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私たちはヒーローだった・コロナ禍2年を振り返る

著者:ケイヒロ、ハラオカヒサ

人の心がパンデミックを左右した

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マスクをつけて、手洗いをして、自粛して、ワクチンを接種する。やるもやらないも各人の意識次第。人の心がコロナ禍の様相を左右しました。

やるかやらないかがコロナ禍を左右したのだから、実行した人々は闘い続けた人々で、互いに尊敬しあえるヒーローと言ってよいでしょう。これが2年間の結論です。

しかし「ただそれだけのこと」を拒んだ人々も多数いました。次に示す画像は、反ワクチン派の人物が彼自身について説明した走り書きの一部です。

黒抜き証言メモ
反ワクチン派が説明のために書いた走り書き。


詳しくは後述しますが、彼はあたかも自分をコロナ禍最大の被害者のように証言しています。彼に限らず人の心の多様さと複雑さを目の当たりさせられたのもコロナ禍でした。

人の心がコロナ禍の様相を左右したのなら、いつ何が起こり、そのときどのような感情から人々はいかに行動したかを、まずは聞き取りと調査から振り返ってみようと思います。


2020年初頭・「誰がほんとうの敵かわからなかった」と彼は言った

スクランブルエッグをつくっていると、フライパンの中で溶きたまごが固まりはじめる瞬間があります。コロナ禍にも、その後を決定づける瞬間が訪れますが、2020年の初頭はまだフライパンに流しいれられたばかりの溶きたまごそっくりの時期でした。

X卵液


2019年の年末が近づくにつれ報道は中国で肺炎が広がっていると伝えはじめましたが、こうした感染症の蔓延に注目する人は国内では少数でした。

国内での「感染症」「肺炎」「武漢」への興味の動向をGoogle trendの検索指数で検討しても、この時期はまったく関心を集めていなかったのがわかります。それぞれのキーワードで盛んに検索されはじめるのは年明けから、さらにピークは1月の月末でした。

2019-2020感染症検索指数

2020年1月9日WHOが新たなウイルスであることを発表しました。

15日、国内で初感染が確認されます。

29日に武漢からの帰国者をホテル三日月が受け入れました。

上記の期間、検索キーワード「肺炎」と「武漢」は共に指数が上昇しています。しかし2月3日にダイヤモンド・プリンセス号が横浜港に到着し報道が加熱するとキーワード「武漢」は検索数が減りました。

XX2020_1_3指数

ダイヤモンド・プリンセス号の横浜港停泊で武漢のことはどうでもよくなり、新型コロナ肺炎を我が事として考える人が増えたのです。また時を同じくして感染者をめぐるデマや誹謗中傷が広がっているのも他人事ではなくなったからでしょう。

つまり2020年2月まで新型コロナ肺炎は意識のうえで「国外問題」だった可能性が高いと言わざるを得ません。

そのとき私たちはどのような暮らしをしていたのでしょう。

2020年2月6日火曜日午前11:59の房総半島南端近くの様子を見てみましょう。

千葉県館山市の飲食店の店内では誰もマスクをせず緊張感も漂っていませんでした。マスクが必需品だったのは間違いありません。買い占められた結果、マスクは既に店頭から消えつつあったのです。手指の消毒剤も買えなくなっていました。しかし食事をする店に入ったらマスクをはずして今まで通りの行動をする花粉症なみの警戒感だったのです。

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2020年2月6日火曜日午前11:59 館山市の飲食店。

この日、ケイヒロはロケハンのため房総半島を移動していました。パーキングエリアでも各地の施設でも従業員はマスクをし客もまたマスクをしていましたが、この時期は飲食時の危険性がまだ知られていなかったのです。今から思えばツメが甘く本質がわかっていないことになりますが、これが当時の現実でした。

2月13日、神奈川県で女性が死亡したほか、屋形船新年会が初のクラスターだったと報道され、和歌山県では院内感染が発生しました。ダイヤモンド・プリンセス号はまだ対岸の火事だったかもしれませんが、この期に及んでいよいよ切実極まりない国内問題と認識されるに至ります。

