重要な存在である。
この首都圏からの自主避難者と風評加害の原因や本質をあきらかにするには、2011年3月11日以降の日本社会で人々がいかなる心理のもと、何を考え、どのような行動を取り、どのような影響がもたらされたかを解明しなければならない。しかし、目まぐるしく変化した人々の心理や行動が記録に残されないまま忘れ去られようとしている。たとえば、自主避難者はネット掲示板(BBS)や短文投稿サイトであるツイッターのサークルから発生したが、掲示板サービスの停止やツイッターアカウントの凍結や削除などで会話ログが失われている。
そこで当記事ではWEB検索サイトGoogleが公開している検索動向データを使用して、人々が興味や関心を寄せていたものごとから心理、考え、行動、影響を考察することにした。Googleの検索動向データは2004年から現在までを連続して年、月、日、時刻単位で振り返ることが可能で、複数の検索ワードで比較したり、都道府県単位で動向を知ることができる。
ただし、検索動向データを使用するにあたって次の各点に留意しなければならない。
検索とは興味や関心を抱いて情報を収集する行為だが、検索時のユーザーの感情や意図がポジティブなものかネガティブなものかは検索数をもとにした検索動向からはわからない。心理や感情や意図を読み取るには世相や証言など定性的な情報や、他の統計など定量的な情報を利用しなければならない。また検索数の増加は興味や関心の盛り上がりを意味するが、減少には1.興味や関心が去った 2.興味や関心はあるものの注目されるポイントがずれたため特定のワードが使用されなくなった 3.注目すべき人やメディアが理解され浸透したため敢えて検索されなくなった──など多様さがある。これらを総合的に判断して興味や関心の推移の意味を読み取らなければならない。
被曝を恐れた首都圏
福島県への曖昧な認識
2011年3月11日に発生した福島第一原子力発電所事故に際して、首都圏で被曝を恐れる人々がいたのは奇妙なことではない。ところが、この人たちから流言飛語を真実と信じる者が多数現れ、しかも科学的で合理的な説明を受け入れず、家族を割ってまで母子のみで関西や沖縄へ避難する者が現れたのは反応が過剰すぎるように思われる。
事故を起こした福島第一原発から東京都心は約250km離れている。1979年に事故を起こしたアメリカのスリーマイル島原子力発電所とワシントンD.C.間が約140kmであるから、さらに離れていることになる。
距離と関係なく東北と地理的、文化的に接続している関東だから、ここまで首都圏は被曝を恐れたのだろうか。
記事『不安や恐怖を共感しあう。いつまでも安心を得られない。だから怒りと悪意をぶつける。』で紹介した、2011年3月17日に撮影スタジオに集まった首都圏在住の女性モデルたちは、福島第一原発が茨城県のさらに先にある(それさえもあやふやな者もいて)遠い未知なる場所としか認識していないまま原発事故に怒りを露わにしていた。彼女たちに限らず、自主避難者の帰還支援や風評問題関連で聞き取りをした際に得られた証言でも、首都圏在住者にとって原発事故以前の福島県は「TOKIOがDASH村をやっていた県」、「寒い地域」、「農業県」を連想する程度の存在だった。
一例を紹介する。2009年7月31日、Yahoo! Japanが運営する「知恵袋」で「福島県の印象」が質問されている。この注目されなかった質問への回答は、「印象」に過ぎないとはいえ福島県像があまりに漠然としていて、県の全体像がまったく反映されていない答えばかりが並んでいる。福島県に対して特に愛着を感じていない人々にとっては、更に認識が曖昧だったことだろう。
大消費地として
次に示すグラフは、原発事故後に急増した検索ワード「福島産」の動向と、どの自治体から興味や関心を持たれて検索されたかを比較したものだ。自治体ごとの興味や関心度は、2011年3月11日から同年12月31日までの検索について、順位の上位5位までを表示した。6位以下は福島県、大分県、宮城県、佐賀県、茨城県、富山県、岐阜県、静岡県、広島県、千葉県……となり、いずれも自治体ごとの人口を勘案した上で順位が調整されている。当時の状況から「福島県産」はポジティブなものとして検索されたのではなく、汚染産品の疑いをかけられて(または、このような状況が憂慮されて)検索されていたと思われる。
検索ワード「福島県産」は食料を生産し供給する産地への興味や関心の度合いを表しているため、必ずしも検索動向が原発からの距離と相関するとはかぎらないのを前掲の結果が表している。
