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グレタの怒りは片付ける者がないゴミ箱になった

著者:加藤文、ハラオカヒサ

(2021年12月23日17:40 / 記事最後に追記 / FFFフィンランドが原子力発電支持を表明)

前提

望むと望まないにかかわらず影響力を持った人がとるべき行動、負うべき責任がある。グレタ・トゥーンベリもまた、その影響力をよりよく生かす道を歩んでもらいたい。もしよりよく生かせないなら身を引くこともまた責任の取りかたであるはずだ。


環境問題全体主義の勃興

「グレタ・トゥーンベリが
学校にクリスマスの飾りを減らして
環境にやさしいものにするよう促している」
と報じたニュース。

環境問題の解決に向けた議論と行動は不可避なものだ。しかし日常のささやかな喜びや消費や経済活動まで一人の女性の行動原理に従って制限されなければならないのだろうか。

グレタ・トゥーンベリの価値観が人々の行動や嗜好の可否を決めようとしている。いっぽう彼女が自らの主張を伝える政治的活動で、その喜びをきらびやかなイルミネーションのもと歌い踊ることが許されるのだからかなりおかしな話だ。

AFP報道の動画から。

「大人が私の未来を台無しにしようとしている」「あなたは私たちの未来を盗んでいる」とグレタ・トゥーンベリは言い続けてきた。しかし、解決策はいつまで経っても「つくるな」「つかうな」でしかない。エネルギー問題ひとつとっても、歌い踊る集会で「冷静に議論し現実的な解決策を見つけよう」となぜ言えないのか。

グレタ・トゥーンベリの主張は多岐にわたるが、ひとまず再エネについて考えてみよう。

次に示すのは国内の全電力会社各エリアの太陽光発電実績だ。

グラフ1

そして2021年の東京電力エリアの年間を通じた実績を動画化すると次のようになる。

グラフ2

あたりまえだが夜間は発電できない。早朝と夕刻は効率が悪い。季節ごと変動が大きい。天候に左右される。太陽光発電の規模を拡大しても、これでは主力どころか脇役としても心許ない。ベースになる電力があってはじめて成り立つのが太陽光発電や風力発電で、脱炭素化するなら現状では原子力発電の使用が不可避だ。

たとえクリスマスイルミネーションを消し、クリスマスプレゼントの製造をやめたとしても、再エネだけでは電力需要を賄えない。彼女はクリスマスを心待ちにしている子供たちだけでなく、すべての人々の未来どころか現時点すらも台無しにしようとしている。

こうしてグレタ・トゥーンベリが感情的になって危機感を煽ることで、環境問題全体主義と呼ぶべきものがますます私たちの暮らしに近づいてくる。しかも環境問題全体主義には環境問題を解決するための有効な議論や具体策がなく、ひたすら煽られる人々と、背後にはお為ごかしな追随者が群れをなしているだけだ。


激情を再生産する人形に成り果てる

グレタ・トゥーンベリの仕事は国連気候行動サミットでのスピーチで終わったのではないだろうか。

「あなたたちを許さない」

あの感情的なスピーチは論議を呼んだが、その後の2年で人生についても環境問題についてもグレタ・トゥーンベリは成長できたはずなのに、その存在は鳴り止まない火災報知器のままだった。

火の手があがり火災報知器が鳴り響いて消防士がかけつけたら、次は火をいかに消すかが重要な課題になる。なかには「温暖化対策にまじめに取り組まないからグレタは叫び続けている」と弁護する者もいるだろうが、この間に彼女は他の環境活動家からも引き離されてしまった。

他の環境活動家から引き離されてしまった事情については、次の記事の後半に記しているのでぜひ読んでいただきたい。


ではグレタ・トゥーンベリにとって国連演説からの2年間は何だったのか。

世に知られたグレタ・トゥーンベリという存在は激昂した感情が本体で、彼女は自らを特徴づけ象徴する怒りの感情を再生産し続けるばかりだった。刻一刻と変わる情勢を追い、現実的解決策を考えたり訴えたりすることはグレタ・トゥーンベリ的にあらずとでも自らを規定しているかのようでもある。これが現実から取り残された原因で、原発を含む電力構成についても奥歯に物の挟まったような言いかたしかできない理由でもある。

またグレタ・トゥーンベリには途上国だけでなく先進国の弱者への視点も圧倒的に欠けていて、これは彼女の視野の狭さや経験の浅さだけでは説明できないものがある。

いずれも彼女に影響を受けている人々にも共通する傾向だ。

筆者が運営するnoteのアカウント(またはハラオカヒサのTwitterのアカウント)に以前から、こんな環境活動家を名乗る人々が抗議の声を五月雨式に届けにくる。学生もいれば社会人、高齢者もいた。

どのようなやりとりに成りがちか概要を記そう。

筆者「環境問題は大切だが、再エネだけでは社会は成り立たないし、この皺寄せは真っ先に弱者を苦しめる
活動家「そんなことはない再エネだけでやれる
筆者「(グラフ1、グラフ2と同様の資料やその他の資料を示して)これが限界だ。脱炭素化で火力発電をなくそうと言うなら原子力に頼らざるを得ないのではないか
活動家「揚水発電、蓄電で十分
筆者「そのエネルギーをどのようにまかなうのか、その技術はすべてそろっているのか。どう考えても無理だ
活動家「原子力ムラか!
筆者「いずれ脱原発が可能になるかもしれないが現状では無理だ」
活動家「核廃棄物の問題が。日本は地震国だ。自分の家のそばに原発をつくりたくもないくせに
筆者「(ガラス固化体処理の説明)廃棄物を野積みするわけではない。自宅のそばにつくられたとしても、そのことだけで問題にする気はない
活動家「汚い大人が! 恥を知れ!