2月25日、政府が感染拡大に備えて基本方針を決定し厚労省内に対策班を設置。2月は「3つの密」の元になる対策が提唱されていますが、一般人だけでなく専門家や政府、官僚にとっても新型コロナ肺炎は未知のものであり対策は手探り状態だったのです。

そして3月29日に志村けん氏が亡くなると、多くの人が死を悼むだけでなく切実な恐怖を感じたのではないでしょうか。急転直下でした。

この時期の様子をマスクの輸入業者は次のように語っています。

──衛生用品の輸入業者
「ドラッグストアが買い占め対策に本腰を入れる前にマスクが消えた感じ。それが1月の末。2月は砂に水をまくように在庫がなくなってオークションで1万円。増産企業に補助金が出ることになって、この対応の速さにどんだけ危なかったかよく表れている。正直、もうダメだと思いましたよ」
「ここで逃げきった転売の人たちが儲けたんですよ。このあとはオークション出品禁止。溜め込んでいた人も、輸入できるようになって入れた人もバブルが終わって『おじゃん』になったのです」

取材・インタビュー

都内の大学生にもどのような精神状態だったか聞いてみました。

2020年年始から春は[不安]だったと答えた人がもっとも多く、以下[悲しさ][苛立ち][怒り]が続きます。

推移精神
都内の大学に在籍する学生(サークル部員)を2021年7月から継続的に調査し、2021年9月に「2020年を思い出して」どのような精神状態であったかを聞いた。

──都内の大学生調査と並行した聞き取りから。
・休み中だったので免許を取っていた。新年度前にサークルの打ち合わせで集まったとき、サークル活動は大丈夫だろうと言いあった。そのあと飲みに行った人たちがいたことを考えると現在と意識がだいぶ違う。それでも家族の感染が心配だった。

・新年度前のサークルの打ち合わせでマスクをしていたか思い出せない。話し合いのときはずしていた人がいるかもしれない。祖父母が千葉なので、ホテル三日月に帰国者が収容されたのが印象的だった。それなりの緊張感はあったが、その後の展開は思っていたのとまったく違った。

・2月の初めにマスクが買えなくなった。当時は中国が悪いと言っていたし、少しあとはテドロスが悪いと言っていた。そのうち政府が悪いという風潮になった。国内が心配になりはじめたとき志村けんが死んだ。自分や周囲の人が感染したらと考えて不安になった。

・志村けんが死んだとき2週間で死ぬ病気だと思い知らされた。ECMOとアビガンが話題だった。あれだけ志村けんで悲しんでいた人たちが1週間くらいでほかの発症者の悪口を言い出した。感染した人への風当たりが今とは違った。

2020年1月から3月について/要約(2021年9月聞き取り)

──取材時に前掲の走り書きをした人物(仮称X)

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「まだ誰がほんとうの敵かわからなかった」

取材・インタビュー

彼は誰がほんとうの敵かわからなかったと言っていますが、当時はウイルスをばら撒く感染者が敵とされていました。まず最初の敵は外国人、次に日本人感染者でした。未知の体験と先行きの見えなさからくる不安から“敵”を探し始めたのかもしれません。そのいっぽうで、武漢からの帰国者を受け入れたホテル三日月や収容された人々への励ましなど希望を見出そうとする動きも強かった時期です。


2020年初夏から夏・排除と分断へ目覚めはじめた人

コロナ禍のその後を決定づけたのが2020年の初夏でした。溶きたまごがフライパンの中で固まりはじめる瞬間は、そうと気づかないうちにはじまっているように、その後を決定づける本質を私たちは見逃していたかもしれません。固まりはじめたたまごは「被害者意識」のかたちをしていました。

卵液2


2020年のゴールデンウィークから夏にかけてコロナ禍は感染症の問題だけではなく、対立や反抗の問題を抱えるようになります。そして感染症との闘いは、対立や反抗との闘いにもなって現在へ続く問題になりました。