首都圏で高い興味や関心を寄せた埼玉県、神奈川県、東京都と、順位が低かった茨城県、千葉県、群馬県、栃木県、山梨県のちがいは、前者が大消費地で後者が食料生産・供給地であることだ。福島県もまた、埼玉県、神奈川県、東京都に長年にわたり食料を供給してきた。
東京中央卸売市場では1970年代から福島県産の野菜や果物がシェアを伸ばしていた。昭和45(1970)年から57(1982)年までの統計で、福島県産の代表格である桃は京浜地域でシェア30%台を占めていて(福島経済連資料/北海道大学農經論叢/1985年)、首都圏の人々にとっては古くから馴染みの産地ブランドであったことがわかる。野菜では、原発事故前2010年のピーマンの首都圏でのシェアが岩手県産48.6%、茨城県産18.3%、福島県産13.2%(東京都卸売市場「市場統計情報」)であったように、様々な野菜が例年安定して供給されていた。令和2(2020)年に農林水産省が調査した福島県産品の購買経験率を地域ごと比較しても、おおよそ関東で購買経験率が高めであることがわかる。
その上で、首都1都7県のうち食料品の供給を他の地域に大きく依存している大消費地ゆえに埼玉県、神奈川県、東京都が「福島県産」に興味や関心を強く抱いたのではないか。大阪と愛知もまた、生産・許給地意識ではなく消費地意識のもと「福島産」に反応しているのだろう。
前項の証言であきらかなように、県外在住者にとって福島県は漠然とした存在であった。この漠然とした東北方面から送られてくる野菜、果物、乳製品、魚介を首都圏の大都市ではあたりまえのものとして消費していればよい状態が長らく続いていたが、こうした生活は東日本大震災と原発事故で崩壊した。そして食料品の供給を他の自治体に依存している大消費地ゆえの「福島県産」に対する興味や関心は、いっぽう的な被害者意識と結びついたようだ。
冒頭で紹介した記事『不安や恐怖を共感しあう。いつまでも安心を得られない。だから怒りと悪意をぶつける。』で、2011年3月17日に撮影スタジオに集められたミセスモデルたちが「震災で福島が余計だった」、「福島が原発をつくった」と言い、後に自主避難者の女性Aが「こんなに怖い思いをしたのは福島のせいだ」と発言したことを紹介した。彼女たちに共通するのは強烈な被害者意識である。
斉藤和義氏が2011年4月7日に公開したセルフカバーの替え歌『ずっとウソだった』やランキンタクシー氏の『原発がっかり音頭』もまた、電力の大消費地から供給地へ発せられた被害者意識の表れである。
デマの需要と供給
「福島産」は一般的な言葉だが、原発事故直後に注目されたり使われるようになった語句のなかでもマイナーで専門的な被曝関連の検索ワード「クリス バズビー(人名)」「低線量被曝」「低線量被曝 症状」で動向を確認すると、ほぼすべて東京都から検索されたものだった。
人名の検索ワードとして取り上げたクリス・バズビーは、イギリスの科学者で低線量被曝の害を過剰に煽る講演を日本で行ったほか翻訳書が発売され、彼の名を冠した被曝による健康被害を解消するというサプリメントまでもが販売された。彼の名前を紹介したり興味を持ったのは放射線デマを信じた人々かデマに批判的だった人々だが、前者のほうが興味や関心が高かったのは当然だ。
ここに挙げた検索ワードのうち検索数が多く放射線デマを象徴する「低線量被曝」と、現実と向き合う建設的な姿勢を象徴する「復興」を比較すると、「低線量被曝」の検索数が最大だった2011年6月でさえ「低線量被曝」1:「復興」49で、他の期間は常に「低線量被曝」が1未満であった。
「低線量被曝」と「復興」を比較しても、それぞれを検索した層の規模を正確に把握できないが、過剰に不安を煽る情報やデマへの興味や関心の度合いが全国的に見るとあまりに小さいものであったのはまちがいない。対して、「復興」は全ての自治体から満遍なく大量に検索されている。「クリス・バズビー」、「低線量被曝」、「低線量被曝 症状」に興味や関心を抱くのは、これらに肯定的か否定的かいずれであっても放射線デマに深入りしている人であり、こうした小規模の層が東京都に一極集中していたのだ。
さらに原発事故後、盛んに使われるようになった俗語と蔑称である「安全厨」「放射脳」「御用学者」の検索動向を調べると、「安全厨」「御用学者」は東京都と神奈川県から、「放射脳」は東京都と神奈川県と大阪府からの検索がほぼすべてであった。