これは一例に過ぎないが、再エネだけで社会が成り立たないことがわかりながら彼らは現実から目を逸らし続けている。最後に行き着くのは「豊かさはいらない、これからは貧しく生きればよい」という結論であり、それを他人に強いる姿勢だ。ささやかにクリスマスの喜びさえ無くそうと呼びかけるグレタ・トゥーンベリと同じである。

それだけばかりか感情だけが賑やかに動き回り、事実を無視し続け、さらに感情を昂らせるところまでグレタ・トゥーンベリや、グレタ・トゥーンベリに煽られた世界各国の人々と同じだ。つまりグレタ・トゥーンベリだけでなく、グレタの兵隊とも言える人々もまた激情を再生産する人形に成り果ている。


片付ける者がいないゴミ箱

筆者両名は、原子力発電が必要なら使うほかないし、使う必要がなくなればやめればよいという立場だ。焚き火しか熱源がない縄文人に「焚き火をやめろ」と言えるか、言えるはずがない。特に脱炭素化で火力発電をなくすなら原子力に頼らざるを得ないのだからこういうことになる。

当たり前の話であるし、それでも異論があるなら穏やかに持説を述べれば済むはずだが、つい数年前までは原子力発電の必要性をおおっぴらに主張すると汚く乱暴な言葉をぶつけられるだけでなく嫌がらせや脅迫までされて実生活が脅かされたのだった。

以前紹介した北米を中心に環境保護団体グリーンピースの運動に参加してきた元活動家の男性は、「よくわからないままやって、それで満足しきっている人があまりに多い」と温暖化問題解決、脱炭素化運動のデモ隊について語った。

デモの参加者に理屈がわからない人が混ざるのはあたりまえだ。しかしFFFでは学歴が高い人たちまでがわからないふりではなく、ほんとうに初歩的なことさえ知らず愕然とさせられる。これは日本に限った話ではない

温暖化問題で脱炭素化を選択するなら原子力発電を避けて通れないと環境保護活動家の多くが気付くなか、古くから反原発を掲げるグリーンピースなどの団体やグレタ発のFridays. For Future(略称: FFF)が依然として原発から目を背けているのが現状だ。

金曜日デモで原子力発電の利用を訴えるプラカードを持ち込んだ人がFFFから襲撃されたという話を海外の活動家から聞いた。問答無用で執拗な攻撃だった

襲撃され破壊されたプラカード。

ベルリンで発生した時件だった。グレタ・トゥーンベリがスピーチをしている近くに原子力発電の利用を訴えるプラカードを持った女性がいた。ステージに群がる人混みのなか、興奮した参加者の行動はエスカレートしたという。

原子力発電業界のバックアップで参加した女性ではない。彼女は自分にとっての未来は原子力がなくてはあり得ないという立場だった

この女性は「未来を台無しにしようとしている大人」扱いされてしまったのだ。

昔の活動仲間がFFFに聞いても『原発がなくてもやっていける』といった返事や、『社会の成長なんてなくてもよい』という日本の学生活動家と同じ答えがかえってくる。自分たちだけが若くて正しい世代だというところで思考停止したままだ

こうなるのもグレタ・トゥーンベリの激昂が発端であり、この激昂がすべての運動なのだから当然だろう。「大人が未来をだいなしにしている。大人に責任をとらせる」というスローガンへの共感もまた、彼女のヒートアップする感情への共感であって道理や理屈とは程遠いようだ。彼女の怒りに、人々の怒りが次々投げ込まれて行く。そこから何も生まれないのだから怒りのゴミ箱である。

グレタ・トゥーンベリの考えや行動が成長しない理由は、それが彼女だからとしか言えないかもしれないが、激昂する人々の感情を司ることが目的になっているからとも、いまさら方針を変えたらスポンサーにそっぽを向かれたり支持者から裏切り者にされるからとも考えられる。いずれであってもグレタ・トゥーンベリは後片付けをしないし、できるはずがないのだ。

ひたすら激昂して責任を取れとしか言わず、現実を直視しない人々は環境問題全体主義を押し付けてくるのは頭が痛いが、グレタの怒りというゴミ箱に叩き込まれた人々のネガティブな感情がこれからどこへ向かうか私たちは心配すべきなのかもしれない。

活動家の男性もまた同じ懸念をしている。

グレタがロック・スターのように感情を煽りたてたことで怒り続ける若者が登場した。グレタの影響で選択肢が見えなくなっている。そればかりか、自分にとって環境以外の大切な問題を考えるチャンスが彼らから吹き飛んでしまった。着地点、そんなものはないだろう

追記

Fridays for future フィンランドは原子力発電支持を表明しました。








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