ゴールデンウィークの直前、帰省や観光で移動する人々を想定して高速道路の出口などで他県ナンバーを監視しはじめる自治体が登場しました。これによって新型コロナ肺炎はよそものが持ち込むものという差別意識が市民にも広がり、ナンバープレートで見分けて県境を越えててきた自動車や運転手を攻撃したり立ち入り禁止を申し渡す動きが多発します。なかには他県から通勤する医師や配送トラックが嫌がらせを受けた例もありました。

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異変は他県ナンバー狩りとまで言われた現象だけではありません。この時期、なぜここまで苛立ちと危機感が募ったのか春先の動向をもう一度振り返ってみます。

前章で紹介したゴールデンウィーク前はマスク不足が深刻で、買い占め行動をする高齢者が目立ち青年層に怒りの感情が煮えたぎっていました。

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さらに「コロナはただの風邪」と「コロナ脳」という言葉の誕生と広がりがありました。

現在に続く「──ただの風邪」の用法は2020年2月28日から3月2日にかけて日本初の緊急事態宣言下の釧路市で生まれました。「コロナ脳」は1月または2月に愛知県で生まれ、一人またはこの提唱者の周辺にいる数人が繰り返し使い続けた結果、地方を中心に支持を得ました。詳細は以下の記事で説明をしています。

その後、どちらも初夏から夏にかけて日本中を席巻することになります。

2020年の初頭から春先は何もかもが一変しました。行動が制限され、マスクがなければ死を意味するかもしれないだけでなく、生活がままならなくなって行動がさらに不自由になる悪循環さえありました。「新しい生活様式」という言葉が生まれましたが、“あたらしい”だけに順応できない人、ストレスがかかる人が大量に発生したのは間違いありません。

「──ただの風邪」は平塚正幸が7月の都知事選に向け6月頃から主張して一躍注目を集めます。「コロナ脳」は2020年4月7日に緊急事態瀬言が出され「自粛」が求められると都市部の経営者などが盛んに使いはじめました。

「分断」です。

感染者 対 非感染者。
大都市 対 地方。
高齢者 対 若年層。
自粛層 対 経済優先層。
これらに共通するのは強烈な被害者意識でした。被害者意識は、危機的状況と状況への適応不全や抵抗から生じたと言ってよいでしょう。

対立から分断
2020年に発生した分断


こうした被害者意識を利用した国民主権党の平塚正幸について考えてみます。

7月の都知事選で平塚は8,997票、得票率0.15%を獲得しました。ちなみに2021年3月の千葉県知事選では19,372票、得票率1.0%です。都知事選と千葉県知事選を直接比較できませんが、知事選以来活動を過激化させて得票率が伸びた点は注目に値するでしょう。

ここで大学生の意識を見てみましょう。

新型コロナ肺炎への苛立ちと怒りは、大学生の「2020年GWから夏」の感情にも表れています。

意識推移
都内の大学に在籍する学生(サークル部員)継続調査


春先と比較して[不安]が減り、[苛立ち]と[怒り]が増えています。緊急事態宣言だけでなく自粛要請が継続していることと、世相の変化にともなって苛立ちと怒りが増加しています。この時期[喜び]を感じた人が増えているのは一律給付の10万円を得て買い物をした結果です。

──都内の大学生調査と並行した聞き取りから。
・人それぞれ見えているものがぜんぜん違う気がした。このときは感染が収まっていて自分はけっこう気が楽だった。親戚で亡くなった人がいたし親の仕事もよくなかったけれど、感情的になってもどうしようもないと思っていた。人と会ってリアルで何かすることがないのだけはつらかった。

・バーベキューをやっている人たちに反感を覚えた。そんなことを言っていたら、自分たちも何もできなくなっていた。オンラインの授業はやけに疲れる感じがして孤立感が強い。授業の進め方も納得がいかなかった。授業だけでなくいろんなことの不満が解決できなくてイライラした。

・地方からきている友だちが家賃と生活費で苦しんでいた。自分には給付された10万円の使い途に選択肢があるが彼にはない。大学も生活もめりはりがないまま続いているのに気づいたときは怖さを感じた。孤独感で感情が不安定になっていた。このまま続くのかと気持ちの出口が見つからなかった。