「安全厨」は過剰な不安を解こうとする人や科学的な事実を述べる人について放射線デマを信じる人々が揶揄した語、「放射脳」は逆に放射線デマを信じたり不安に囚われている人を揶揄した語、「御用学者」は原子力発電推進だけでなく科学的事実を伝え不安を取り除こうとした学者を揶揄した語だ。揶揄する側もされる側も検索しただろうが、原発事故後の混乱を俗語や蔑称を用いて語り、語られている状況や内容に興味や関心があったのがほぼ東京都や神奈川県や大阪府に限られていたのだ。
検索動向だけでは断言できないが、放射線デマに深入りしている人と、俗語や蔑称を用いて原発事故を語る人の地域的な偏りから、悪しき風評をかたちづくった放射線デマや大袈裟な表現は首都圏の大都市から発信され、これらの都市で主に消費されていたのではないかと疑われる。ただし危険を過剰に煽る言説やデマへの興味や関心は首都圏でも限られたもので、極めて規模が小さな層から不安と対立が日本社会に広がり、風評加害や自主避難に影響した可能性がある。
ところが、いままで不安や対立を煽る言説への興味や関心が首都圏に偏在しているとは思われてこなかった。これはSNS特に利用者と利用者の発言頻度が高いツイッターでは、発言者が暮らしている地域がわかりにくく、あたかも全国から被曝を不安視する発言や、危機感を煽る発言が大量に投稿されているかのように錯覚されたためだろう。
また中山千尋氏(福島県立医科大学)が論文『原発事故後の福島県浜通りと避難地域における放射線の「次世代影響不安」と情報源およびメディアとの関連』で指摘している、センセーショナルだった全国紙とキー局の報道姿勢についても考えなければならない。首都圏在住の人々にとっての主たる情報ソースは全国紙とキー局の放送であり、これらを通じて原発事故と福島県の様子を見聞きしていたのだ。
福島はいかにして首都圏で忌避されたか
忌避のはじまり
前掲の検索ワード「福島産」および(Googleで入力される機会が多かった)「米 放射能」「野菜 放射能」「魚 放射能」「福島 桃」の検索数をもとに日本国内の興味や関心を2011年3月11日から4月30日までの推移として表し、ここに証言を配置したのが次のグラフだ。
福島県産品への興味や関心は、原発事故直後から伸長したわけではなく、2011年3月19日になって「野菜 放射能」を筆頭に検索数が増えている。
3月19日は、茨城県が同県産のホウレンソウから基準値を3〜7.5倍超えるヨウ素が検出されたと発表し、午後2時台から各社のWEB記事で報道された。茨城県産のホウレンソウだけでなく福島県産の原乳から規制値の5倍を超えるヨウ素が検出されたとする枝野幸男官房長官(当時)の会見が、午後6時台からWEB記事で報道されている。これらは当日中にテレビニュースで伝えられ、新聞では翌日の朝刊に記事が掲載された。
翌3月20日(日曜)午後7時33分掲載のWEB記事では首都圏の大手スーパーマルエツのほか西友、ダイエイが店頭から茨城県産ホウレンソウを引き下げたとしている。
3月19日のヨウ素検出報道以前に福島県産品の販売を取りやめたとする報道がなく、消費者から見てもスーパーの店頭で野菜などを撤去する動きや「福島産(に限らず特定地域産)の取り扱い中止」の告知はなかったと首都圏在住者の証言がある。筆者も地震被害や停電の影響によって生産や流通が滞った食品の購入に苦労して横浜市でスーパーマーケットを巡り歩いたが、ヨウ素検出報道以前に特定の産地を排除する動きは見られなかった。ただしスーパー店頭に掲示された投書「お客さまの声」に「福島産を売らないように求める意見があったかもしれない」という証言もある。
ヨウ素検出報道後は、大手スーパー以外でも東北産を排除する動きが進んだ。川崎市のローカル・スーパーマーケットに「東北産の野菜は扱っていません」と但し書きが張り出されたと証言がある。証言者は「茨城は東北なのだろうか」と疑問を抱いたことで、このできごとが記憶に焼き付けられたと言っている。また別の証言者は「放射能が食べ物に付着して一緒に出荷されることをはじめて意識した」と証言している。
このほか「関西産の商品を取り扱うようにしたのは、お客さまの意見を参考にしたとスーパーの張り紙に書かれていた」と証言がある。張り紙された年月日は不明としながら「OKストア(首都圏に展開するスーパーチェーン)の日配品コーナーに、お客さまの要望で関西の乳製品を仕入れたと張り紙してあった。見慣れたブランドが減って、淡路島産の牛乳が入ったのはこのときだった」という。排除はお客の要望とされ、実際は関東、東北産の排除だったが、関西産を仕入れたと穏便に表現されたとする指摘だ。
2011年3月30日にはYahoo! Japan「知恵袋」に「なんで福島県の野菜を買わないんですか」とする質問が投稿され、質問への回答は共感と反感が入り混じり当時の人々の意識の縮図となっている。