・姉に怒りっぽくなっていると言われたが、姉は逆に鬱っぽいのではないかと思った。若ければ感染しないとか重症にならないと言われていたのに、若者優先でなく年寄り優先になっている矛盾が気になってしかたなかった。年寄りはやりたい放題していたと思う。

2020年GWから夏について/要約(2021年9月聞き取り)

この独自調査はサンプルに偏りがあり人数が少ないため、母集団をより大きく取った調査も見てみましょう。

2021年6月に実施された電通の調査では「若年層ほど、リアルに対する渇望が強く顕在化」したと分析されています。

不安と寂しさが募るだけでなく、本来できたはずのものが奪われたとする喪失感の大きさが目を引く。取り戻せないものへ苛立ちや怒りを感じた前述の大学生たちの意識と重なると言ってよいでしょう。

電通統合
(調査期間:2020年6月5日(金)~7日(日) 調査地域:全国 対象者条件:15~45歳男女 回収サンプル数:1,000ss)


続いて、筆者が取材してきた人々の証言を振り返ります。

──証言者(仮称K)

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「イベントの仕事がぜんぜんなくなって、こんなのおかしすぎると周りの人たちも言っていたし、ネットを見てると同じ意見の人が多かったです。仕事がなくて、ずっとやらないと決めていた夜のお店の宣伝の撮影を受けたときも(撮影現場で)みんな同じように言っていて、いままで知らなかった業界もそうなんだ、うらんでいるんだと感じました」

「どこにいても、とつぜん重いものがやってきて歯を食いしばってトイレで泣いたり。地下鉄に乗っているのがつらくなって、ドアが開いて飛び出して訳がわからなくなってパニックになったり」

取材・インタビュー

──証言者(仮称A)

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「夏前は経営する店の前でマスクや除菌ウェットティッシュを売ることもありました。自粛が長引いてアルバイトに1ヶ月分のバイト代を払ってやめてもらったあとも苦しい状態が。自分も周りも誰も感染者がいないのにおかしいと追い詰められて自粛やマスクを憎むようになりました」

「取り引きの関係などで必要がありそうな場合は布マスクを使ってました。飲みに行く場合なんかは顔馴染みでは自分が浮いてるかなという気がしたのでネットで知り合った反マスク・反自粛の人たちと付き合いが増えていったのがこの頃です」

取材・インタビュー

──証言者(仮称B)

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「楽しみがどんどんなくなっていって友だちが減っていく気がして。自粛が悪いと」

「さみしくて怖かった。ずっと前に心療内科でもらったセパゾンやデパスが残っていたから、あと何錠、あと何錠と数えながら飲んでいました。むかし一度だけ吸ったことがあるタバコを吸ってみて、セパゾンとかデパスやタバコで体がどんどん汚れていく感じで」

取材・インタビュー

溶きたまごは固まり方しだいでスクランブルエッグにもただのたまご焼きにも厚焼きたまごにもなります。この時期、感情が被害者意識や苛立ちや怒りへ固まりはじめた人がいて、負の感情を飼い慣らしていった人や淡々と生活を続ける人とやがて激しく対立して行きます。

秋になると、いままで一部の活動家やSNS上で目立つ人々に限られていた極端な主張がさまざまな場で見かけられるようになります。

──取材時に前掲の走り書きをした人物(仮称X)

筆者「コロナ禍は誰かのせいと言い切れないのでは」
「それはすごく単純すぎて、わかっていないのだと思う。目覚めていない」

取材・インタビュー


2020年秋から第5波・「やられっぱなし」感が信頼を壊して社会を溶かす

覆水盆に返らずという慣用句があります。当記事はコロナ禍での人の心をスクランブルエッグに例えてきたが、2020年の秋から第5波までの期間はフライパンごと放り出され床に散らばったスクランブルエッグの様相を呈しました。強烈な被害者意識を抱えた人々が対立や反抗を煽りはじめ、信頼によって繋ぎとめられていた社会が溶解したのが第5波までの期間だったのです。

X覆水盆に返らず


2020年初頭から第5波までの経緯をまとめると以下の図のようになります。この間に私たちは教訓から数多く学び、感染や蔓延を防ぐ術を獲得し、2021年はワクチン接種の1年になりました。

新規感染・心理推移


2020年の夏までに様々な人の様々な言動に驚かされたり翻弄され続けてきた私たちですが、これまでになかった動きが第2波収束後の9月に登場します。

9月7日、釧路空港発関西空港行きのピーチ・アビエーション機で奥野淳也がマスク着用を拒否して大声で騒ぐなどしたため、同機が新潟空港に臨時着陸しました。

9月22日、堀江貴文が旅先の尾道で餃子店に入店しようとした際にマスク着用でトラブルを起こしました。店主がSNSで経緯を語るだけでなく堀江もまたSNSで主張を繰り返し賛同者を増やした結果、餃子店に嫌がらせが及ぶ事態になりました。餃子店は営業が困難になりましたが堀江はしばらく挑発を続けています。

これらはピーチ・アビエーション社や餃子店のやりかたに反抗しているようにみえますが、奥野淳也は次々と標的を変えてトラブルを起こし、堀江貴文はこの件で「マジやばいコロナ脳」と発言していて餃子店を象徴的に扱っている点に違和感を覚えざるを得ません。

どちらも県境をまたいでやってきた移動者への攻撃や、自粛する人を揶揄していたSNS上の経営者アカウントの発言と色合いが違います。適応不全を起こした末に苛立ちと攻撃の対象が抽象化して、思い通りにならないものへのやつあたりです。

そしてピーチ機事件や餃子屋騒動がきっかけだったかのように、苛立ちや怒りを隠さなくなった人々が登場しました。

反マスクと反自粛の実力行使や嫌がらせが目立つようになります。こうした反対運動は国の政策や対策にも向けられ、その怒りを広く見せつけることを目的にしていたかのような言動が目立ちました。

反ワクチン運動家(仮称X)は次のように言いました。

「マスクもそうだ。このままじゃ、殺される」

取材・インタビュー

マスクをつけて死ぬこともなければワクチン接種は強制ではないにもかかわらず「殺される」というほど被害者意識をこじらせ、いかにひどい被害を受けているか見せつけるようにデマなどを繰り広げていました。

第3波から第4波到来までの期間にあたる2021年2月から3月、被害者意識をこじらせた末の対立や反抗が頻発し、ごく一部の現象だった路上飲みが広がって、後に緊急事態宣言への協力する姿勢が消えて行きました。2021年の春以降は、対立や反抗が一般化したのです。

では、この期間の大学生がどのような精神状態であったかみてみましょう。

X意識推移
都内の大学に在籍する学生(サークル部員)継続調査

聞き取りから以下のことがわかりました。

第2波のあとの小康状態化で安堵感を感じたり慣れが出てきて[不安]が減っています。第4波へ向かう時期は、新年度へ向けて新たな目標が意識されて[不安]が増大して[苛立ち][怒り]が減ります。コロナ禍がまだ続くのか、大学生活や就活はどうなるのか、あまりに先が読めない新年度のはじまりでした。

こうして新年度を迎え、第4波収束から第5波の真っ只中にあった夏、ワクチンデマや接種の遅れに反応して再び[苛立ち][怒り]に感情が傾いて[不安]が減っています。

ここに折々の事情に応じて関心や興味の対象が変化している様子が読み取れます。なお、この期間に一貫して[苛立ち][怒り]を抱えたままだった層は、10月下旬まで強硬にワクチン接種を拒んでいた3名が含まれています。

──都内の大学生調査と並行した聞き取りから。
・(2020年の)秋はGOTOで旅行している人がけっこういて大丈夫かと心配した。またひどくならないか心配したくらい世の中は落ち着いていたかもしれない。年末からやたら暗いイメージしかない。(2021年の)春は印象が薄いまま第5波がきた。

・マスパセ(奥野淳也)とホリエモンをバカにして笑っていた。あれは強烈だった。オリンビック延期、鬼滅……そんなところか。(2021年の)