2011年から2022年までの経過
検索ワード「福島産」および「米 放射能」「野菜 放射能」「魚 放射能」「福島 桃」について、2009年1月1日から2022年11月6日までの経過を調べたものが次のグラフで、証言と世の中の動きを配した。
「福島産」だけでなく「産品名 放射能」への興味や関心は、2011年の初夏までにピークに達して急激に低下し、2012年からは低調なまま現在に至っている。いずれもポジティブなものとして検索されたのではなく、汚染品の疑いをかけられたり、こうした状況が憂慮されて検索されたものだろうから、安全性への不安が解消されて2011年の夏から2012年にかけて急激に検索数が減ったと考えられる。
だが次のような証言があった。「事故から1年くらい経って千葉より北で採れたものを警戒する意識が定着したと思う。あたりまえの感覚になっていたので、見かけたときは良いとか悪いとかではなくとにかく驚いた」とされるくらい福島産および東北産の排除は揺るぎないものになっていた。
2012年までに「産品名 放射能」の興味や関心は低下したが、2011年以降も「福島 桃」は原発事故前の水準より高い検索数を示した。他の検索ワードと異なる推移を見せた福島の桃に何があったか整理しようと思う。
原発事故以前から「福島 桃」は毎年8月になると検索される季節の風物詩とも呼べる検索ワードだったが、2011年に興味や関心が急伸長した。この年の「福島」と「桃」を含むツイッターの投稿は、原発事故の影響に不安を抱いたり過剰に反応するもののほか風評の影響を懸念したり産地を応援するものもあり、WEB検索の意図も同様だったろうと推察される。
2012年にはローソンから福島県産の桃を使った菓子パンが発売されているが、この製品が危険であると不安を煽る批判がツイッターなどSNSに書き込まれ、首都圏から自主避難した女性Aが利用していた母親向け掲示板にも批判や怒りのコメントが書き込まれていた(サービス廃止のためログが失われた)。
2014年には福島の桃への風評被害についてツイッターで語ったコピーライターの糸井重里氏に「食べないほうがいい」などと批判が集まり、同時に風評を訂正する声があがる騒動があった。
糸井重里氏のツイートと反応でもわかるように、このとき福島県の桃は原発事故の影響、風評、復興のシンボルと化していた。なお漫画『美味しんぼ 福島の真実編」で鼻血が描写され批判されたのは、2014年5月のできごとだった。このときも冷静な批判が相次ぎ、『美味しんぼ』は単行本化の際に大幅なセリフの改変が行われ、連載は2014年25号をもって休載となった。そして2016年に福島県でセブンイレブンが同県産の桃を使った菓子パンを限定販売したほか、他社が菓子類を全国展開で発売したが批判めいた投稿は目立たず騒動は発生していない。このため2017以降増加する「福島 桃」への興味や関心はポジティブな心理に基づくものと言ってよいだろう。
2014年の『美味しんぼ』問題と結びついた記憶として「世の中の関東産を嫌だと思う気持ちは消えていたと思うが、福島産を嫌がる気持ちが続いていそうで商品が売り場に戻っていなかった」と証言がある。こうした証言に対してスーパーマーケットの店員は「スーパーごと判断がちがっていたので、この頃になると東北産や福島産を売ったところもあれば、かなりあとまで売らなかったところもある」と言っている。
2016年頃のこととして「震災5年で福島産を不安に感じる感覚が消えて行ったように思う」、「POPに産地を書かずラベルに表示として、値札シールに茨城産というふうにして野菜が戻ってきた」、2017年には「ひさしぶりに福島の桃と表示されて売られているのを見たのは、この頃だと思う」、2018年には「福島産の桃より山梨産のほうが売っている期間も、売っている量も多いなと思った。もっと福島の桃を売ってもよいのではないか」と証言されている。2014年から2016年は福島県や福島産品への評価が変わる分水嶺だったようだ。
さらに被曝と放射性物質への興味や関心を反映した検索ワード「被曝」「セシウム」「ヨウ素」「ベクレル」、不安に動揺した層についての検索ワード「放射脳」「自主避難」、風評加害についての検索ワード「風評被害」を比較した。
被曝と放射性物質への興味や関心は原発事故直後と2011年8月をピークに低下して2012年いっぱいで沈静化している。これは福島県と福島県産品への興味や関心の動向と連動していて、少なからぬ人々が抱えていた不安は1年から2年間で解消され、以前とほぼ変わらぬ状態になったと言ってよいだろう。