新年度が近づくと、どうなるのだろうかと考えることが増えた。第5波になって今年はもうだめだしワクチンのこともあってイラついていたと思う。

・(2020年の)夏休み明けの感じがまったくなくてダラダラ続く感じに慣れてきたのがヤバい気がした。ワクチンが危ないと言われてた通りに副作用が発生して政府や他人の言いなりになる馬鹿らしさを感じた。

・PCRがいつの間にか政治の話になっていた。GOTOでも政治的な対立が激しくなった。巻き込まれたくなかったからSNSはあまり見なかった。だからなのか感染者がすくなかったせいか精神状態はよかった。その後もずっと悪くなかった。

2020年秋から第5波/要約(2021年9月聞き取り)

──証言者(仮称K)

「怒っていると楽なのかもしれないですね。エプスタインがどうとか政府がどうとうか言って仲間がいるつもりで叩くほうが、不安がっているより単純で。だから誰かが悪い、悪いって言い合ってたんだと思います」

取材・インタビュー

──証言者(仮称A)

「マスクするな、自粛するなのデモをやったりTwitterで見せつけていると気分がブーストされて。最悪なにかあっても、この仲間がいれば商売の底ざさえくらいできそうな気分になることもありました。そんなに甘くないのはわかっていていも、そう思える瞬間があるとだいぶ違ったんです」

取材・インタビュー

──証言者(仮称B)

「反マスクの人たちからの予定が入るし、何もないなら誰かに声をかければ次の予定のきっかけになってました。自粛でやることがなにもなくなって友だちが減って腐っていたから、とても楽しかった。遊ぶことも楽しかったけどお金をつかったりバスや電車に乗って移動していると生きている感じがしました」

取材・インタビュー


ここで厚生労働省の「新型コロナウイルス感染症に係る メンタルヘルスに関する調査」の「メンタルヘルスの状況」を確認しておきます。

政府統計1
(調査期間:令和2年9月 11 日(金)~9月 14 日(月) / 回収サンプル:10,981 件)

2020年4月〜5月が[何らかの不安等を感じた人]の割合のピークでしたが、8月から9月にかけて減っています。減少傾向は大学生を調査した結果と同じです。

第2波収束後で多くの人が[不安]から開放されつつあったとき、奥野淳也と堀江貴文が騒動を起こして対立や反抗を顕在化させ社会の緊張を高めていました。不信感だけを煽っていたのです。

コロナ禍初期に抱いた被害者意識をこじらせていると[不安][苛立ち][怒り]といったネガティブな感情の開放がうまくできないみたいです。しかも特定の相手ではなく対策や風潮の背景にある概念に感情を昂らせると収まりどころをなくすのかもしれません。後々まで強硬にワクチン接種を拒み続けている大学生の例はまさにこれであり、彼らは反ワクチン陰謀論に近い考え方をしていました。

ワクチン接種を拒み続けている3人のケースで被害者意識がどのように拡大したかまとめてみました。

3人XX
取材・インタビューから

3人は苛立ちや怒りを解放できないままワクチン接種が話題となった2021年1月に至りました。大学生Aの「看護師が痙攣して意識不明になった」とする話に他の二人が共感して、大学生Bの民間療法とアトピー性皮膚炎にまつわる反医療の話を巻き込みながら、Aのコロナ禍の医療批判へ怒りを増幅させています。

では冒頭で紹介した走り書きを書いたXの例をみてみましょう。

左上の矢印の集中は圧力や悪意を意味し、こうした被害の集中から右上の現在の自分が生まれたとしています。そして現在の自分は依然として右下のように被害を被り続けて潰されています。図中の矢印の一つひとつは政治、同調圧力、体験したできごとなどだそうです。

証言メモ

彼は言いました。

「やられっぱなしだ」
「馬鹿にするなよ。こんな取材を記事にするなら金を払ってもらわないと困る」

取材・インタビュー


他の証言もあわせて振り返ってみます。

──証言者(仮称A)

「(反マスクや反自粛を批判されて)わかっちゃいないと頭にきたが、こっちは商売が傾いているんだと正直に相手に言うのが恥ずかしいような、もっと違う理由をつけないといけないような気がしたんですよ。おまえらよりいい生活をしているというふりをして、経済とか政治とか言っていました。閉店した倒産したと正直に言いながら活動していた人には負い目があったり」

(その後)
「ひどいやつあたりでした。自分が落ちるところまで落ちている自覚がありました。自覚があっても続けているところなんかヤク中と同じだと気付いたのです」

取材・インタビュー

──証言者(仮称B)

「コロナが嘘なのを自分で発見したと思っていたし、そうやっていると明るい気持ちになれたから、どうしていつまでもつまらない常識に縛られているのか謎だし馬鹿だなと思ってました」

(その後)
「仲間のおばあちゃんがコロナで死んで。みんなが菅や尾身が病院を乗っ取って人を殺している、それはコロナではないって。その子が本当だから気をつけて遊ぼうと言うと、いじめがはじまったんです。年上でお金を出してくれたり、いいことを言って雰囲気をつくっていた人が、あいつをつぶすしかないと言ったのが怖かった」

取材・インタビュー

証言者AとBは政府、専門家、医師、一般人への信頼が極端な被害者意識によって壊れていました。被害者意識が発端になって相手を挑発します。これは両名に限ったものではなく、次々と似たようなできごとが発生して意思疎通や秩序性が溶けて行ったのが第5波までの期間ではなかったでしょうか。

つまり協調性や相互理解によって築かれていた秩序が溶けてしまった社会のなか、私たちは第5波を迎えたことになります。


希望はつくらなければ生まれなかった

──証言者(仮称X)

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筆者「恐ろしい写真を使ったチラシで脅かしたり、実力行使をほのめかしたりして目覚めるだろうか」
「事実を伝えて何が悪いか言ってみてくださいよ」

「やめるとかやめないとか言うのが変だし強制ですね。自分たちが言いたいことを言って、それを人に伝えるのは自由だし、実力行使もしかたない」

「これだけひどいことをされているんだから、黙っていろと言われて引き下がるほうがおかしいですよ」

取材・インタビュー

──証言者(仮称K)

「札幌の市役所で感染させた人たちの動画とか見て、職員さんをいじめて喜んでるよねと思いました。最初はワクチンはどうかなとか自粛はつまらないとか商売がうまくいかないって話だった人たちが、関係ない人まで敵にしていくの私は自分が陰謀論者だったからよくわかる」

取材・インタビュー


第5波の壮絶さは第4波までと比べ物にならないもので、過去最多となる25851人の新規感染者、一時は入院患者数20万人を超え累計入院患者数は80万人に達しました。医療機関の処理能力を超えたため東京都内だけでも4万人の自宅療養者を出しています。

マスクをつけ3密を避ける。可能な限り行動を自粛する。ワクチンを接種する。感染や蔓延を防ぐために必要なものはわかっていましたが、やるもやらないも各人の意識次第でした。

このとき被害者意識をこじらせ続けていた反ワクチン、反マスク、反自粛の人々は感染や蔓延を防ぐために必要な対応に反抗し続けていました。

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反ワクチンを訴えるため北海道庁と札幌市役所へ押しかけたノーマスク集団を思い出してください。

この反ワクチン勢は証言者Kが言うように公務員に嫌がらせをしているのは明らかです。彼らが撮影した動画を見ると参加者は始終笑いあい、対応する職員に無理難題をふっかけ挑発しています。

 X北海道
反ワクチン・反マスク・反自粛の訴えで北海道庁と札幌市役所へ押しかけたノーマスク集団。彼らが撮影し公開した動画から。

北海道の反ワクチン勢にとって、ワクチン接種の広がりが問題の発端だったはずです。

ワクチン接種の広がりによって、抗議集団の人々は「接種を拒む自分たちだけ損をする」と考えたのでしょう。無理矢理ワクチンを接種されるわけでも接種を拒んで罪に問われるわけでもないのだから、それ以外に抗議をする合理的な理由はありません。