いっぽう2011年末から2012年にかけて、反原発運動と被曝による健康被害を懸念する運動や報道が最盛期を迎えた。2011年12月2日朝日新聞連載の『プロメテウスの罠』が[我が子の鼻血、なぜ]を掲載。2012年早々から被災地瓦礫の受け入れ反対運動がはじまり、7月16日にはたかが電気演説があった「さよなら原発10万人集会」が開催されている。
「自主避難」の話題は2011年末から掲示板やTwitterで盛り上がりを見せていたが、この動きがWEB検索の動向にも反映されている。以後、興味や関心の度合いを低下させながらも「自主避難」は「放射脳」ととも2016年末まで人々に意識される状態が続いた。被曝への不安が少なからぬ人々から消えていたにも関わらず、動揺したままの人々から自主避難者が登場したことと、2011年後半から盛んになる原発事故被害報道や各種運動の興隆は無関係ではなかっただろう。
2018年になると、首都圏自主避難者のうち態度を硬化させたままの者だけが避難先に残り帰還支援は役割を終えた。帰還した者のすべてが避難前の生活を取り戻せたわけではないが、被曝への不安がひとまず落ち着いた者から避難生活をやめている。
2019年以降の記憶として「台風や鳥インフルで玉子不足になって、関西の牛乳を入れたと張り紙までしていたOKストアに東北産や福島産が入ってきた。もう誰も放射能と言わなかったし、いつも通り売れていた」と証言がある。大半の人々から被曝を危険視する意識が消えたあとも福島県産品のシェアが回復していないなら、いったい誰が不安を提供したり固定化させようとしているのか考えなくてはならない。
結論
検索行動に現れた国内の興味や関心の動向から、放射線や被曝についてのデマの需要と供給はほぼ東京都、埼玉県、神奈川県で完結し、これらに関与したのは首都圏でも少数の特定層だったとみられる。
東京都、埼玉県、神奈川県が放射線や被曝デマの温床となった背景に、福島県に対しての無関心と被害者意識があった。これはミセスモデルが口にした「震災で福島が余計だった」、「福島が原発をつくった」という言葉や、自主避難者Aの「こんなに怖い思いをしたのは福島のせいだ」という発言だけでなく、斉藤和義氏の『ずっとウソだった』やランキンタクシー氏の『原発がっかり音頭』にも消費するいっぽうで生産地を顧みることがなかった大都市住民らしい意識が横溢している。
いっぽう大多数の首都圏在住者だけでなく国内が2011年中に冷静さをかなり取り戻している。しかし、放射線の害と原子力発電反対を過剰に煽る運動や報道は2011年末から勢いを増し2012年に最盛期を迎える。いずれも被害者意識を刺激するもので、不安な感情を正当化させたい人々は、さらに不安情報やデマを取得して「ますますま不安になる」サイクルから脱することがなかった。2012年以降しばらくの間、首都圏から自主避難者が登場したのは必然だったのである。
自主避難者が登場しただけでなく、ここから風評加害が生まれ、増幅され固定されたとして、次のような仮説が立てられるのではないだろうか。
「ここから」とは不安に動揺したままの層、感情を煽る報道、反原発運動、被曝被害を主張する運動の4者だ。この4者は相互に影響を与えるだけでなく、不安と影響力を過大に見せた虚像で社会全般に対しても影響を与えた。
首都圏のかなり限定された範囲から少数の動揺層がSNSに投稿すると、あたかも全国に多数の強い主張をする人々がいるように見えた。報道がセンセーショナルに原発事故と被害を報道した。こうして広がりと影響力がある多数派という虚像がSNSや報道に投影され、多くの人を錯覚させた。首都圏からの自主避難者も自家中毒を起こすかのように虚像の影響を受けた。
この錯覚は、前述の4者が生み出した風評加害の程度を増幅させる働きをした。たとえば小売店や流通関係者は「消費者の理解を得られない」と言いながら福島県産品や東北産品を排除したままにし、政治家は「国民の理解、被災地の理解が得られない」と言って処理水の海洋放出反対を唱えている。
いずれにも福島県の立場を思い巡らし尊重する発想はない。それぞれに都合よい漠然とした概念上の福島県を想定したり、福島県を利用することだけを考える姿勢と言わざるを得ない。
会って聞いて、調査して、何が起こっているか知る記事を心がけています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。ご依頼ごとなど↓「クリエーターへのお問い合わせ」からどうぞ。