「接種を拒む自分たちだけ損をする」が当初の問題だったはずなのに、恨みつらみを吸い寄せ、不満や怒りを再生産して問題が誇張され、誇張された分だけ彼らが被る影響もまた創作されて行きました。こうして被害者意識がとめどなく拡大して敵が増えることになって、道庁と市役所の職員まで挑発の対象にされたのです。

この結果、職員が感染すると社会に報復できたと彼らは大喜びをしています。新型コロナウイルスはないと主張したり、マスクやワクチン接種は意味がないと言ってきたことと矛盾した感想だということさえ気付いていません。挑発と報復だけが目的になっていたのでしょう。


ワクチン接種の広がりを[できごと]、自分たちだけ損をするという状況を[影響]、不満や怒りを[反応・感情]として、次の図のようにまとめることができます。

被害者意識

私たちはできごとの影響を被ったとき、ここから教訓を得ます。教訓を得て多くの人が合理的な判断をします。

しかし“被害者意識が拡大”する人々は教訓ではなく、ひたすら感情を再生産させるばかりです。このとき別のネガティブなできごとまで吸い寄せてしまい、その結果[できごと]が際限もなく誇張されます。誇張には実態がありません。このため影響が創作されます。この巨大化したできごとと創作されたあり得ない影響に、また感情が反応して感情の再生産がはじまります。

奥野淳也や堀江貴文の実力行使。北海道の例だけでなく反ワクチン・反マスク・反自粛勢がとった行動。これらに影響されつつ「自粛疲れ」だからと正当化された行動。どれも程度の差こそあれ、上記した悪循環の結果でしょう。

これらが引き起こしたさまざまな不都合を解決したりやり過ごすため私たちは多大なコストを払わなければなりませんでした。

最大の不都合は感染拡大であり医療の逼迫でした。支払われたコストのなかには、専門家や市民が無償で行ったさまざまな活動も含まれます。

被害者意識への対応


こうして私たちは多大なコストを支払って希望をつくりあげなければならず、希望をつなぐため社会を支えた人々がいたからこそ第5波の終焉と、終焉後の比較的落ち着いた日々があります。同時に反ワクチン・反マスク・反自粛勢が利益は享受するが、そのために必要な努力はしないフリーライド状態だったのを忘れてはならないでしょう。

──証言者(仮称A)

「いま考えると、どんだけいっぱい強い敵がいた設定だったのかということです。敵でもない人まで巻き込んで殴っていたのです。あの人たちも気づいてるはずなんですよ」

取材・インタビュー

──証言者(仮称B)

「接種会場の近くでビラ配りをしている人たちがいて、あのままだったら私もやっていたのかもしれません。ビラを渡されて話を聞かされてる人にどうかしてあげたかったですが、怖くて何もできなかったのが今でもつらいです」

取材・インタビュー


2年目最後の月に

駆け足で振り返ったつもりですがコロナ禍2年間を伝えるため、ここまでで12500文字相当を費やしました。たった2年ですが、あまりに目まぐるしく、あまりにさまざまな事柄が変わりました。社会や経済だけでなく、習慣や慣行、さらに人もまた大きく変わりました。

個人的な話をするなら、筆者のうちケイヒロは2020年の年末に父親を亡くしました。死因は事故死でしたが、発見までのやや複雑な事情やコロナ禍固有の問題があり火葬と葬儀に参列することが叶いませんでした。みなさんもまた平時であれば経験することがなかった大きなできごとに直面したり、悩みを抱えるなどしたのではないでしょうか。

こうしたなかタイトルにした通り『私たちはヒーロー』であり、私たちを支えてくれた専門家、医療関係者、公務員、インフラを支えてくださったみなさんはヒーロのなかのヒーロでした。

今後も知識を更新しつつ淡々と新型コロナ肺炎を迎え撃つ生活を続ければ間違いなくアフターコロナの時代を迎えられるでしょう。もしかしたらコロナ禍終了はコロナ禍突入と同じくらい私たちの暮らしを再び一変させ、新たな苦労があるかもしれません。しかしコロナ禍での経験が私たちを救うはずです。

では、みなさんよいお年を。


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